2002年04月14日(日) |
オレ27歳クリトリス。 |
つい最近までテレビで 金八先生ってやってたようなのだが なかなか従来の金八とは違い 殺人やら性同一性障害やら病気やら 何やら重めの ハード金八 だったのだけれど バリフリーなどと言われる昨今 障害者に対する意識も変わり 障害者も世間に進出は 目覚しいのだけれど 春・暖かくなるにつれて 頭に以上をきたす人も増えているわけで 世の中には 障害者に対する間違った認識を 持ってる人間も未だ多く 障害者を見れば 何かをしないと気が済まない 助けたい助けたい 困ってるやろ困ってるやろ?な?な? などと強引に人情を押し付けては 似非ヒューマニズムの快感に浸る輩が多く テレビやいろんな機関に 投書・告げ口・抗議などする輩同様 物事の本質を判断せずに 善悪のみの感情論に走るもので 私は 街で障害者をみても 手を貸さないし 何もしない ただし 障害者がみるからに困惑していたり 明らかに救助信号を発信していれば もちろん手を貸し 助ける出きる限りの事はするわけで 相手が何も求めていないのに 無理やり押し付ける事は それは単に障害者を 障害者=困っている という差別に他ならないわけで じゃあそんな似非ヒューマニストは 障害者が健常者であるならば 何もしないわけで 私は例え健常者であろうと 私にSOS信号を発信すれば もちろん手助けしてやるからして 差別に善悪感情論を持ち込むのは 非常にお門違い 傲慢な人間のエゴイズムに過ぎないのだけれど 同様に 私は 例えば親や家族や 将来家族となりうる女性や子供が なんらかの事情で 植物人間となり得たとするならば なんの迷いも無く 医者に殺してもらう事を 躊躇せずに依頼するだろう 例えば 将来結婚して 生まれてくる子供が 障害・畸形を持っていると判明したのなら 何の躊躇もせず 中絶・堕胎を依頼するだろう なんともなれば 現代医学の発展は目覚しいもので また発展が目覚しいからこそ 胎児の障害や畸形が 生まれる前から認知できるわけで これまた 医学が必要以上に発展した故に 重度の障害を持っていても 障害者達の寿命は延びたわけで 戦前戦後 その時代は医学も施設も機器も まだ未熟だったゆえ 障害者を産んでも 人間のエゴで産み落としても 問題はなかったのだけれど この医学が発展した世の中 障害者の子を持つ ということは その殆どが介護を要するわけで まだ彼らが小さいときに 必至に介護するのはまだいい だがしかし その傷害ゆえ その介護空しく 中途で絶命に至る戦後と違い 現代は寿命が果てしなく延びたことにより もちろん 小さなひとつの命 少しでも長生きできるのは 人間として良い事なのかもしれない がしかし だがしかし 問題なのは 介護する側 その殆どが肉親なのだけれど 同様に肉親達も歳を取るわけで 順調に生きれば 年老いたものから 死んでいく世の常 イエス。 結句。肉親達が死んでしまい 障害者達がひとり取り残されるわけで 介護を要するほどの重度な障害者達のことを思えば この不況 健常者ですら生きにくいこの世 障害者たちにとっては 例えバリアフリーが広がろうとも 生き地獄に他ならないわけで いや現実に 介護疲れ もしくは被介護者よりも 介護が必要になり 将来を悲観し 老人殺人老人自殺が実際に現実に 増えている事を考えると なおさら 人間のエゴということを 人間の善悪感情論を やはり糾弾すべきなのであり そのエゴにより 一番苦痛を受けるのは 障害者は弱者なのは 火を見るより明らかなのであるが ときに 私のちんこは その皮の長さゆえ もはや畸形なのであり 女性から非難批判いじめられる事も多く 日本国政府が バリアフリーを謳うならば 包茎患者に 障害者制度を適用し 障害者年金・障害者保険 手厚く包茎を扱うべきで お母さん。 何故私を産んだのですか お母さん 包茎と知ってて何故私を産んだのですか お母さん 赤いトマトは大嫌いです などと嘆いたところで 我が皮未だ短くならず 似非ヒューマニストの皆様 あなたたちは私のちんこを助けますか 私のちんこを介護してくれますか 答えはいいです 言わなくてもわかります それはやはり エゴを押し通す似非にすぎないからで もしかしたら 私のちんこには おまんまんさんを貫き通すエゴが 必要かもしれません でももういいです 私は思います 私のちんこは短い そうです 短いのです ならばもはや ちんこではなく 少し大きめのクリトリスだと考えます そうです 私は実はクリトリスだったのだ そうだおまんまんさんなのだ 国が包茎を 障害として保護しないのならば 私はクリトリスを持つ男として 性同一性障害として申請します 金八っつぁんは 何をしてくれる。
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