即興詩置き場。

2002年01月04日(金) ついにバレてしまった…。ヤバイ(違)。



妻にこの日記のありかを発見されてしまった。
これでもう、ヤバイことは書けない(笑)。
うちのサイトからはこの日記、
隠しコンテンツとして秘密にリンクしてあるんだけど、
隠し場所変えようかなぁ(笑)。

さてさて。
詩学2月号掲載の論考に続き、
別の詩誌の企画が今日からスタート。
往復メールによる対談です。掲載はいつになることやら。
内容に関してはあたりまえだけど秘密。
こういう記事や企画の依頼が多くなると、
俺も「詩壇の人」って言われてしまうんだろうか?(爆)。

「詩壇」ってのは俺はよくわかんなくて、
あるって言う人もいれば、ないって言う人もいるのね。
詩壇=閉鎖的というマイナスのイメージで語られることが多いんだけど、
どうなんでしょう?
案外閉鎖的に見えるだけかもしれなく。
あるいは、権威を振りかざしてるのかもしれなく。
近づいたことないのでよくわからん。

「ネット詩では権威性をともなったパワーは発生しない」
と俺は楽観的に思っていて、
悪い意味での「ネット詩壇」は生まれないんじゃないのかなと。
ネットという媒体は原則としてセルフプロデュースの場なので、
紙媒体のように、何かを通過して表に出るというシステムが
基本的にはないのね。良くも悪くも。
なので権威というものが一方的に発生することはないんじゃないかなと。
逆に、そういう方向へ行くように動く必要はあるのかなと。
アンチテーゼを否定しない方向へ。歓迎する方向へ。
もちろんただの誹謗中傷は論外だけど。
否定するだけで何か行動を起こした気になってる輩は大嫌い。

仲間内だけでやってるような、閉鎖性は生じるかもしれない。
ただそれも、そういうふうに見えてしまうだけなんだと思う。
昔はアヴァンセとか、ぺんてかとか、清水鱗造(漢字うろ覚え)さんのところとか、
俺もコワイっつーか、書き込みがためらわれるような、そういう雰囲気があって
仲間内だけでやってるように、すごく閉鎖的に見えたんだけど、
でも実際はそんなこと全然なかった。
普通に挨拶して普通に何か喋ってれば、きちんと開かれた場として対応してくれる。
少なくとも閉鎖性は権威性と結びつかない。ネットにおいては。
というか、ネットという媒体は、
マスメディアではなくミドルメディア、でっかい井戸端会議みたいなもんだと
俺は思ってるので、
そういう意味では仲間内みたいに見えちゃうのはしょうがないのかもしれない。
「見えないように工夫する」という姿勢が、今後重要になるのかもしれない。


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