私の生き方
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2001年10月26日(金) 作り笑いも計算も大の苦手。


今日は、仕事ネタ。(笑)


私は、高校出て、すぐ就職した。
就職時、製造関係の仕事希望してた。
しかし、高校の担任に(当時24歳のウッチャン似。)
「おまえは進学した方がいい。」と言われた。
私は、当時少ししか歳が離れてない同志社出たでの若い先生に反発しまくって
いた。なぜ、この人がいきなり、進路について1番難しい高校3年の担任なのか
よく分からなかった。副担任ではなく、いきなし担任。
でも、今思うと、この先生よく頑張っていたなぁ。と思う。
それは、就職してから先生と同等の立場になって感じたこと。
遅すぎた。気づくのが・・・。私ってば思いやりのない子だった。

私は、どうしても進学より、就職がしたかった。
もう勉強が嫌で!嫌で!親のすねをかじるのも嫌で。
1日でも早く働いて、お金にしたかった。嫌なやつ。
その先生は、「就職するなら、サービス業が向いてる。」と言いはった。
私は、人と向かい合って話すのが苦手で、物と向かい合う製造業にした。
先生の意見も聞かず・・・。
私は、就職に関しては周りの人よりおっとりしてたのかもしれない。
私の就職先が決まったのは、卒業間近の時期で、しかもクラスで最後の方だった。

無事卒業し、新しい生活。新鮮な毎日。
なんとか仕事も覚え、ある意味充実してた。
やっぱり、就職選んで良かったな。って思った。
卒業しても担任だった先生に会いに行ったりもした。
在学中はあんなに毛嫌いしてたのに、社会人になってからは全くそんな事もなく、
冗談だとは思うけど、「一緒に飲みに行こう。おまえのおごりで!(笑)」なんて
言ってた。懐かしい思い出。


あれから月日は・・・ン十年。


いろいろな職種を味わい、今は・・・嫌なのに。苦手なのに。
作り笑いと計算と隣合わせの世界にいる。




そう。
私の職種は・・・サービス業。





あの時の担任の先生は、当時から私をこんなにも見抜いていたのだろうか?
でも、もうかなり疲れた・・・。
セクハラを味わったり、歳のせいで、車の運転にも疲れた。
もう辞めたい。少し休みたい。
進学してたら何か変わっていたのだろうか?



先生。どこにいったんですか?
先生。私は次は何の職種が合うのでしょうか?



・・・・・・・・・・・・・・・・オシエテクダサイ・・・・・・・・・・・・・


RED

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