僕の、場所。
今日の僕は誰だろう。
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ああ…。おひさしぶりです、管理人です。
なんだか…実はちょっとだけ憔悴。
いつの間にか4000打を超えていたのに、お礼テキストが浮かびません。ごめんなさい。
いえ、きっと誰も楽しみになんてしてないと思うんですけれど。
近頃、月がとてもきれいなんです。晴れた日が多いからでしょう。
それと、すぐに陽が落ちるので、それだけ月を目にする機会が増えたのでしょう。
夏なんかは暑くて外に出るのなんて嫌でしたから、月なんて覚えていません。
冬になると、厚い雲と深い雪に阻まれて、月なんて見なくなってしまいそうです。
先日、夜の海に行きまして、そこでぼんやりと月を見ていました。
とても輝いた月は、他者から貰った光を存分に己の魅力としていました。
波の音が絶えず聞こえていて、月が真ん丸に光り輝いていて、冷たい空気が肌をさす。
どうして、ああも夜の海は心地良いのでしょうか。
消えてなくなりたい。
そんな、願望なんかではなくただの衝動に突き動かされそうな毎日で、波の音が少しずつ少しずつ漂白してくれました。
もちろん今だって消えてなくなりたいと思いますが…。
「70好きで50嫌い」と表現した人がいますが、それを借りるなら
50生きたくなくて、53死にたくない。
時折この微妙な3のズレが0に近づきます。0になったりします。マイナスになったりもします。
理性的に判断すれば、生きていた方が得るものは多いのですが。 (あたりまえだ、死ねば何も得られないし失えない)
そういう理屈ではなくて、衝動とか願望とか脅迫とか思念とか、なりふり構わず動いて良いのならば僕は死ねます。
死にたい訳ではなくて。決して。消えてなくなりたい。解放されたい。
生きているのは不自由だ。少なくとも、僕のこの体で生きていくのは不自由だ。
だれか僕を修理してはくれないだろうか。たのむ。
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