僕の、場所。
今日の僕は誰だろう。
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彼女の涙の理由など知り得なかった。 「ごめん…」 うつぶせたままの彼女はそのまま腕で顔を隠して、静かに涙を流しているように見えた。 こちらからは彼女の顔は全く見えなかった。彼女が見せなかったのだ。
その日俺らは一緒に買い物をし食事をしビデオを借りて、俺のアパートに帰りその映画を見、久し振りにワインなんて飲んでいた。 簡単なつまみの皿がいくつか、そしてグラスが残るテーブルに、彼女は頬杖をついていた。俺はその横でクッションに凭れかかり、何となく思いついた事を話していた。
何の話題だっただろう。昨日の昼飯か、駅前の新しい店か。どちらかと言えば、どうでもいいことだった。しかし何かが彼女を刺激したらしかった。 「どうして?」 ふと彼女の口調が変わったのだ。 「どうしてって、何が?」 「どうしてそんな事言うの」 「え、何か変なこと言ったか」 驚いて彼女の目を見る。酔ってはいない。俺も同じく。ただ酔っ払いの「俺は酔ってない」はあてにならないので、俺がそう思っただけだ。しかし彼女が酔ってないのはすぐに分かる。なぜなら、俺だからだ。 「悪かった」 俺はすぐに謝る。彼女がテーブルに突っ伏したからだ。 「……あのね」 「何だ?」 少し、待った。何も言わないのが一番だった。彼女の髪を梳こうかどうしようか迷っている間に、彼女はやっと口を開いた。 「謝らなくていいからね。私…そう、不安定なの」 「…おう」 「だから、少しだけ気にしないで欲しい」 やっとの事でまっすぐ声を出しているようだった。俺は少し体をずらして自分のグラスを手にとり、それと分かるような空気でワインを飲んだ。了解の合図だった。彼女は、腕で顔を隠した。
「ごめん…」
俺はワインを飲んでいた。時々彼女を見やりつつも、基本的には意識に留めなかった。そうする事を彼女が望んでいると俺は分かったからだ。 グラスを空けても、適当に何かを考えていた。 すると、ふと袖を引っ張られた。見ると彼女が申し訳無さそうな顔でこちらを伺っていた。 「もう良いのか?」 「うん…ありがとう」 ここでごめんねと言うような人間ならば、俺は彼女とこうして親しくはしていなかっただろう。 「いや。ワイン飲む?」 「もらうわ」 少しだけ微笑んだ彼女は、とても綺麗だった。
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