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2009年12月26日(土) バルセロナ建築の旅(その2)

 今回の旅はガウディの建築物を見て回るのが主な目的である。
 夫は大学時代よりガウディが好きだった。大学時代から付き合っていた私も彼の影響を受けていて一度はバルセロナに行きたいと思っていた。夫は好きなガウディの作品を見るためにバルセロナに行ったことがあったが、私はバルセロナは今回が始めて。今回はわずか9万円という格安のチケットを入手できたので夫を案内人にしてあちこち詳しい解説を聞きながら旅ができると楽しみにしていた。
 
さて、そのガウディについて概要を説明しよう。
 アントニオ・ガウディ(1852〜1926)はカタルーニャ南部のレウス郊外で銅版機具職人の家庭に生まれた。幼少の頃よりリウマチに悩まされ、内気で病弱な少年だった。自然を相手に一人で遊ぶ「ことが多かったが、自然を観察する力を養うことができた。ガウディ家は裕福ではなかったため、建築家を目指してバルセロナに移り住み、生活費を稼ぐためアルバイトに明け暮れた。建築現場でのアルバイトはガウディの血となり肉となった。サグラダ・ファミリアの2代目建築家に推挙されたのは1883年。31歳のとき。それから1926年路面電車にひかれて亡くなるまで43年間この教会に生涯を捧げたのだった。サグラダ・ファミリアはまさにガウディそのものであるといってよいだろう。
(『world guide』(jtb publishingから)

 バルセロナについて二日目は先ずホテルの近くにあるグエル公園へ歩いていくことにした。
 ここでグエルについて説明しよう。
 ガウディの作品には「グエル」という名前がついたものが多い。 
 それはエウセビオ・グエル(1846〜1918)がガウディ建築のよき理解者であり、多くの作品を依頼したからである。かれは繊維工場やタイル工場を経営し、当時のバルセロナを代表とするブルジョアだった。彼は1878年パリ万博に出品された皮手袋店のショーケースのデザインに魅了された。その設計者を探し見つけたのがガウディだったのである。当時のガウディは才能はあってもスポンサーに恵まれなかった。しかし、グエルという最高の理解者を得たことで次々に世間の注目を集める大きな仕事を手がけるようになった。ガウディの才能を引き出したのはグエルだといってよいだろう。

さて、説明はこのへんにしてそのグエル公園へ行くことにする。



 朝日がさすグエル公園内
粉砕タイルで装飾された波打つベンチが美しい。
画家ミロがこのベンチのタイル装飾に創作のヒントを得たという話は有名だ。









自然を友としてきたガウデイはこのような爬虫類を模したものが多く見られる。


門扉のデザインもすばらしい。このへんシュロの木が多いのでシュロのデザインだろうか。さすが銅版機具職人の息子だった片鱗がみられる。

グエル公園を後にして次はバルセロ市内をツアーするブス・ツリステイックの二日券を買い、バスに乗り込み街をみてまわり、途中でおり、カサ・ミラと呼ばれる集合住宅へと急ぐ。



カサ・ミラは独特の形状からラ・ペドレラ(石切り場)とも呼ばれる。
中に入るとこのようにまるで海中に迷い込んだかのような幻想的な光景に魅せられる。




このやわらかい曲線の椅子もガウデイの設計。


カサ・ミラの模型。


屋根裏の放物線のアーチが美しい。


屋上に上がってみたらびっくり!!!!突如中世の騎士が面をかぶったような奇妙な煙突が出現。
右はるか遠方にあこがれのサグラダ・ファミリアが見える。
ああ!何と印象的な光景だろうか!




アーチの中に見えるサグラダ・ファミリア!!!!!!


1階部分

(続く)


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