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2009年12月22日(火) |
バルセロナ建築の旅(その6)最終偏 |
いよいよ旅の最後はハイライト、サグラダ・ファミリアを見にいくことになった。
サグラダ・ファミリアは貧しい宗教団体サン・ホセ協会のための教会として1882年に着工された。初代建築家ビリャールは翌年辞任。その後を引き継いだのがまだ無名だったガウデイだった。ビリャールの案はどこにでもあるありふれたものだったが、キリスト教に対する理解を深めるにしたがって、プランが練り直され独創的な教会堂になったのだった。ガウデイの構想によればラテン十字形のバシリカ式の教会で「生誕の門」「受難の門」「栄光の門」という3つの正面を持ち、そこには聖書のシーンを描いた彫刻が施される。教会そのものが石に刻んだ聖書なのだとするものだった。 しかし、ガウデイの生前に誕生したのはわずかに「生誕の門」の塔だけ。ガウデイの死後もスペイン内戦時を除き、工事が続けられている。完成は200年後とも言われている。
新しく作られているものはガウデイの時代のものとはどこか違うようで古いものと新しいものを無理やりくっつけているようでなじめない。味わいがまるで異なる。
とうもろこしの部分をエレベーターに乗って上がっていった。そして帰りは歩いて降りるのだが狭いなかをくろうして降りただけで何の感想も感動もなかった。 がっかり。
汗をたっぷりかいてサグラダ・ファミリアを降りて、次に向かったのはガウデイのライバルといわれたモンタネールが設計したサン・パウ病院へと急ぐ。 モンタネールは前のところで写真を載せたカタルーニャ音楽堂を設計した人である。 さて、サン・パウ病院は銀行家パウ・ジルの遺言によりその遺産をもとに建てられた。
美しく繊細なデザインはガウデイとはまったく異なる趣である。中に入って写真をとろうとしたら病院だけに時間が決められていて入ることができなかった。もう明日には帰国しなければならないと残念がっていると一人の女性が声をかけてきた。「ねえ、あなたたち、中に入りたいの?」「はい。でも時間が決められていて今日はもう入れないのです」というと女性は「こっちへいらっしゃい。教会ならいつでもあいているわよ」と手を引いて案内してくれた。教会のほうへいきがてら、女性はバルセロナの主だった建築物について説明してくれて、その詳しさに驚いた。それも流暢な英語を話すなかなかのインテリ。年は60歳は越えていそうだが美しい人。夫とその女性が建築について話している間に教会についたが、閉まっていた。その横にはまだモンタネールの設計した建物があるのでそちらのほうへ回ることにして女性にお礼を言うと彼女はイタリア人でマリアと言う名だと自己紹介してくれた。 旅で出会った二人目の親切な人だった。 見ず知らずの日本人の手を引いて案内してくれようとするその心意気が嬉しい。
マリアさん、ご親切をありがとう!グラツイエ、タント!アリヴェデルチ!
ガウデイのライヴァルといわれたモンタネールのサン・パウ病院を背にくるりと振り返ると反対側にライバルのガウデイのサグラダ・ファミリアが見えた。
旅の最後の日も、とうとう日が暮れてきた。 街はクリスマス前の週末と言うことで賑わっていた。
蚤の市
旅の最後の夜は思いっきり楽しもうとタブラオへフラメンコを見にでかけた。
こうして短くも楽しいバルセロナ建築の旅はフィナーレである。
この旅の間アクシデントが二度あった。
一つは地下鉄の中で若い女性グループのスリにあったことだ。 地下鉄に飛び乗ろうとして夫が先に乗り、後ろを私が乗ろうとすると若い女性が夫と私の間に入ってきて地下鉄に乗ったが前になかなか行こうとしない。ドアはもう閉まる寸前。私の後ろにもう一人の若い女性がぴたりとくっついてきた。右わき腹がもぞもぞするので「きゃーなにするの」と声をあげると夫が「どうしたんだ!」とふりかえり、車内の男性もみんな私のほうを見た瞬間前の女性と後ろの女性が閉まる寸前の地下鉄から飛び降りた。 乗ったと思ったら降りるのはおかしい。 ハンドバッグをたしかめるが盗られた物はない。 「スリだった」と思った。 大声を上げたので飛び降りたのだろう。危ういところだった。 そしてもう一つのアクシデントは帰る日の三日前にレストランで肉料理をたらふく食べ、食後に濃いエスプレッソを飲んだら胃をやられてしまったらしく、胃痛に七転八倒。帰りの飛行機の機内食はとうとう一回も食べずに帰ってきた。 帰宅してしばらくしたら治ってしまったが、医者に行って薬をもらったというしだいだ。食べすぎは禁物ということらしい。
今回の旅は見るものがいっぱいあってまだまだ足りないぐらいだった。 今までシンプルなコルビエジェの建築物がが好きだったが、この旅ですっかりガウディの信奉者になってしまった。 当時も現代になってもガウデイのあの独創的なデザインを越えることはできない。ガウデイは奇抜でいてコロニアル・グエル教会堂の建設では10年もの歳月をかけて構造的実験を重ねている所を見ると念入りに構造計算を積み重ね、実験をし模型を作って研究する建築家であることがうかがえる。。この実験はサグラダ・ファミリアの設計に生かされている。銅版機具職人の息子に生まれただけに鋳鉄のデザインや扱いは卓越したものがありグエル別邸でみたあの「ドラゴンの門」の大きな口をあけたドラゴンの迫力は強烈な印象として残っている。コロニアル・グエル教会堂のひなびた味わいとステンドグラスのあたたかみは心にしみる。 カサ・バトリョの一階部分は海中深く沈んでそこに住んだらこんな風だろうとかおもうほど幻想的なものであり、二階部分の広間の曲線の美しさ、家具、暖炉、取っ手にいたるまでガウデイが設計した最高傑作。涙があふれてきそうで困ったほど感動した。
ガウデイの素晴らしさを堪能した旅だった。そして世界建築遺産にお住まいの男性からはおもいがけなく親切にしてもらい、中には住人以外は誰も入れないのに、ご好意でいれてもらい、感動。イタリア人女性は手を引いて案内してもらったりと見知らぬ旅人への親切とやさしさに本当に深く感謝する。 夫が好きなガウデイの作品群を見て周り、また、ライバルといわれたモンタネールの優美な作品もみることができ、一方、近代建築の巨匠といわれるミースのバルセロナ・パヴィリオンも見ることができて目が拓かれた。 写真は700枚ぐらい撮っただろうか。ブログにはどれを載せようか迷いながらの作業だった。
というわけで、バルセロナの旅はこれにて完。
※参考資料からの引用は『world guide』(JTB パブリッシング)より) 主たる建築作品:
グエル公園(世界遺産)、カサ・ミラ(世界遺産)、カサ・バトリョ(世界遺産)、レイアール広場の外灯、グエル邸(世界遺産)、カタルーニャ音楽堂(世界遺産)(モンタネール作、)、建築士会会館(ピカソのデザイン画壁画)、ピカソ美術館、ミース・ファン・デル・ローエ記念館(バルセロナ・パヴィリオン)、グエル別邸(「ドラゴンの門」)、カサ・ビセンス(世界遺産)、コロニアル・グエル教会堂(世界遺産)、サグラダ・ファミリア(世界遺産)、サン・パウ病院(世界遺産)
利用した交通機関: 地下鉄、カタルーニャ鉄道、ブス・ツリステイック
(完)
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