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2009年04月28日(火) |
ベトナム・カンボジアの旅(1日目) |
今までの旅といえば、欧米を中心に40回以上、20カ国をめぐってきた。 しかし、アジアを知らないで過ぎるわけには行かない。 そこで憧れのベトナム、カンボジア(アンコールワット)の旅を決行。 いつもはひとり旅、二人旅を楽しんできたが、ツアー旅行を楽しむことにした。 ツアー客20名(名古屋、静岡の客)の旅。
中部国際空港を午前11時半にベトナム航空にのり出発。ハノイ到着14時20分ちゃく。時差は2時間。運航時間5時間半。
ベトナム・カンボジアは雨季に入ったばかり。思ったほど暑くなく気温27度 。長袖シャツを着て充分。 豚インフルエンザの為、空港で健康カードを提出させられた。
空港からバスに乗って約3時間揺られてハロン湾へと向かう。
空港からの景色は50年〜60年前の(?)日本の風景と言った感じのひなびた光景が広がっていた。
田んぼと牛と人。田んぼには牛が鍬を背中にくくりつけられて引き、田んぼは機械はいっさいなく、人手で耕され、苗を植えるという農業。 ベトナム戦争による戦死者が多かったベトナムは9000万人の人口の60パーセントが35歳以下だという。 93パーセント農業国だったベトナムも今は60パーセントに減少。 3ちゃん農業に変化。かあちゃん、ばあちゃん、ジイチャン。父ちゃんは出稼ぎに。 18歳から28歳まで徴兵制。 猫や犬を食べると聞いてぎょっとなった。 たがめや昆虫もから揚げにしてたべるという。 よその国の食文化について自国を基準にどうとかこうとか判断したり批判することは出来ない。 日本も戦後は犬を食べていたのだから。
人件費は安く中国が一人3万円のところ、ベトナムはその半額だという。
空港を出ると直ぐに道端に牛があるいていた。
ベトナム戦争で枯葉剤による奇形として生まれた「ベトちゃんドクちゃん」についてはベトナムではあまり話題にならないという。なぜかというと彼らはベトナムではほんのわずかの存在でそれ以上に枯葉剤による被害者が多いということだった。 それをきいて胸が痛んだ。 傷痍軍人も国は何の保障もしていない現実。 一番悲しいことは、彼らのような傷痍軍人は国の為に働いたのに、障害者になった今、疎まれて働く場がないということだった。 そこでベトナム楽器を習って観光客相手に施しを得ることでしか生きる糧がないことだった。 戦争って何だ?!
バスに揺られて3時間。レストランに着き夕食。 早速ベトナムビールを頼む。ハノイビール3ドル
料理は海鮮鍋。
牛肉をテーブル中央の丸いおせんべいのようなものに「包んで食べる。
しゃこのからあげ。 シャコの味がせず、からが口の中でごそごそしておいしくなかった。
海鮮鍋は魚介類(いか、魚、はまぐり、香草、キャベツ、白菜)をいれ、残ったスープにメンをいれ、さらに残ったスープにご飯を入れておじやに。
まあまあの味に全員ほっとする。 水はホテルの水でもどこでも決して飲んではいけないとくれぐれも言われて全員注意。歯を磨くのもミネラルウオーターで磨いた。
いよいよハロン湾に着き、ホテルの前は墨絵のようなハロン湾が広がり、彼方には巨岩がかすんで見えた。ホテルの部屋は全部屋オーシャンビュー。 素晴らしく豪華なホテル。
ホテル。
ホテルの前には公園があり、入場は有料だが、4月30日はベトナム解放の記念日のため、お祭りが開かれる。綺麗なテントが広げられて色々な店がでて、ショーの準備があった。ここで夜、マンゴーをネギって買った。1ドルでおいしいマンゴーが4つ。
テントの中で繰り広げられているショー
ベトナム少数民族の民族衣装を着た老婦人。まだ着ていなかったのに、カメラを向けた私の為に衣装を着てくれてポーズをとってくれた。ありがとう!(カムオン)
夜疲れたのでマッサージを頼むことにした。 マッサージ専門店で70分2千円(送迎つき)。全身マッサージをしてもらった。 名古屋の女性親子連れの方とつれだってでかけた。 大きな部屋にはソファーが並んでいて、熱い湯ににおいの良い花が浮かべられて足湯に入り。足のマッサージから。顔はきゅうりパックをしてくれ、念入りに全身まサージ。最高に気持ちよかった。 若い男性の力強いマッサージで全身揉み解してもらって3人とも快適な時間をすごした。 ホテルにもどって入浴してばたんきゅー! ベトナム一日目は終わり。
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