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2007年09月21日(金) 奈良県橿原市(かしはらし)今井町への旅

今日はかねてから行って見たいと思っていた奈良県橿原市今井町へ小さな旅をしてきた。

朝はやく電車に飛び乗り、名古屋からは近鉄特急で大和八木で降車。

奈良県橿原市(かしはらし)今井町は天文年間(1532〜1554)に今井兵部が称年寺を開いたのが始まりで各地から商人を集め行政機能を整備し商業地として隆盛を極めた地である。

この今井町をご存知の方はどれぐらいいるだろうか?
大方の人は今井を通り過ぎ、飛鳥へ行ってしまう。
ところがどっこい!
この今井町は穴場中の穴場。
町全体が江戸時代のままそっくり残っている貴重な土地なのである。

城壁都市ならぬ掘割都市として繁栄した地であり、「大和の金は今井に七分」といわれるぐらい大和の冨はほとんどこの今井に集まったのである。
400年もの期間、火災にあわなかったっため、室町時代からの町割りや江戸時代の豪商による贅の限りの建物がそっくり残っている貴重な町。

行ってみてびっくり!
本当に江戸時代がそのままの街並みで、その規模も広くて驚いた。

ではその様子を写真で紹介しよう。


町の広さは東西に600m。南北に310m。





内部にある台所では「まがたまかまど」と呼ばれるまがたまの形をした「おくどさん」があった。
たった一人でこれら多くのかまどを全部管理できるというすぐれもの。


電柱も電線もないので町人姿の番頭さんでも出てきたら江戸時代にタイムスリップしたような風情である。

さて、次に揚げる写真を見て「あれ?どこかで見たことがある」と思う人が多いのでは?




そう大和ハウスのコマーシャルにでてくる御宅である。

江戸時代の豪商の御宅で、お醤油屋さん。

土間を通しておくまで吹き通しがきく素晴らしい設計とその風情。
コマーシャルに使われたのもうなずける。

江戸時代には年貢を納める蔵もあったというからここら一帯を治める豪商であったのだろう。
この辺一帯の土地を多く所有していた当主も時代の風は厳しく全てとられてしまったとか。
しかし、この建物は江戸時代のまま。
瓦は江戸時代のままで「まる瓦」。屋根には「屋根神様」が鎮座していた。
ご当主がでてこられてお話を聞くことができた。





この辺の家の間取りは
だいたいが似ているそうで、細かい格子や「六間取り」の座敷が特徴。
つまりたたみの部屋が三間、二列になっている間取り。
ふすまをはずすと四部屋が一つの大部屋になる。


当主の部屋は敷居が一段高くなっている。
つまり当主がいるへやは格式高くなって段差がつけられているのである。
後に「敷居が高い」という言葉はここから来たのだろう。

さて、次に揚げる写真はいったい何だろうか?分かる人?

これは何と保育園。

表に回ってみるとさらにびっくり!


こ〜んなに立派な門まであった。



豪商の家には駕籠まであった。



今井まちなみセンター

この近くでお昼を食べた。
お昼はこのブログにいつもコメントを書いてくださっている酒徒善人さんのお奨めの「横田すし」へ。

おいしゅうございました。

お昼を食べて満腹のお腹をかかえながら、次は飛鳥へ。

飛鳥ではレンタルサイクルをかりて飛鳥古墳などをみてまわったけれど、時間切れとなって途中で引き返して帰途につくことにした。
また別の機会に飛鳥へ行くことにする。

今日は残暑が厳しくて汗をかきかき、歩いて歩いての旅。

ずっと行きたいと思っていた今井町。
江戸時代がそくりそのまま残っている貴重な街並みを見て感激した旅だった。

観光客があまりたちよらない穴場中の穴場の土地。

400年もの間、火災にもあわず、営々と町の人たちがここ今井町を大切にしてきたのはすごい心意気である。

さらに驚くのはその江戸時代のままの家屋が空き家でなく今現在もその子孫の方々が住んでいることである。

何でもかんでも欧米化して日本家屋がすたれている昨今、不便なことものあるだろうけれど、こうして大切に「日本」を残している町の人全体に敬意を表したい。

奈良は日本人の心の、歴史のふるさとである。

街並み保存というスローガンをかかげるというそんな大仰なことでなく、心底先祖の心をその風情のまま遺すその心意気が「町全体からただよってくるのを感じて感動した旅だった。

皆様も一度この江戸時代がそっくりそのまま残っている今井町へ旅してみませんか?


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