久々に日記を書きます。 パソつついてるとイヤナコトが目に付いて、何だか書くことが 嫌になってました。 でも久々に書こうかな-・・・って。
この土曜に旦那様のおじいちゃんの1周忌がありました。 去年のこの時期はお葬式が続いて、旦那様の会社の後輩くん。 おじいちゃん、階下のおじいちゃんと1ヶ月に3人も亡くなりました。 後輩くんは旦那様が仕事を教えてた子で、まだ20代前半。 なのでとってもかわいかったみたいで、悔しかったそう。 旦那様のおじいちゃんが水曜日に亡くなって、階下のおじいちゃんが亡くなったのは、その翌週の水曜日。 本とに喪服の絶えない1ヶ月。 なので、この土曜そして今度の日曜は後輩くんの1周忌。 また哀しい日が続きます。
人が亡くなるたびに、いろいろ考えることがあります。 仕事柄人が亡くなることには、普通の人より慣れていた日々。 そんな日々が7年間続きました。 その頃は哀しいと言う感情が消えてました。 当たり前のことのようになっていて、「早く済ませて次の仕事を」 そんなことすら考えていました。 その仕事から離れて約2年・・・ やっと哀しいと言う感情が戻って来ました。 そんな中でふと忘れかけていたある人の『死』を思い出しました。
まだ私が短大時代のことで、初めて身近に感じた『死』 小学校の時に英語を教えてくれていた大学生のお姉さん。 習っていた塾に先生としてアルバイトしていた人。 偶然にも叔母の同級生の人の娘さんで、母など知っていた感じ。 そう言うことで、その後のことなど何となく知っていたが、彼女の最後を ニュ-スや新聞で聞くとは思わなかった。 彼女はお父さんと同じ教師の道を選び、地元より少し遠い場所にいることは 聞いていた。 が、その地で殺されたのだ。 その場所は私が通っていた短大の近くだった。 犯人は捕まり、それなりの理由はわかったみたいだが、初めて聞いた瞬間 自分の中で抑えられないほどの怒りと哀しみを覚えた。 何の罪もなく、犯人とも面識のない彼女が何故殺されなければいけないのか、 犯人が障害を持った人だったために、あまり深く追求されないことに対して しばらくは何とも言えない日々を暮らしていた。 が、時がたち働くようになり、毎日が忙しくなると段々彼女のことも思い出さなく なってしまった。 しかし、今彼女を思い出すことが多々ある。 遠い昔なので、彼女の姿や声など全然覚えてない。 でも彼女のことは忘れてはいけないような気がする。
改めて人の死を考えると、いろんな『死』にたずさわったことを思う。 誰にも看取ってもらえなかった人、たくさんの人に看取ってもらえた人、 亡くなったあとまで問題を残した人・・・ 彼女を含め、たくさんの『死』を見てきた。 私の中でそれらは考えさせられるものばかりで、これからもずっと考えていかなければいけないものだと思う。 感情をなくした7年間・・・だけど、本当は感情を植え付けるための7年間だったのかも知れない・・・
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