珈琲の時間
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2002年01月10日(木) 波紋の行方

今朝もそうだ

通勤途中の道での出来事
狭い道から大通りへ出る境目は駅からのわずかな歩行者の横断する地点で
得に朝なんかは 電車に乗り遅れまいと横断するタイミングを伺っている歩行者に遭遇した時に
きちんと止まれるスピードで走っている車が何台いるかってこと。

見通しも悪いその地点で止まる気すらない車の方が圧倒的に多い
どちらも急いでいるとしても 歩行者の方が時間も距離も不利だよなぁ。
早く先に渡っちゃって後からゆっくり横断してもらうって考えもあるけど
急いでいる時に止まってくれたら嬉しいもの。
嬉しいから自然と会釈も出るもの。
譲り合い、朝から気持ち良く過ごせるもの。

毎朝同じ道をほぼ同じ人数で使っているのだから
そんなマナーすらないのが悲しいかな。と。

片方が止まってまってても対向車が飛ばして来たら
いくら通してあげたくても恐くて渡れないよね。
先頭がそんなんだと続いてくる車も歩行者に気付く確率は減るわけで、
結局待ってた意味がなくなってしまう。
後続車がいたらその分イライラ人口が増えるだけで、
かといってそんなに無神経にもなりきれなくって、
朝からやるせなくなるかならないかの境目でもあるのだ。
(横断歩道ですら頭を下げて渡る癖が付いてる人が多いのにも疑問。)
車に乗っていて申し訳ない気分になりそうだね。


ほんのちょっとでいいと思うんだ。
例えば自分の現地点から半径50メートル以内、
軽く見渡せる範囲で走って10秒程度の所。
走る歩幅で言えば30歩くらいかな?
その30歩先の相手助ける事は海を超える相手よりも遥かに簡単。
駆け付ける10秒という時間だって1日86400秒の内のたった10秒。
その10秒30歩で1日が気持ち良く過ごせるとしたら
それはとても素敵な事だと思うのだけれど。

波紋が広がって大きくなって消えてなくなる前に
次々と休まずに投げかけてくれる人が増えて
そうして世界を包んで行く事を今までに何人の人が望んだであろうか。
今現在何人の人が望んでいるのだろうか?

人に何かを与えられるというのは自分に余裕(ゆとり)があるから出来るわけで、
そんなゆとりを おりゃっと、投げかけながら
自己満足であろう幸せに浸ってみよう。

まずはゆとりのバケツリレーから。 ヽ(´▽`)ノ ヒトリデデキルモン!


urahihc |mailココロのスキマ

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