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■ 朝から、衝撃走り抜けて、「ギャグ漫画じゃあるまいし」と呟くの巻
今日は朝から雨降りで、いつも自転車でかっ飛ばす最寄駅までの道を歩かねばならず、しけっぽくて、髪の毛どんなにブローしてもボサボサのほわほわにたってしまって、「けっ」な感じだった。 それだけなら、まぁ、梅雨間近の雨降り天気で、湿気バリバリ〜な時のお約束…と諦められたのだが。
−−−我輩が、なにをしたというのでせふ? −−−あんまりだ、神サマ。 −−−つか、ギリギリでてきたから、 今更4Fの我が家まで戻ることもできないぜ、ベイビー。
「いってきます」と勢いよく駆け下りた階段下、自転車置き場に立ち尽くし、我輩ノ背中は、確実に「心はロンリー、気持ちは・・・」を地で言っていたと断言する。 ちくしょう、「背中がススけてるぜ?」と誰か言ってくれ!(←懐かしい見本市のような発言続発) 誰が考えたか、ワンタッチ・ポン。それで傘は片手で開く。 開いて、雨の中颯爽と歩き出す、始めの一歩を踏み出した、まさにその瞬間。 我輩は見てしまった。 見てはならないものを……。
『−−−−−傘が…傘が………縫い目からパックリ破れてるじゃん?うふvvv』
誰かうそだと言ってくれ!!!←心の叫び
この間、使って干した時は、無事だったぞ!絶対!確か!…多分。………の筈(沈黙)−−−−うわ〜〜〜ん! 流石、1000円で買った安物!ナイス呆けだ!(←ヤケクソ) 駄菓子菓子(だがしかし)! このまま歩き出さねば、電車に乗り遅れる=遅刻v 究極の二者択一で我輩が選んだのは………。
『このまま、GOv』
だった。 −−−−恥ずかしかったさ。 −−−−この21世紀に「破れ傘」さす、一般家庭に暮す若者(←我輩をさすにあたり、この表記であってるかしら?/自爆)がどこにいるぅううううう! (↑ここにいたし。(滅)/←自ら突っ込む)
人の目はそれ程他人の傘なんぞ見とりゃせん…と思いたかったが、こういうアクシデントがあると、自然に他人のカサなんかみちゃったりなんかしちゃったりして…「ああううう、自分と同じ目線で人の傘見てるヤツがいたら、『ありゃ、なんぞや?』と我輩の破れ傘をみて思っているに違いない!!」とかグルグル考えつつ、勿体無いので途中のコンビニで傘を買うという姑息な手段は使わず、正々堂々(?)破れ傘で通勤する我輩。−−−−そういや、この間の雨のときは、折りたたみ傘(それも使用数回目)をパッとひらいたら、骨組の先に糸で縫いつけられている筈の布が一箇所、ほどけてて、あれもいわゆる「壊れ傘」ってやつよね〜。あはははは。−−−−つか、なんで、どれもこれも、ただ保管してただけで糸が解けて,壊れるんじゃぁあああ!!!(絶叫)ドンガラガッシャン!ちゃぶ台ひっくり返すぞ、おるらあああ!
−−−と、斯くも、これほどに我輩は朝から衝撃を受けたのである。 ちなみに、帰りは会社のホチキスをつかって、縫い目の部分をバチンバチンと10箇所位止めて破れ目塞いで、ぱっと見普通の傘に見えるようにして帰ったとさ。(←荒業)−−−ソーイングセット、持ち歩こう。オトメの嗜みだぞ!とか物思う、今日の我輩(T■T|||
<今日は何の日?> 承久の乱が始まる(1221年) 水野忠邦が天保改革を行うと宣言(1841年) 上野の彰義隊が新政府軍と戦って敗れる(1868年) 犬養首相射殺。5・15事件(1932年) 初のナイロン製靴下が全米で発売(1940年) コミンテルン(第3インター)が解散決議(1948年) クリスマス島でイギリスの第1回水爆実験(1957年) 沖縄の施政権がアメリカから返還される(1972年) プロサッカーのJリーグ開幕(1993年
=記念日= ●沖縄復帰記念日 第2次世界大戦末期にアメリカ軍に占領され、1951年のサンフランシスコ条約の結果、アメリカ合衆国の統治下に置かれることとなった沖縄が、1972年5月15日、27年ぶりに日本へ返還された。沖縄はもともと琉球王国という独立国だったが、1609年から薩摩藩の支配を受け、明治維新に際して日本へ強制的に接収。1872年に琉球王国から琉球藩となり、1879年に琉球藩から沖縄県となった。
……31年前の今日ですか。というのが正直な所である。沖縄は日本で唯一、上陸線が行われた土地であり、数え切れないほどの悲惨な事が実際に起こった土地である。現代人には信じられないような考えがまかり通っていたあの頃、その強迫観念と戦時教育による刷りこみが、数多くの兵士を…そして非戦闘員をも、自ら「死」へと向かわせたのだ。−−−レミングの群が死ぬと解っていながら、海に飛び込むように、「玉砕」という自殺を選び取るようプログラムされた人々が沢山沢山惨たらしく死んでいった土地。でも、その時、彼等にとっては正しい選択であり、後年、今現代の常識をプログラムされている我々からすれば「戦争はよくない。戦争に負けて、降伏勧告があったとする。国際協定的に捕虜は保護されるというのが多くの国では一般的とされている考えかただ。だから投降すれば助かるのに、なぜ日本兵も日本人も投降しなかったのか?玉砕なんてナンセンス」という考え方をするかもしれない。−−−しかし、それは当時の日本に生きていなければ語る事は出来ない話だ。「正しい事」と今、我々が思っている基準は、戦後アメリカが「世界基準」として押しつけたものを日本に適応させた「常識」で一応「世界」が認めている「一般常識」であり「正義」である。それら全てが、あの戦争という時間の中で、全くベツのものを信じ、正義を教えこまれていたのだから、玉砕するという事を決めたその瞬間の彼らの正義を「正義ではない」と、とても云えない。いってはいけない。−−−たしかに戦争中の日本兵が行った一面だけを見れば、「非道」の一語につきる行いが行われていたし、それが「正当」とされていたことは、現代からすれば、「とんでもない」ことだ。−−−しかし、全ての日本兵がそうであったわけではない。命令されれば従わなければならない。それが兵隊というものだ。そして、彼らは確かに彼らの信念に従い、そして、多くの兵士が家族を守るためを信じて、そのために闘っていたのだ。正義とか信念とか、お国の為とか、そういうことより、なにより、闘わなければ家族が幸せになれないと、そんな時代だったのだろうと……戦争、戦後、其れ関連の記念日になると、どうもそういうことがグルグルと回る。過去の戦争という事実に関しては、色々な見方があり、強く主張する人もいるし、右より、左より、新聞も先生も、本もいろいろ言っている。だが、それについて、当事者以外がののしることも、批判することも、するべきではないと思う。ただ、過去にあった事は知るべきだ。知って、そして、未来にいかすべきだという事だけをしっかりおぼえておけば、それで十分であり。あとは、それぞれの国の戦争という傷跡が時折国同士の外交に「あのときのうらみ」「あのときの非道な行為をわすれたか」という感情を持ち出すような事になったとき、高度に政治的なやりとりとやらで、とりあえずカタをつけてくれればイイはなしであり、どうせ、当事者が生きている間は、なにをしたところで、納まるような感情ではないというものだ。殺せば恨まれる。恨みは相手がいるかぎりつづく。いや、いなくても記憶に残っている限りその記憶のなかの相手を恨み続ける…人間に「情」があるかぎり。 沖縄は返還されたとはいえ、いまだに島の半分以上米軍の基地関連に貸出中。それで返したと云えるのか?だが、自衛隊しかもたず、専守防衛をモットーとする日本には、「敵」と証する相手に対して有効な対抗手段は間借り人のアメリカ軍に依存・委託するより術がないのもまた事実だろうよ。金しかださねぇと文句をいうが、逆にアメリカにいってやりたいね。金もらったんなら、キリキリ守らんかい!とね。−−−つかそれ位の役にたってもらわにゃ、いるいみないだろ?あんたたち。−−−と、さりげなくグルグルトークで、わけわかんないが、これは我輩の個人的意見であり、葛藤であるので、読み飛ばすべし。以上
2003年05月15日(木)
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