- 2004年06月17日(木) 号泣する準備は出来ていた。 なんて本の題名ではないけれど。 そんな心構えがあったような気がします。 午前6時53分、祖母永眠 字にしてしまうとたった10文字程度。 そう、10文字程度なんですよ。 朝、電話が入りました。 7時ちょい前、もう永眠したあとだったようです。 母親は急いで病院に行こうとしました。 父親はもう全部わかっていたかのように、いつものように支度をして。 朝、いつもやっている風呂掃除をしていました。 こんな時じゃなくてもいいのに、と母は思ったかもしれません。 そうなんだけれども、 「こんな時だけれども、いつものように家のことをしてから来なさい。」 そんな祖母の気持ちが父にはわかっていたのかもしれません。 いつだって祖母は自分のことは最後でしたから。 だからこそ、いつもの家のことをしてから。 それから出発しました。 病院について、病室に行って。 そこには眠ったような祖母が居ました。 最後は苦しまず、眠ったように息を引き取ったようです。 顔にはもう表れないけれど、心の中では笑っていてくれたと思います。 父も、母も、伯母も、叔父も。 自分を含め全員が堰を切ったように、準備が出来ていたかのように。 号泣しました。 こうなることはわかっていたのに、心構えは出来ていたはずなのに。 ・意識は殆ど無いけれど生きている ・生きてはいない 見た目は変わりないのに、そこにはとても大きな違いがあるということ。 そう、死んでいるっている圧倒的な現状がそこにはあるってことです。 そしてそれは人間では抑えることの出来ない感情を生み出す、ということです。 そのあとはもう事務的な処理。 悲しみに浸っている時間はそれほど無く。 恐ろしいくらいの手際で葬儀屋はすべてを準備していきました それと祖父が入っている墓のある寺の住職に連絡。 あとあと聞いたところ、17日というのはその寺では「観音様の日」とされているようで。 祖母はこの日を待っていたのかもしれません。 時間も7時、ちょうど夜寝ることが出来て、起きる時間ですね。 すべては偶然なのかもしれないけれど。 そこには様々な因果がある気がします。 祖母はホントに自分のことは最後だったんで、みんなに休憩をとらせてから。 それから逝ったんでしょう。 そこまで気を使ってくれなくても良かったんですが。 それも祖母らしいといえばそうなのかもしれませんね。 午後からは弔問客が沢山。 準備に追われてかなり疲れました。 91歳でこれほどまで弔問客が来るのも珍しいかもしれないですね。 歳を取ってくるとなかなか外に出なくなるので。 親交が段々となくなっていくものですが、祖母には沢山の人が来てくれました。 それが夕方まで続いて。 夜は明日の通夜の準備。 明後日の告別式の準備。 それらに追われて一日が終わってしまいました。 思ってみれば23年も一緒に居たもので。 顔を見ると色んなことが思い出されます。 それは俺だけじゃなく。 我々親族一同ははそれを忘れないように。 祖母にはただ安らかに眠って欲しいと思います。 いじょ。 -
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