DEAD OR BASEBALL!

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Vol.206 開けてビックリ今岡誠
2010年10月28日(木)

 その男は、かつて「ミスタータイガースに最も近い男」と称されていた。

 今岡誠は、「天才」というよりも「異能の打者」だと思っている。

 03年には首位打者、05年には阪神球団記録を更新する147打点を叩き出して打点王を獲得。両年のリーグ制覇に大きく貢献した右の強打者だ。00年代序盤〜中盤における阪神最大の功労者の一人であり、阪神の顔と言ってもいい存在感を放っていた。

 今岡のバッティングを語る上で欠かせないシーンがある。99年のシーズン開幕戦、東京ドームで行われた巨人戦で……と言えば、多くの人が同じシーンを思い浮かべるのではないだろうか。

 巨人先発のマウンドには、巨人史上初の外国人開幕投手となったバルビーノ・ガルベスが立っていた。2回表、シーズン最初の打席に立った今岡。ガルベスが投じた得意のシュートは内角高めに抜けてくる明らかなボール球になったが、曲芸のような捌き方でバットを一閃すると、ボールは満員の阪神ファンが埋め尽くすレフトスタンドに叩き込まれた。

 マウンド上のガルベスは、悔しさを表すというより、唖然茫然としているような感じだったように記憶している。テレビ座敷で観戦していた私は、目の前で何が起こったのかを正しく理解することができなかった。涼しい顔でダイヤモンドを一周する今岡。あの嘘のようなバッティングは、恐らく一生忘れることができない。それぐらいのインパクトを私に残した。

 悪球打ちで、気持ちが乗っている時は初球からどんどんバットを振っていく。「なんでこんな球を」というようなボール球を簡単にヒットにしたかと思えば、ど真ん中にスーッと入ってきた甘いボールを何の気なしにあっさり空振りしたりもする。一流のバットマンであることに間違いはないが、送り出すベンチも、対戦するバッテリーも、そして観戦するファンも、全く予測ができない、そんな奇妙奇天烈な選手だ。

 あの野村克也をして「天才」と称された打棒は、一方で「あいつの真似をすると打撃が狂うからやめておけ」と楽天監督時代に評されたとも言われる。驚異的なヒットゾーンの広さと神懸かり的な内角球の捌き方は、確かに天才的な匂いを芳醇に発していた。だが、決して優等生的な洗練されたイメージがない打棒であったのも実感としてあり、ムラッ気が強いことも相まって「異能の打者」というイメージを私は持っている。

 故障の影響もあり、06年以降はタイトルホルダーとしての打棒どころか、一軍戦力としても満足する数字を残せなくなっていった今岡からは、徐々に得体の知れない怖さ、何をしでかすかわからない不気味さが感じられなくなっていった。撫でるような弱々しいバットスイングは、元々の鈍足も相まって度々併殺打の餌食になった。かつてはチーム屈指の強肩を誇っていた内野守備は、バネ指の影響でまともなスローイングすらできなくなり、何でもない悪送球も度々見られた。チャンスで打てなくなり、飄々と、というよりあっさりと凡打を繰り返す度、阪神ファンの溜息は深くなっていた。

 それでも私は、今岡が打席に立つ度に「今度は何かやらかしてくれるんじゃないか」と思って、そのバッティングを見つめていたような気がしている。テレビに映し出される打率は、1割台というおよそスタメン野手とは思えないもの。阪神ファンからの今岡に対する風当たりが強くなっていったのも、実感としてある。それでも何かを期待せずにはいられない、そんな打者が今岡誠という男だった。

 09年限りで阪神を退団した。2年続けて打率は1割台に終わり、09年は自己最低の23試合出場とシーズンの大半をファームで過ごした。事実上の戦力外通告だった。

 正直なところ、今岡は終わったと思った。トライアウトを経て、今年のキャンプ中にロッテが獲得を発表した時でさえ、今岡に活躍の期待を抱くことはできなくなっていた。もはやサードの守備を任せることはできず、ポジションはDHかファーストしかない。ロッテには新加入のキム・テギュン、長年レギュラーを張ってきたバットマン福浦和也というDH・ファースト候補の実力者がいる。恐らくロッテは手薄な右の代打要員として今岡を獲得したのだろうが、今岡は代打というより4打席のトータルで結果を残すタイプ。今岡が復活する光景というものを、どうしてもイメージすることができなかった。

 だから、今年のシーズンを開幕1軍で迎えた時は驚いた。序盤は代打やDHで起用され、前監督のボビー・バレンタインが付けていた背番号2を与えられたことからも、ロッテの今岡に対する期待が窺えた。それでもかつての打棒の片鱗すら発揮できず、交流戦期間中にファームに落ちたという一報を聞いて、これで今岡に対するチームの期待も萎むのかなと思った。

 チームがクライマックスシリーズ進出を賭け、瀬戸際の戦いを繰り返してた秋口、今岡は1軍に戻ってきた。2度のリーグ優勝に貢献し、アトランタ五輪というギリギリの戦いを味わっている経験を買ったのかもしれないと思った一方、ロッテにはWBCや五輪を経験している百戦錬磨の選手が揃っている。活躍の機会があるのか疑問だった。勝てばクライマックスシリーズ出場が決まるシーズン最終戦で2安打を放ち、気迫満点のヘッドスライディングでホームに生還してきた今岡を見ても、「まだまだこんなもんじゃないだろう」と思っていた。

 クライマックスシリーズ第2ステージ初戦、今岡は6番DHでスタメンに名を連ねた。対戦するソフトバンクの先発は、日本を代表する左腕である杉内俊哉。

 第1打席、その杉内の外角低めのストレートにきれいにバットを合わせた今岡の打球は、右中間を深々と切り裂いていった。それは、リードオフマンとして打線を牽引し首位打者を獲得した03年に多く見られた、今岡独特の打球だった。プレイボールと同時に、度々甲子園球場の広い右中間を越していったツーベースと同じ打球の軌跡。先制の口火を切り、結果的にはシリーズの主導権をさらっていったきれいなツーベースの弧。それを見て、久し振りに「このシリーズの今岡はやるかもしれない」と思った。得体の知れない、「何かやらかしてくれるんじゃないか」という期待感が、私の中に甦った。

 第4戦では陽耀勲から先制のホームランをレフトスタンドにしばき上げ、一方で5年ぶりとなる犠牲バントも決めた。このシリーズ、ロッテは1勝3敗という剣が峰から息を吹き返して日本シリーズ進出を果たしたが、その中心には確かに今岡誠という奇妙奇天烈な異能の打者が存在した。

 正直なところ、日本シリーズで今岡の出番があるかは、まだ保障されていないだろう。今岡が昨年まで阪神に在籍していたことは経験値としてあるだろうが、ここ数年の今岡はファーム暮らしが長く、本格化してきた後のチェンや吉見一起という左右のエース級とは対戦の経験がほとんどない筈である。キム・テギュン、福浦といった実力者を差し置いて再びスタメン起用されるかどうかは、かなり微妙なところだろう。

 それでも、今の今岡なら、何かをしでかしてくれそうな気がする。シーズン中の活躍は、お世辞にも充分チームに貢献したとは言い難い数字しか残っていない水準のもの。年齢的にも活躍的にも、来年以降の契約すら微妙な立場かもしれない。それでも、杉内からツーベースを打ってセカンドベース上でプロテクターを外す今岡、移籍後初のホームランを打ってダイヤモンドを一周する今岡は、阪神時代の晩年を忘れさせてくれる程にいい表情をしていた。かつて「ミスタータイガースに最も近い男」と呼ばれていた頃を思い出した。

 阪神時代、今岡は「もうこの試合はダメか……」というような状況を、平気な顔で引っ繰り返す打球を度々放ってきた。乗っている時の今岡は、周囲の状況などお構いなしに、涼しい顔をして何かをやらかす。阪神ファンの友人が、今岡に対して「何度裏切られても、何度ヘマしても、それでも今岡にはなんとなく期待しちゃうんだよなぁ。何だかんだで、阪神ファンは今岡のことが気になるし、好きなんだよなぁ」とボヤいていたことを思い出す。

 誰が言ったか「開けてビックリ今岡誠」――玉手箱のような得体の知れない怖さ、そして期待感は、ガルベスから神懸かり的なホームランを打って度肝を抜いたあの日から、まだ繋がっていた。短期決戦におけるジョーカーとして、奇妙奇天烈な異能の打者は、私達の思惑とはかけ離れたところでとんでもないことをしでかすかもしれない。

 そんなささやかな期待を、日本シリーズの今岡誠に対して、私はかけている。今年の日本一を決める日本シリーズは、いよいよ明後日10月30日、開幕――。



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