2005年のNPBの統一スローガンが、「フルスイング!プロ野球。」 に決定したという。NPBの公式サイトによると、その趣旨はこのようなものということ。 『フルスイング宣言 2005年、プロ野球はフルスイングします。 勝っても、負けても、フルスイングしたプレー、ゲームから感動が生み出されます。 セ、パ交流戦、世界の舞台へ飛び出す野球へとフルスイングで挑戦です。 グラウンドの一投一打にフルスイングの思いをこめて、さあ、プレーボール! 2005年のプロ野球にご期待ください。 日本プロフェッショナル野球組織』 少々安っぽいきらいはあるものの、悪くないスローガンだと思う。 球界全体を混乱に巻き込んだ昨年の騒動をきっかけに、プロ野球に対する目線に冷ややかなものが大きくなったという危機感は、恐らくプロ野球そのものの存在意義を揺るがした筈である。 原点回帰と言えば益々安っぽくなってしまうが、改めてその立場に戻り、全力で面白いプロ野球をやろうという宣言であるならば、それは前向きに受け止めて、これから開幕を迎えるシーズンを心待ちにしてもいい筈だ。 具体策が同時に明示されていないのは気になるが、まずはグラウンドに目を向けて、新たなシーズン、選手たちが全力で繰り広げるプレーを堪能できればいいと思う。 松坂大輔が、キャンプやオープン戦期間中、数十分もファンの為に立ち止まってサインを書き続けていることに関して、「(プロとして)当たり前のことだから」という趣旨で答えていたという。 今年から、東京ドームや横浜スタジアムといった一部の球場では、内野フェンスのネットが取り払われ、メジャースタイルの仕様になった。 私も19日、実際に横浜スタジアムにオープン戦を観に行ったのだが、確かに視界が違う。視界で感じるプレーのスピード感が、ネット有りとネット無しでは明らかに違うのだと感じた。よりダイナミズムに溢れた野球が楽しめる環境としては、歓迎してもいいことだと思う。 試合前の練習中には、ファンが大勢ネットのなくなったフェンスに集まり、手に触れられる距離で選手たちにサインを求めていた。選手も気さくに応じていたように見える。 選手たちは恐らく、危機感を持っている筈だ。確かに昨年の騒動は一段落したように見えるが、まだ根本的な問題が解決した訳ではなく、多くの問題が現在進行形でいまも持ち越されたままである。だからこそ、せめて野球そのものの舞台であるグラウンドでは、選手たちもファンに不信感のようなものを抱かせてはいけない。ネットを介さずにサインをファンに手渡す選手たちからは、そのような危機感がうっすら滲み出ていたように感じた。 スタンドには、グラブを持参して観戦に訪れたファンも多数見かけた。何から何までアメリカンスタイルであればいいとは思わないが、グラブやボールに親しむことは、敢えて大局的な目で見れば、この国の野球環境の底辺を広く強くしていくことに繋がる筈だ。グラブを持って球場に行く、ということがひとつの大きな野球観戦の醍醐味になれば、それはそれで単純ではあるが新たな野球の楽しみ方になる。 フルスイングというスローガンは、双方向性のものであればいいと思う。選手はもちろん、グラウンドで全力のプレーを披露し、ファンは全力でそのプレーを浴びることができればいい。ファールボールをグラブで追いかけるということは、選手の繰り出した全力を、ファンが物理的に受け止めるということであると思う。 恐らく、打球が当たって観客がケガをする、という事故は今年増えるだろう。余所見をしていなくても、トイレに立とうとして後ろを向いた瞬間に打球が当たる、という可能性だってゼロじゃない。だが、リスクの可能性を言い出したらキリがないし、リスクが全てゼロになるということもあり得ない。 プロ野球がフルスイングというスローガンを掲げた以上、そのフルスイングを全力で体感しようとすることは、昨年の騒動を経てもなお野球への愛着を失わず、球場にきて野球を観戦しようとするファンの責務であると思う。 目には目を、そして全力には全力を。フルスイングという言葉は、確かに抽象的ではある。だが、何がフルスイングなのか、それを見極める価値基準はファンそれぞれで違うだろうし、それを嗅ぎ分けることの楽しみはファンに残されている。その意味は、恐らく選手たちの方が分かっている筈だ。 面白いプロ野球、ことグラウンドに関して言うならば、今年はより期待してもいい筈だ。実際に肌で感じて、面白くないと感じるのであれば、それはそれで仕方ない。だが、野球が好きである以上、自分から積極的に楽しもうとする姿勢だけは失いたくない。 減点方式がスタンダードのこの国において、せめて好きなスポーツぐらいは加点方式で楽しめればいいな、と思う。 23日からセンバツ高校野球が始まる。高校野球に対しては、毎年決まりきったパターンの批判が飛び交う。 教育の一環というにはあまりにもスケジュールが過密で選手が壊れる、軍隊式の練習に行進が本当にスポーツと言えるのか、主催新聞社のカネ儲けに過ぎない……確かにそれは、事実の一断面であるように思う。毎年そういった批判が繰り返されるということは、そういった弊害に対して有効的なメスが入っていないということでもあるのだろう。 一方で、熱心な高校野球ファンという人々も確かに存在する。そういったファンが、高校野球における“功罪相半ば”の“罪”という部分を全く意識していない、ということもないだろうと思う。何より、実際に甲子園のグラウンドに立つことを夢見て、全てを承知で投げ打ってでも野球に打ち込みたいという選手も、恐らく日本中に数え切れないほどいるのだろう、と思う。 私も、現状の高校野球には問題は山積していると思う。多くの評論家が言うように、その問題点を「汗と涙と感動」で覆い隠そうとする主催者側の姿勢には、疑問を通り越して「よくもいけしゃあしゃあと」と思う。だが、グラウンドで選手たちが汗と泥にまみれて白球を追っているのは紛れもない事実だし、その姿が感動を生むこともまた否定できない。 今年になって、危機感に煽られたプロ野球が改めて打ち出したスローガンが、フルスイングだった。多くのファンが高校野球に魅せられるのは、ひとつでも負けたらお終い、という残酷なまでの設定によるのではないだろうか。それはつまり、残酷な設定故のフルスイング故に生み出されるものだろう。 そして、残酷な設定故に、そこに描き出される勝利と敗北のコントラストは、それ以上に残酷に映ってしまう。その衝撃の大きさが、明日なき死闘を生み出し、それを構成する多くのフルスイングに、ファンは魅了されるのでは、と思うのだ。 大局的に見るなら、選手たちが経験する実戦の数が少なくなるトーナメント方式が主流である日本スポーツの現状は、育成という観点に立つのであるならば弊害の方が大きいように思う。だが、そうである故に生み出される残酷でシビアな世界があり、それもまた魅力を持っているという事実は無視できない。 常に目の前にある勝利の為に全力を尽くす――勝利の定義がゲーム単位のものであろうと政治単位のものであろうと、これは極めて重要なことだろう。 海の向こうでは、薬物疑惑が議会をも巻き込んだ大騒動に発展している。全力を尽くし、より高いパフォーマンスの為に、薬物で自らの肉体を作り上げる。そのことの是非を問う気は、いまのところない。だが、きっかけはどうであれその疑惑が白日の下に晒されてしまった以上、ファンに説明する責務はあると思う。 薬物を使用したとされる選手にとって、それが事実であるならば、それがどのようなことかを全て承知した上で使用した選手も多い筈だ。より強い力を得られる方法があるなら、アスリートであるべくそれを使う……それがアンフェアなのかそうでないのか、正直私には判断がつかない。だが、事実がどちらにしても、それを語らないというのであればアンフェアだと思う。 スポーツの根本的、且つ最終的な至上命題が「勝利すること」であるならば、それに向かって突き進むということはフルスイングと言えると思う。だがそれは同時に、フェアでなければファンの支持は得られない。そして今年、きっかけは異なるとは言え、日米双方でファンがフェアなフルスイングに向ける目線というのは、かなりシビアなものになる筈だ。だが、同時にそれは期待の裏返しでもある。 『選手、球団などすべてのプロ野球人が一丸となって、プロ野球界発展のために全力で盛り上げるよう「フルスイング!」することを誓う』というのが、NPBの公式な声明である。ならば、プレーに対してもファンに対しても、フェアでいてほしいと思う。そしてファンも、選手のプレーや野球そのものに対してフェアであればいいと思う。 それが結果的に、ゾクゾクするような興奮をもたらすフルスイングを生み出す筈だと、一介の野球好きは信じている。
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