DEAD OR BASEBALL!

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Vol.178 ネーミングライツ問題の多次元性
2004年02月19日(木)

 球界内外から総スカンを食らい、球団発表から僅か5日で白紙撤回というドタバタ劇に終わった近鉄球団の球団名の命名権(ネーミングライツ)売却問題だが、改めて考えてみると、この問題は極めて複雑な下地を前提として成り立っている問題である。平たく言えば、近鉄の名前を売ろうとした近鉄球団の暴走、という一次元的な問題で終わらせてはいけない問題だと思うのだ。

 この問題を論じるとき、「なぜ近鉄球団が球団名を売ろうとしたのか」という問題から視点を掘り下げていく必要がある。近鉄球団は球団名を売らなければならない程に財政が逼迫しているのか。そうであるならば、わずか3年前にリーグ優勝にまで上り詰めた球団がなぜそこまでの状況に追い詰められているのか。ダイエーの問題もある以上、球団財政の問題は近鉄球団だけの問題ではない筈である。ここからスタートしなければならない。

 これまでの日本球界は、横浜ベイスターズ以外の球団名に企業の名前が冠せられていることが示しているように、特定企業やその関連企業の所有物であるという認識が強かった。渡邊恒雄・巨人オーナーは、原辰徳前監督の辞任会見の場でそのことを「読売グループ内の人事異動だ」と答えた。この発言は、親会社が球団をどう捉えているかということ、球団を所有することに対する親会社の意識を端的に示していると思う。

 球団は親会社の所有物であるが故に、球団の収支は独立採算とは程遠く、球団が出した赤字を親会社で補填するということは珍しくないと伝えられている。球団代表やオーナーには親会社から出向してきた人間が就き、スポーツビジネスのプロとは程遠い人材がどんぶり勘定で築いた収支を親会社で補填する、という球団経営の悪習慣が球界の構造をイビツな形にしてきた。

 球団を所有する親会社の羽振りが良い時代なら、その程度のいい加減な球団経営でも成立させてこられた。しかしダイエーの問題に象徴されるように、親会社が球団を所有物として扱い、営業媒体や宣伝媒体の域を出ないままおざなりの経営を続けるという日本独特の惰性的球団経営は、不況の煽りを受けて行き詰まりの様相を見せてきた。

 それぞれの球団に、本当の意味での球団経営がやっと求められる時代が到来したと言える。球団それ自体が独立採算制を敷き、期限と目標をきっちり定めた経営計画に基づき球団を運営し、それぞれの達成責任を明確にする。横浜ベイスターズのファームである湘南シーレックスが暗中模索してきた体制を、多くの球団もこれから求められていく。そうならざるを得ない状況になったと言ってもいいだろう。

 一般社会でごくごく当たり前に行われてきた経営が球界にも求められてきたということは、短期的に見ればダイエー問題のような膿を噴出させるきっかけだが、長期的に見れば正常な経営体質による正常な経営を徹底させるカンフル剤とも言える。これまでの状況があまりにも異常だったことを考えれば、そのことは肯定的に捉えられてもいいことの筈である。

 球団独自の経営努力が、真っ当に求められるということである。俗っぽい言い方をすれば、自分で稼いで自分で食べていく身の丈に合った自己責任の徹底という、ごくごく当たり前のことだろう。

 そこで話は近鉄の球団命名権売却問題に戻る。近鉄は球団名を売るという自助努力をしなければならない状況にある、と考えることができる以上、これは相当な選択だった筈だ。

 世間では近鉄の下した判断はさも安易だったように言われている。それは確かに事実ではあるが、そこに至るまでの過程というものに想いを巡らすならば、一口に安易という言葉で片付ける訳にはいかない。この問題は球界全体に対する問題提起でもあるからだ。

 近鉄はネーミングライツに年間36億円の価値を見出していた、とマスコミ報道では伝えられている。36億円という金額は、球団の抱える全選手の年俸を賄える金額である。巨額な金額であることは間違いないが、今回の件で近鉄球団が注目されたことの広告費用対効果から考えれば、リーグ優勝時の宣伝効果が300億円以上と言われている以上、叩き売りにも近い金額であると言える。

 企業が球団を買収し球界に新規参加する場合、30億円という加盟料を球界に納めなければならない。この30億円という金額はゴルフ会員権と同じようなもので、参加費以上の意味は存在しない。

 現在の経済状態を考えれば、参加費だけに30億円もの大金を右から左に動かせる企業はそうそうないと思われる。しかし、球団名に企業名が使われ、グッズ等の露出効果まで含めて考えれば、球団名の買い取りは球団そのものの買収に匹敵する宣伝効果を期待できる。30億円の加盟料を素通りした上で買収と同等の宣伝効果を得られるなら、ネーミングライツ年間36億円は叩き売りに近いという算段は立つ筈で、少なくとも買い手にとっては旨味のある話だ。

 身売りの話は以前から囁かれていたが、買い手がないことにはどうにもならず、最終的に売却先が見つからないことにはイメージダウンという負の遺産だけが残る。運営費を稼ぎ、売却のトラブルも避けるという、その落とし所がネーミングライツの売却だったのではと思うのだ。

 球団名を売り飛ばすその手法は、結果としてファンの心理を傷付け、球団のイメージを逆に貶めたという評判に直結した。確かにその手法は浅はかだったと言わざるを得ないが、目論見が事前にリークし、引っ込みがつかなくなったところで急遽発表するという、極めて不自然な強引さを生み出したイレギュラーが火に油を注いだのも事実だろう。

 手法の問題は大きかったが、大局的に見れば、球団が独立採算という理念の上に立ち、親会社の庇護から脱却し、なりふり構わなくても自助努力の手段を模索したという事実は評価する必要があるのではないだろうか。

 現状では全く自助努力の必要がない巨人の渡邊オーナーが猛烈に反対したことで、ネーミングライツ問題は近鉄にとって急速に旗色が悪くなった。球団発表から5日後の撤回という急転直下的スピードの中で、この問題の根本的下地が表舞台に晒されず、渡邊オーナーの威光だけが印象として色濃く残った。この事実は、近鉄球団の浅はかさという一次元的な問題よりも遥かに大きい、抜本的で多次元的な問題だった筈である。

 特定の球団を除き、真っ当な自助努力に基づく経営態勢が求められる球団は、これからどんどん表舞台に晒されていく筈である。選手の年俸高騰と無関係でないこの問題は、有力選手獲得に大金が動かされ続けているアンバランスな現状と相俟って、球界全体の首をジワジワと、しかしはっきりと絞めていくと言っていい。メジャーへの選手流出が止まらない背景にも、この問題は強く影響している筈だ。

 親会社という殻が外れないまま経営努力という抽象的過ぎる言葉を並べたところで、運営の限界が目の前に迫っているという事実からは逃れられないということを、近年のダイエーや今回の近鉄は如実に示した。この問題はつまるところそこに行き着くのだが、渡邊オーナーが睨みを効かす中、その問題には今回も触れられることなく終息してしまった。

 近鉄球団の命名権売却という方法論は、確かに問題だった。しかしこの問題を論じるならば、真っ当な球団運営、つまりは親会社の縛りを外し独立採算制の下地を球界全体で作るという議論が必要不可欠である筈だ。その問題が論じられなければ、この問題にピリオドを打つことは許されないことである。

 今回の問題は、近鉄球団だけの問題ではなく、球界全体の問題として捉える必要がある。近鉄球団の無策さを笑い、目くじらを立てているだけでは、実際問題として何の解決にもならない筈だ。1つの球団が消えるということは、その球団だけの問題ではなく、球界全体のプライマリィバランスの崩壊にも直結していく。

 近鉄球団が今回示した警鐘を改めて全体で問い直す必要があるのではないか、と思うのだ。様々な次元から捉え、根本から掘り起こしていくことこそ、今回の件で求められていることだろう。



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