日本一から僅か一週間後の衝撃。3日、ダイエーが小久保裕紀の巨人への無償トレードによる移籍を発表した。小久保は昨年までのダイエーの4番打者で、95年に本塁打王、97年に打点王を獲得した強打者。今年はオープン戦で右ヒザに重傷を負い試合出場がなかったが、00年から3年間選手会長を務め、戦力的・精神的にダイエーの柱。 詳細は一般の報道でも伝えられているが、どこをどう見ても不可解な電撃移籍であるという以外に、言い様が見つからない。 ダイエー本社の経営事情に伴い高額年俸選手を抱えきれなくなった、ということが理由の一つとして推測されているが、ファンにとってダイエー球団とダイエー本社の事情がリンクするかどうかは問題ではないだろうと思われる。ファン不在の球界構造が浮き彫りになった事例と言うことはできるだろう。 小久保と球団フロントには、数年前から確執があったと伝えられている。見返りのない無償放出という形になっても、小久保の2億円近い年俸を浮かせることができれば、うるさ型の小久保を“排除”しつつ一石二鳥、という見方もある。加えて今年の日本一で主力選手の大幅年俸アップは避けられない状況。 小久保がチームを去るという理由付けは色々と推測できるが、その件について中内正オーナーから明確な説明はなかった。 FA権を行使する見込みの村松有人。ポスティングシステムでの大リーグ移籍を希望する井口資仁。そして今回の小久保の移籍に伴い、日本一の祝賀会場で「来年は小久保さんと一緒にもう一度優勝しよう」と叫んだ現選手会長の松中信彦は、「僕らも同じ目に遭うということ。この球団は勝ちたくないとしか思えない。連覇の意欲が急激に薄れている」と、球団の在り様を痛烈に批判した。 300万人を越す観客動員を誇るパ・リーグ最大の人気球団から、選手からの求心力が失われているような印象を受ける。小久保は会見の席で「経営者の意見と選手の意見が交わることはないし、期待もしていない」と吐き捨てたという。企業の事情で放出された小久保が、逆にダイエーに三行半を突き付けた格好だが、逆指名で入団し4番を務めてきた選手会長とその球団のやりとりにしては、後味の悪さしか残らない顛末に見える。 移籍先が巨人になった理由は、小久保ほどの年俸の選手を無条件で受け入れられる球団が巨人以外になかった、というところが本音だろう。10月31日に福岡で行われたオーナー会議の場で、中内オーナーが巨人の渡邊恒雄オーナーに話を持ち込み了承を得たという。あまりにも急な話だったようだが、一つだけ言えることは、このトレードに絡んだ人間の中で小久保裕紀という選手のことを真摯に考えた人間は一人もいなかったのではないか、ということだ。 近鉄のタフィ・ローズ、西武の松井稼頭央の獲得をも目論んでいる巨人に戦力が集中する、という毎度恒例の批判はひとまず置いておく。こういう移籍劇がまかり通るようになれば、これは本社に経営問題を抱えるダイエーだけの問題では済まなくなる。 高年俸だから抱えきれなくなり放出対象になる……ということはJリーグで見られた現象だが、この現象がプロ野球でも“悪しき前例”となれば、一流選手ほど放出の危機に晒されるという、プロスポーツとして極めてイビツな構造が顕在化することになる。 選手の価値を高めるのは選手自身の力量だが、それは自身を、言葉は悪いが“商品”として売り込む自由が保証されてこそのもの。FA権の存在する意味とは、本来そういうものだった筈だ。今回の件は、FA権の存在意義すら危うくさせるものと言っていいだろう。 恐らく小久保に選択肢はなかった筈だ。球団は小久保のはっきりした物言いと高年俸が邪魔になり、その高年俸を右から左に動かせる球団の最右翼が巨人。小久保も恐らくダイエー球団に見切りをつけていた。となれば、移籍先は事前に無償トレードを了承した巨人以外になくなる。 小久保の「この1、2年、環境を変えたい気持ちははずっとあった。ダイエーを出るならいましかないと思った」というコメントを額面通りに受け取れば、小久保と球団の利害が一致した結果とも見ることができる。しかし、小久保のモチベーションの低下を招いたものがネガティブな理由によるものならば、それはやはりネガティブな移籍劇としか思えなくなる。 ネガティブな移籍がポジティブな循環を生む道理はない。巨人の堀内監督は、小久保と江藤智を三塁手で競わせる意向らしいが、小久保の加入が近年不振の江藤に発破をかけることになっても、どちらかがベンチに座るという事実は恐らく動かない。年俸2億円を越す超大物選手が、ケガでもなくベンチに座るということを良しとする環境は、それが小久保にしても江藤にしても野球界にとって大きな損失になる筈だ。 江藤が玉突きトレードで放出される、という話が昨年から随分と出ていた。しかし近年の江藤の成績を見て、2億円以上の年俸を払ってでも獲得したいという意思と資金力のある球団は、果たしてあるのだろうか。そうなると江藤は自由契約、自分で自分の価値を落とし、プロ野球選手としてのレゾンデートルを自分で貶めない限り、プロ野球選手の道が閉ざされるということになる。 無節操な選手の獲得が、他の選手を理不尽に不幸にする。それはその選手自身はもちろん、ファンにとっても不幸な損失だ。「ネガティブな移籍がポジティブな循環を生む道理はない」とは、そういうことである。 これをセ・リーグ優勝の阪神に当てはめると、片岡篤史とジョージ・アリアスが危ないという仮説も成立する。 今年のドラフトで阪神は、“東京六大学最高のショート”と言われている早稲田大の鳥谷敬を自由枠で獲得する見込みだが、それに伴いショートの藤本敦志をセカンドに、今年首位打者の今岡誠をサードに回す案が浮上しているという。濱中おさむの復帰を前提に考えれば、ファーストにはアリアス、片岡、そして選手会長の桧山進次郎の3人が集中することになる。この中で最も年俸が安い選手会長の桧山に優先度があるとすれば、アリアスと片岡は守る位置がない。 アリアスは帰国前のコメントで年俸面での徹底抗戦をほのめかし、片岡も今年の復調があったとは言え、年齢的にも年俸面でも費用対効果の点で球団の心象は100%ではない。そして今年は、優勝フィーバーで主力選手の年俸の高騰が避けられない展開。費用を浮かせる為に、アリアスか片岡のどちらか、あるいは両者が放出される可能性が浮上する。 荒唐無稽な話かもしれないが、小久保の放出が“悪しき前例”になるということは、戦力になるだけの実力を持った選手が、球団と親会社の事情で半強制的に戦力外にされる可能性の怖さを示している。そして、その選手を受け入れる可能性のある球団は、この国では極めて限られた状況。資金力の絶望的な格差と各球団首脳の節操の無さが一流選手をベンチに偏在させ、さらに球界の体力を落としていくという悪循環は、まさしく日本球界をデフレの泥沼に叩き込む核爆弾。 大リーグでは高年俸を嫌って主力選手を放出ということも頻繁にあるが、球団の数と選手の底辺層に差がある日本では、その弊害は大リーグよりも遥かに大きい。そしてこの数年の日本球界では、戦力補強に資金を費やせる球団が覇権を握るという傾向が如実に出てきている。 今回の小久保の移籍劇は、“悪しき前例”としての爆弾を球界に何個も落とすことになる。その爆弾は、すでに何個か破裂していると言ってもいい状況だ。 滞空時間の長い小久保のホームランは、福岡のファンに愛された。福岡の球団を逆指名し、福岡に愛され、選手からも信頼された不動の4番が、そこにいない。結局最後に泣かされるのは、親会社に振り回される現場と不在者扱いされているファンという、哀しい現実がそこにある。
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