DEAD OR BASEBALL!

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Vol.150 ボロボロの“生きた伝説”
2003年10月26日(日)

 恐らく彼の快腕は、このまま伝説になってしまうのだろう。だが、ファンというのは残酷なものだ。彼のあの眩かった投球に、もう叶うことはないと半ば理解しても、それでも夢の続きを重ねてしまう。

 25日、埼玉の戸田球場で行われたコスモスリーグ、巨人−ヤクルト戦。昨年に続く“残留試験”で、誰の目にも明らかな不合格の投球を曝け出し、それでもなお現役続行の意思を持ち続けている。そんな伊藤智仁の胸中を測り知ることはできない。

 昨年の10月24日が最後の登板になる筈だった。1年前に行われた現役続行試験。現場の評価は厳しいものだったが、8000万円の年俸から88%ダウンの1000万円で契約し、復活に賭けた。そして今年、現実はどこまでも冷酷だった。伊藤が記録した最高球速はわずか109km。セ・リーグの強打者に「目の前で消える」と言わしめた代名詞の高速スライダーは、キレに乏しいスローカーブと見分けがつかなくなっていたという。

 三菱自動車京都から、松井秀喜(ヤンキース)と同じく92年にドラフト1位でヤクルトに入団。150kmを超える快速球と必殺の高速スライダーを武器に、4完封を含む7完投をあげた伊藤は、7勝2敗で新人王を獲得。109イニングを投げて126奪三振、防御率0.91という数字は、勝ち星の数以上にこの年の伊藤のピッチングが圧倒的なものだったことを示している。

 セ・リーグタイ記録の1試合16奪三振を奪った試合では、巨人の篠塚和典にサヨナラ本塁打を浴びて負け投手。結果論的になるが、鬼神の如きマウンド上の姿と反対に、その整った細身の顔立ちとも相俟って、悲劇すら似合うような悲壮感も漂わせていたのが伊藤智仁という投手だったように思う。

 肩の故障で戦列を離れ、本格的に復帰したのは97年。高津臣吾に変わりクローザーを任されたのは、肩の具合と相談しつつ少ない球数で、という事情もあったのだろう。34試合の登板に終わったが、7勝2敗19セーブ、防御率1.51の数字と、47回2/3を投げてわずか23安打しか許していないその投球に、多くのファンが「伊藤智仁復活」を確信した筈だ。

 その後3年は先発に戻る。93年ほどの鬼神ぶりは影を潜め、規定投球回数に到達したのも98年のみ(158回2/3)だったが、決して試合を壊さないその安定感は、ヤクルトの先発陣の中でも際立っていた。

 「体調さえ万全ならエース」、伊藤は93年の故障離脱以後、常にそう言われてきた。手足がスラリと長く見栄えのする風貌、流麗な投球フォーム、そして芸術品とも言われたその高速スライダーに、多くのファンが魅了され、彼の完全復活を夢見てきた。伊藤が全開で投げたのは1年目の93年だけだった印象が強いが、その1年でとてつもなく強烈な印象を残した伊藤は、あの松坂大輔(西武)を凌駕する投手だったと言っても過言ではない。

 01年4月10日、甲子園での阪神戦に先発した伊藤は、4イニングを無失点に抑えて急遽降板。この年最初の登板を最後に、伊藤は一軍のマウンドから姿を消した。再発した肩の故障。そして、昨年の現役続行試験。年俸を犠牲にしてまで繋げた首の皮は、一年後にさらなる過酷な現実を突き付けられた上でちぎれ落ちようとしている。

 伊藤は、登板後の会見で「引退」の二文字を口に出さなかったという。『久々に違うユニホームの選手に投げて楽しかった。懐かしかった。試合は面白いですね』というコメントは、ある種の達観すら感じさせるものだ。

 安田編成部長は『予想通り。あのピッチングを見たら合格と言えない。厳しいです』。現場とフロントの、伊藤に対する評価は既に固まっているようだ。伊藤も恐らくそれはわかっているだろう。試合後に伊藤は、戸田寮で安田編成部長に現役続行の希望を伝えたが、『決めるのは自分じゃない。球団の決定に従います』と、去年ほどの現役続行の意欲は削がれているようにも感じる。

 まだ本人の口からは何も発表されていないが、この日本シリーズ後に勇退が伝えられている阪神の星野仙一監督のことを思う。

 星野は、阪神をわずか2年でリーグ優勝に引き上げ、そして自身がこれまで到達できなかった日本一に王手をかけ福岡に乗り込んでいる。勇退の理由は身体的なものだと伝えられているが、星野はずっと引き際を探っていたのかもしれない。確かにここで辞めるのは、星野の監督としての地位を中日時代より格段に引き上げた上での辞任になる筈だ。

 ヤクルトの監督時代にID野球で名将の座を不動にした野村克也は、阪神の監督として3年連続最下位の屈辱に沈み、名将の座すら揺らいだ上での解任に追い込まれた。厳しい言い方をすれば晩節を汚した格好だが、良い時に敢えて辞めるというのも、去り際の背中としては至極美しいものだ。

 星野はイメージ的にそういう打算で動く監督だとは考えにくいが、「自分の仕事は終わった」という感覚は少なからずあるだろうと思う。仕事を成し遂げた時点で一つの区切りとし、そして辞める。それは結果的に、星野を野球人として中日時代よりも箔の付いた存在にするだろう。

 その対極にあるのが、ボロボロになったいまでも現役続行の意欲を失わない伊藤の姿であるように思えて仕方ない。直球のマックスが109kmでは、プロ野球選手としてやっていけないことは誰の目にも明らかだ。あの輝きに輝いていた伊藤の姿がいまも瞼に焼き付いている身としては、その意欲が痛々しくすら感じてしまう。

 そんなボロボロになっている伊藤の姿に、それでも夢を見てしまうのは、伊藤智仁という選手のファンの一人として、ひどく残酷なことなのかもしれない。現実は既に目の前にある。恐らく今年こそその現実が揺らぐことはない。それでも――。

 潔く去っていく背中は格好よく見える。「まだやれるのに」と言われながら現役を退くロジャー・クレメンス(ヤンキース)のような“生きた伝説”もある。星野も、ここで辞めることで名監督の座を不動のものにするだろう。その裏側で今年も、ボロボロになってひっそりとユニフォームを脱いでいく選手は数多い。

 ボロボロになりながら、それでも伊藤の散り際を惜しむファンは、きっと多い。ヤクルトファン以外にも鮮烈な印象を残した伊藤智仁は、ボロボロになったいまも、恐らく多くのファンにとって“生きた伝説”であることに違いない。

 直球が109kmでも現役に希望を捨てない伊藤は、決して往生際の悪い見苦しい選手ではない。ボロボロの“生きた伝説”――彼が伊藤智仁だからこそ許される散り際。愛おしさすら感じる去り際。

 1年限りの伝説に、今後も胸を震わせ続けることになるだろう。復活は夢に終わる。けれども、彼の姿は記憶にしっかりと刻み込まれ、決して散ることはない。

 素晴らしい選手だった。最終決定は28日に下されるが、ひとまずはこう伝えたい。お疲れ様でした、伊藤智仁選手。もうこれ以上、ボロボロにならなくてもいいんですよ。



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