DEAD OR BASEBALL!

oz【MAIL

Vol.141 マークシートを塗り潰せ
2003年07月08日(火)

 オールスターゲームのファン投票が揺れに揺れたことは、図らずも現代におけるファン投票の在り方というものの難しさを顕在化させることになった。

 混乱を招いたのはインターネット投票の存在だが、広くファンの意向を募れるインターネット投票を存続させたいという機構側の言い分は納得できる。今回の問題は、「じゃあインターネット投票をやめればいい」と言うような短絡的な話で終わることではない。

 一部の心無い人達による悪意としか思えない投票が、一人の選手の心を深く傷付けた。投票が集まり始めた当初は本人も「頑張れという応援票だと思った」と言うのだから、裏切られたという感情もあるかもしれない。既に今から「来年は誰に……」と狩りの獲物を物色する書き込みも見えているという。

 長谷川一雄コミッショナー事務局長は「根本的には皆さんの良識にすがるしかない」と言うが、今回の騒動を見れば、そういう人達に初めから存在しない良心に期待するのも野暮というものだろう。もちろん理想論を言えば、「ファンからの期待のみを抽出した票が投票されれば……」という想いは理解できるし、私もそう願っている。ただ、今回のようなテロ的な投票行為が現実化してしまった以上、何かしらの対策は必要になるという論調が圧倒的になるのもやむを得ない。

 これは野球ファンの、と言うよりも完全に日本人の民度の問題だから、スポーツ的見地からの解決策はないに等しいのかもしれない。この国において、プロ野球のオールスターゲームがごく一部の一般大衆にとってオモチャ以下になったという現実は、もはや問題はオールスターゲームをどうこうすればいいということではないことを示している。

 野球的解決策はないに等しいが、広くプロテクトをかけた時に被害を真っ先に被るのは、破廉恥な投票とは一切関係ない熱心な野球ファンになる。ここにこの問題の難しさがある。オールスターゲームをオモチャ以下に扱った人間の手によって、そこに何かしらの夢や期待を抱いているファンに規制がかかってしまう。だからこの問題は根深い。

 平たく言えば、オールスターゲームからますますファンの意思が遠のいていくということ。その原因がオールスターゲームを冒涜している輩の信じ難い行為なのだから、ファンはその怒りをどこに向ければいいというのか。

 プロアスリートに対してのリスペクトが民衆の根底にあるアメリカなら、こういうことはまず起こらないと思う。メジャーリーグでも組織票問題が顕在化した58年から12年間ファン投票を廃止した時期があるが、今回の問題はそれとは全く色合いが違うだろう。

 選手に対して尊敬の念を抱けるかどうか、これはその国のスポーツ民度を測る最も簡単な線引きであるが、日本などで特定球団の選手に票が集まりやすい状況は、それでもその球団の選手に対するリスペクトを感じさせるものだった。今回のように選手が吊るし上げにあった事例など聞いたことがない。

 それがファンからの叱咤激励ならまだ理解できなくもないが、今から獲物が物色されてる状況を考えればそうでないことははっきりしている。この国の野球好きの一人として、これ程までに悲しいことはない。

 選出資格に過去数年の成績を設ける動きはあるかもしれない。投手なら過去2年で100イニング以上登板であるとか60試合以上登板、野手なら過去2年で140試合以上出場とか100打席以上というように、ある程度「試合に出た」という実績がない選手は選出資格がないとすれば、少なくとも今回のようなことは起きなくなるだろう。

 ただもしそうなれば、仮に今年千葉ロッテの黒木知宏がオールスター前に全快できる見通しが立ったとした時、絶大な人気を誇るジョニーの復帰登板を地元開催のオールスターで、ということもできなくなる。

 黒木もそうだが、例えば巨人の清原和博など、仮に成績が伴っていなくても顔と実績で選ばれて納得するファンが多いという選手もプロスポーツには存在する。プロテクトがかかれば、そういうファンの夢も潰されることになる。それは機構側としても避けたい事態の筈だ。

 運営委員会は28日に対策協議の場を設けるということだ。こうなった以上、何かしらの対策は必要であるという考えに異論を挟む気はない。ただ、どんな対策が講じられたところで被害者はファンになるという事実は動かない。どうしようもないことなのだが、それだけにことさらやるせなくなる。それが悔しくてたまらないのだ。

 心無い投票をした人間は、少なくとも今年のオールスターゲームを全て観戦する義務があると思う。もちろんそんな考えが届く筈はないだろうが、少なくとも彼らは、近くの電器店でオールスターゲームのファン投票用マークシートをもらってきて、ワクワクする気持ちでマークシートを塗り潰していた野球ファンの気持ちを知っている筈がない。知っていれば、そんなファンや選手の気持ちを踏み潰すようなことができる筈がない。

 マークシートに比べて、インターネット投票は確かに投票が便利で身近になった。その身近さがこのような災厄をもたらしたなら、ファンがあのマークシートを塗り潰すドキドキ感に立ち戻るのもいいかもしれない。マークシート投票の率を増やすことが、もしかしたらファンの意思表明になる可能性はある。

 この問題が起きるまで忘れていたことなのだが、マークシートには確かに胸躍るドキドキ感があった。ワンクリックで投票が終わるインターネット投票には、投票したという実感がマークシートに比べて薄い。だから「自分がとんでもなく破廉恥なことをしている」という実感もないのだろう。ここまでくると単純に人間性の問題という気もするのではあるが。

 何事も身近になり過ぎるということは、便利であるプラス以上にそのものの神聖さを損なわせるマイナスの方が大きいのかもしれない。

 多分、そういうことが野球民度ということなのだろうと思う。



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