月の輪通信 日々の想い
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昼下がりのスーパー。 外気の暑さを逃れ、地下の食料品売り場に下りる。 お盆明けとはいえ、炎天下の外出を嫌ってか、意外に買い物客は少ない。 けだるくゆるゆるとした空気が流れている。 盆休みで程よく空になった冷蔵庫を満たすため、山盛りの夏野菜や定番の肉魚、パンや紙パックの飲料をカートに次々に積み足していく。
幼い子どもの激しい泣き声が聞こえた。 売り場の床に寝そべり、盛大に足をバタバタさせて泣き叫ぶ2,3歳くらいの男の子。どうやら男の子は、お菓子を買ってほしいと駄々を捏ねているらしい。おまけ付きのお菓子の箱を握り締め、激しく地団太を踏みながらキイキイと金切り声で泣き喚いている。 傍らには、もう一人小さい女の子を連れた若いお母さん。すでに疲労困憊の様子。 「今度、じいちゃんに買ってもらいな」となだめてみたり、 「お父さんに怒ってもらうよ。」と脅してみたり、 「早く家へ帰って、アイス食べようよ」と懐柔しようとしてみたり。 そのうち、ベビーカーで眠っていた女の子のほうまで愚図りだして、お母さんの声もだんだんヒステリックに歪んできた。
小さい子の子育てって、ホントに大変だよなぁと思う。 ほんの十数年前、自分も確かに通ってきた道だけれど・・・。 一日中、本能のままに撒き散らされる幼児らの感情や欲望を、なだめ、諭し、ねじ伏せ、誤魔化し・・・。ふつふつと噴き上がる悪魔のような幼いエネルギーと闘う毎日。 一日の終わりにはすっかり疲労困憊しているくせに、ようやく寝付いた子らの寝顔には昼間とうって変わった天使の面影を見て癒されていた。 若かったから、やっていけたんだろうなぁ。
よく考えてみれば我が家では、売り場の床に寝そべり地団太踏んでまで子どもに何かをねだられたり、泣かれたりして困った記憶はない。 あえて言うなら、複数の欲しいおもちゃをなかなか一つに絞れなくて、長い時間、玩具売り場をさ迷ったことがあったくらいか。 特に上の3人が幼かった頃は、誰か一人の駄々っ子にいちいち取り合っている余裕もなかったし、「絶対、絶対、これが欲しい!」と激しい自己主張を発露する子もいなかった。 よく言えば、聞き分けのいい子どもたちだったのだろうけれど、見ようによっては、小さいながらに親の顔色や他の兄弟たちの状況を見量って、幼い欲望をコントロールしてくれていたのかもしれない。 まことによくできた子どもたちであったことよ。
泣き喚く男の子と、次第にぐずり始める赤ん坊。 子らとの駆け引きにくたびれ果て、周囲の目にもいたたまれなくなってきた母親は、「お母さんはもう知らない。置いてくよ」と最後通牒を出してさっさと歩き出した。 男の子の声がさらにヒートアップする。 回りの目など気にもせず、母の脅しに屈することもなく、ただ自分の欲しいものを手に入れるまでは一歩も引かぬ決死の根性。 たいしたエネルギーだ。 子どもながら、天晴れ。
あの日、幼い妹の手を引いて、ベビーカーを押す私の後ろを一生懸命ついてきていたオニイがいまや高校3年生。 とうに親の身長を超え、気難しくて無口な、心優しい青年に育った。 来春の卒業を前に、自らの進路についてあれこれ思い惑う今日この頃。 将来の仕事や自分の適性、引き継いでいかなければならない家業のことなど、若いオニイが背負っているものは重い。加えて、進学に要する経済的な負担。下にまだ、3人の弟妹たちが控えていることを考えると、その膨大な教育費の負担はあまりに重い。 オニイはこの夏、美術系の大学や工芸の専門学校などへの進学を目標に、美術部の活動と画塾の講習であけ暮れた。憧れの美術系大学と実技重視の専門学校と、その選択肢に親も子も悩みあぐねる毎日だ。
いっそオニイにあの子どものように、なりふりかまわず「ここへ行きたい!」と地団太踏んででも自分の希望を貫く奔放なエネルギーがあればよいものを・・・。 親の顔色を伺い、家族の経済状態を推し量り、弟妹たちの将来を慮りながら自らの行く末を見極めようと悪戦苦闘しているオニイの苦悩に、親として差し伸べてやれる援助の手はあまりに拙い。 与えてやれるものならあれもこれも盆に載せて、「さぁどうぞ。」と差し出してやりたくなる親心を愚かとは思いつつ、押し殺すこともできない。
結局、男の子は苦し紛れに母親が差し出したアイスだか飲料だかに誤魔化され、お菓子の箱を手放した。 あっけなく泣き止んで、ベビーカーとともにレジの列に消えていった。 結局当の本人も、激しく泣き喚き要求を通そうとすることにくたびれはて、すぐ手に入る手近のアイスで折り合いをつけたということだろう。 そういう選択も、子どもはいつか学んでいく。 せめてあの頃、数百円で買えるおまけ付きのお菓子くらいなら、思うまま買い与えてやる事だってできたのにと、わが子育て時代を振り返る。 苦い想いの今日の一こま。
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