月の輪通信 日々の想い
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大型の台風が近づいている。 学校からは、「台風接近時の対応について」とのプリントが配られた。 午前7時段階で暴風警報が出ていたら、自宅待機。 午前10時段階で解除されていたら、登校。解除になっていなければ、休校となる。また、登校後に警報が出たときは集団下校。時間によって、給食は時間によって、食べないで下校する。 あ〜らら、これじゃ、どっちにしても明日の久しぶりの七宝教室はキャンセルして母も自宅待機だわ。 小学校では明日予定されていた参観日も早々に金曜日への延期が決まった。 新学期早々、番狂わせだなぁ。 取り合えず明日、給食だけは食べて帰ってきてくれるといいのだけど。
つけっぱなしのTVの台風情報を見ていたら、ニュースキャスターの木村太郎さんが台風中継をしていた。 暴風吹き荒れる街頭でレインコートに身を包み、叩きつける雨にさらされながら、小型の風力計を曝して、「あ、いま、風速40メートルに達しました!」とか、中継している。あまりの強風に飛ばされそうになり、ふわりと後ずさったりたりしているのが、いかにも危なっかしくて、「もういいよ、わかったよ。やめておうちの中に入んなよ。」と言いたくなった。 本来こういう体当たりの台風レポートは、駆け出しの新人アナウンサーとかがっしり体力勝負の若手記者が請け負うのが普通だと思っていたのだが、ここの局では最近古株の須田 哲夫アナウンサーもどこやらの台風中継に出ておられたから、重鎮クラスの人に雨風の中でレポートしてもらうのが流行りなのだろうか。
我が身の危険を顧みず、必死の形相で風雨の強さを突撃レポートする台風中継。そんなことしなくても、安全な場所からの的確な取材報告だけだって台風の猛威を視聴者に知らせる事はできそうなものなのにと思いつつ、ついついその中継画面に見入ってしまう野次馬根性。 確かに、迫力ある風雨の中継になると視聴率という奴はぐんと上がるらしい。 高波の押し寄せる海を見にわざわざ危険な防波堤まで出かけて行く若者や、水かさの増した水路に棒っ切れを差し込んで濁流の勢いを測って遊ぶ子どものように、普段と違った顔を見せる自然の猛威とその圧倒的な破壊力をこの目で見たいという欲求は老若を問わず共通のものらしい。 そういうい視聴者の心理をつくという点では、あの体当たり台風中継も報道番組には必須の要素なのだろう。
若いペーペーのアナウンサーが雨風の中で、拭きちぎられたぺーパーを片手に泣きそうな形相でレポートしている姿には、「おお、新人さん、頑張ってるなぁ。こういうきつい体力勝負の仕事をいくつも経験して、偉くなっていくんだろうなぁ。」と半ば応援するような気持ちで見ていたりすることもある。 けれども、重鎮といわれる年齢に達し、政治や厳しい社会情勢について重々しく発言しておられるこのクラスのキャスターが、わざわざ新人君たちの修練の場とも言える体力勝負の現場にしゃしゃり出て、その翻弄される様を衆目に曝すというのはどうなんだろう。 「若い人の仕事の場を取ってやるなよ。」とか、「いい年して台風ではしゃぐなよ」とか、「若いモンも、こんなおじいちゃんにこんなきつい仕事させるなよ。」とか、なんだか消化の悪い嫌な感じがいつまでも残る。
年齢を重ねても、厳しい現場に立つことを厭わないジャーナリスト魂。 それはそれでご立派な事だけれど、人にはその役割相応、年齢相応の職域というものがある。 自然の猛威のすさまじさや台風被害の深刻さを語りながら、どこか、はじけちゃった老人の浅はかさが曝されているようで気持ちが悪い。 それとも、あの二人の台風中継は、舞台裏での何かの罰ゲームかなんかだったんだろうか。
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