月の輪通信 日々の想い
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8月も半分終わった。 暑い暑いといいながら、朝一番にさっと流れ込んでくる風に、過ぎていく夏の背中をみつけたような。
ひいばあちゃん97歳。 近頃少し、工房での仕事から遠ざかっておられたが、「今日はちょっと、せんならん仕事があるんや」と宣言して仕事場に入られた。 多分、義兄か義父に頼まれた作品の下地作りの仕事でもあるのだろう。 蒸し暑い工房の長年の定位置にこじんまり座り、一心にろくろに向かうお仕事モードのひいばあちゃんを久々に見る。 あるべき場所にあるべき人の姿がある気がして、随分ホッとした気持ちになる。
ここのところ工房では数物の仕事が続いていて、私も白絵や釉薬掛けの下仕事の手伝いで仕事場に入ることが多かったのだが、これは本来はひいばあちゃんが長年一人でこつこつと引き受けておられた職人仕事。この春の突然の入院以来、さすがに仕事場へ降りてこられる時間が少なくなったひいばあちゃんに代わっての苦心のピンチヒッターだ。 ひいばあちゃんの席を借りて、モタモタとおぼつかない手つきで釉薬をかける。 ごくごく簡単そうに見える下仕事でも、ひいばあちゃんの年季の入った鮮やかな手仕事の領域にはなかなか近寄る事すらできなくて、もどかしい思いがする。 仕事中、たまに仕事場の様子を見に降りてこられるひいばあちゃんに、 「おばあちゃんの場所、使わせてもらっててごめんね。」とことわって、頭を下げる。 いつかは誰かが引き受けていかなければならないひいばあちゃん仕事の職人仕事。 父さんは将来その後継を務める新人材をあれこれ模索しつつも、なかなか生涯現役の偉大なるひいばあちゃんからその仕事を取り上げる事もできないでいる。だからあくまで私の工房での役割は、臨時の代打要員というスタンスを取ってきた。 それでもひいばあちゃんは、ノタリノタリと不器用に刷毛を動かす私の手元を機嫌よくしばらく眺めては、だまって工房を出て行かれる。「ようやく、私のあとに入る気になったか」と思ってくださっているのか、「まだまだモノになりそうにないなぁ。」と呆れておられるのか、身の縮まる思いがする。 それだけに、ひいばあちゃんが以前のように、工房のいつもの席に座り、いつもの仕事を始められるとなんともいえない嬉しいホッとする思いがする。ひいばあちゃんにはいつまでもいつまでも現役で仕事をしていていただきたいと思う。
この夏の帰省のとき、父さんは実家の父母にひいばあちゃんから託った「快気祝い」の品を携えていった。ひいばあちゃんが手びねりで形を造り、義父と父さんが仕上げをしたひいばあちゃん作の抹茶茶わん。 これまで、ひいばあちゃんは長年の仕事の中でおそらくは何千という数の作品の荒型を拵えてこられた。ひいばあちゃんがあらかた作っておいた茶わんや水指などの形に義父や義兄が削りをかけたり、絵を描いたりして作品に仕上げるのだ。義父や義兄の名を刻印した作品のなかには、そんなふうにひいばあちゃんの手を経て生まれ出てきた作品がたくさんあるが、ひいばあちゃん自身の名前が外に出ることはない。ひいばあちゃんの仕事はあくまで、無名の人の職人仕事なのだ。
そのひいばあちゃんが、この春入院のお見舞いを送った実家の両親への「お祝い返し」としてお茶わんを一つひねって下さった。ひいばあちゃんの手の跡をしっかり残して義父が仕上げをし、父さんが飴釉をかけて焼き上げる。 箱書きには義父がひいばあちゃんの名前を箱書きして「吉向」の小印を押した。 数え切れないほどたくさんの作品をこつこつと拵えてこられたひいばあちゃんの、本当に数少ない「名入り」の作品。我が家にとっては誠に希少な宝物でもある茶わんが父母の元へ行く。「ずーっと将来、内緒でアタシにちょうだいね」の気持ちを忍ばせて、風呂敷に包む。
帰省から戻って2日。 実家の父からの電話があった。 子どもや孫達が帰っていって静かになったので、ひいばあちゃんのお茶わんを使って夫婦でお抹茶を楽しんだのだそうだ。義父を通して、ひいばあちゃんにもお礼の電話をかけておいたという。 「じっくり落ち着いて見てみると実にいい茶わんやなぁ。ひいばあちゃんの人柄や長年の生き方が現われている気がする。」 としみじみと父は語ってくれた。 父が、ひいばあちゃんが作った一個の茶わんのなかに、無名の職人として生涯現役を貫いてこられたひいばあちゃんのひたむきな仕事ぶりに対して、今私が抱いているのと同じ驚嘆や尊敬の思いを抱いてくれたという事が嬉しい。 自分のことでもないのに、「そうなのそうなの!うちのひいばあちゃんは、すごいのよ!」と自慢したいような、こみ上げる思いを抑えることができなくなる。
今朝、子ども達と共に一日遅れでお盆の経木を燃やしにいったとき、ひいばあちゃんにお茶わんのお礼と父母が大変喜んでいた旨を改めて伝えて置いた。 「ああ、あんなものはなんの造作もない。喜んでもらえば、それはなにより。」とひいばあちゃんは平然と笑っておられる。 自分の手から生まれた作品に対して何の衒いもこだわりも未練もない。 さらりと見事に手離してしまう職人技の潔さ。 「お見事!」といった観がある。
しばらくして、なんの脈絡もなくオニイがポロリとこぼした。 「ひいばあちゃん、随分嬉しそうやったなぁ。」 「何のこと?」と問うと、「お母さんがひいばあちゃんにおちゃわんのお礼を言った時さ・・・」という。 オニイもあの時、ひいばあちゃんの笑顔に浮かんだ職人魂の確かさをちゃんと感じる事ができたのだな。 うんうん、この子も随分大人になったと、今度はわたしが嬉しくなった。
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