月の輪通信 日々の想い
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「今夜はごちそう」というとき、自分の食べたいものよりはオニイやゲンの好物のメニューを思い浮かべるようになったのはいつからだろう。 自分の普段着の服を買うよりは、アユコのスリムなジーンズを買うほうが楽しくなったのはいつからだろう。 花屋の店先で、自分の好きな儚げな草花よりはアプコが欲しがる原色のチューリップの球根やいちご苗を選ぶ事が増えたのはいつからだろう。 自分の誕生日より子ども達の誕生日の方が嬉しく思えるようになったのはいつからだろう。 5月25日、誕生日。42歳になった。
手作りのカード、庭で摘んだ花束、夕食の一品、おめでとうのメール。 子ども達からの思い思いのバースデイプレゼント。 数日前から続く「お母さん、何が欲しい?」というリサーチの質問を、「別になんにいらんよ。」とさらりとかわして通してみた。いつもなら、靴下とか文庫本とか、子ども達にも選びやすい手ごろなリクエストを提案してみたりするのだけれど・・・。 自転車を飛ばして隣町のショッピングセンターまでプレゼント探しに行ったけど何も買えなくて「ごめんな」とメールをくれたオニイ。 「あたし、母の日とか父の日とかお誕生日とか、やらないことにする」と勝手に宣言して、夕食のお吸い物を手作りしてくれたアユコ。 「いつ渡そっかなぁ。」と数日前から作っていたらしい手作りのポップアップのバースデイカードを得意げに差し出すゲン。 庭の草花を摘んでくるりとリボンで束ね、「はい。お母さんのために摘んできたの」と笑っている調子のいいアプコ。 どの子もその「プレゼント」の選び方に、その子なりの一生懸命考えた成果と個性が溢れていて楽しかった。 「いつも同じもので悪いけど。」 と父さんがくれたのは陶器で作ったバレッタ。 いつもこの時期はお茶会の準備や個展の作品製作で大忙しのはずなのに、家族にも仕事場の人たちにも見つからずに、いつの間に焼いてくれたのだろう。 青空に木々の梢のシルエットの浮かぶ美しいバレッタは、普段アクセサリー類は身につけない私が唯一愛用する髪留めだ。
「お前が生まれたとき、お母さんは産褥熱というやつで死にそうになってな。」 父は私の誕生の日のことを語るときに、いつも最後に付け加えた。 「もしあの時『母親と生まれたばかりの赤ん坊とどちらを助けたい』と聞かれたら、悪いがお母さんを助けてもらいたいと思ったよ。」 初めての出産で生命の危険に曝された妻と、生まれたばかりの赤ん坊。 そうだなぁ、男親だったらきっと妻を選ぶだろうなぁと納得しつつ、何度も何度も聞かされるうち、父に「最優先の一番」に選ばれなかった誕生の瞬間をなんだかつまらなく思えた時期があった。
よく、ドラマやなんかで死の病につくヒロインが自分の生命に代えても愛しい人の子どもを生みたいという設定があるけれど、実際には残されるものにとってはしんどい話だなぁと思う。女にとっては生まれてくる子どもは十月十日ともに過ごした自分の分身のようなものだけれど、男にとっては子どもは女の生命の残り火を独り占めして生まれてくる異星人だ。慣れぬ育児の困難さや、その後の生活の束縛を考えると、「赤ん坊より母体」は至極当たり前の選択だろうと今は思う。
それは男親に限った事ではなく、女親にとっても基本は夫婦なのだと近頃思うようになった。 「この子の命とお前の命、どちらを選ぶか」といわれたとき、私は迷わず子どもの命と言うだろうか。私はその子の母であると同時に他の子たちにとっても母であり、父さんにとっての妻でもある。自分なき後の家族のことを思うと、迷わず「子ども」とも言いがたい。 子ども達は可愛いけれど、いつか巣立って自分の家庭を築いていく者達だ。 どこかで夫婦の絆からは離れていく子ども達を「お前が一番」の最優先に選ぶ事を私はしないだろう。
次女を病気で失おうとしていたとき、父は私に 「しっかりしろ。かわいそうだが赤ん坊はお前の子どもの4分の一だ。ほかのの3人の子どもたちのために、しっかり赤ん坊を看取れ。」 と叱ってくれた。 母が子を「自分の命と引き換えにしても救いたい」という美談を、現実問題としてはすっぱりと切り捨てて、生きている今の家族を守り続ける。 そういう決断の方法を父は私に教えてくれたのではないかと思うようになった。
「まず夫婦ありき」 私はあの日の父のように、ときどき子ども達に言う。 「一番大事はお父さん。子ども達はその次よ」 子ども達にとっては、自分達が「いつも一番」ではないという事はつまらないことかもしれないけれど、子ども達にとっての「いつも一番」になる相手はいつまでも父や母であってはいけない。 子ども達がいつの日か出会う生涯の伴侶のために、「あなたが一番」のポジションはあけておいてやらなければならないのかもしれない。
今朝、一番に実家の父母から電話があった。 たまたま、うちにいたオニイが電話を取って、「お母さんに『誕生日おめでとう』を伝えておいて。」と私に取り次がせる事もなく電話は切れた。 「子どもは巣立っていくもの」といいながら、40を過ぎた娘の誕生日の朝に「おめでとう」のメッセージをくれる父。 その少し距離を置いた、言い捨てるような愛情表現がいかにも頑固な父らしい。嫁いだ私が築いてきた今の家族の「一番」をそっと見守ってくれているのだろう。この歳になってもまだまだ、父母には大事に育てて頂いているのだなぁと思ったりする。 ありがたい。 私もそんな母でありたい。
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