月の輪通信 日々の想い
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2005年03月02日(水) 冬枯れの庭に出る

久しぶりに、冬枯れの庭に出たらクリスマスローズの鉢に大きな赤紫の花が三つもついていた。夏の暑さにやられて大きな葉っぱを全部失って、今年はまず咲かないだろうと諦めていた一鉢なのに、まばらな葉の間からにゅっと延びた花茎にどっしりと立派な花を重そうにつけ、しかもまだ二つ三つ新しいつぼみも抱きかかえているようだ。
放っておいて悪かったねと家の中からよく見える一階のベランダの一等地に鉢を持ってあがる。
クリスマスローズは、シクラメンのように花茎をくいっとまげて下向きに花をつける。その昔、私はそういう下向きに花をつける植物が何となく苦手だった。ろくろ首のように捻じ曲げた花茎の曲がりようが、何となくいじけた
感じがして心が晴れない気がするからだ。

そういいながら、うちにはもう何鉢かのクリスマスローズが常駐している。室内には冬ごとにシクラメンの鉢が置かれる。
大概は夏の間、園芸店の片隅で花期を終え、さんざんにくたびれ果てて見切り処分になっているのを購入してきたものだ。
今、食卓のそばの窓辺で赤い花をつけているシクラメンは去年の春、近所の花屋で花も葉っぱもないカラカラの土だけになった植木鉢ごと100円で買ってきたもの。ごつごつした溶岩の塊のような球根(?)の痕跡がわずかに見えるだけの怪しい一株だった。
「一体何色の花が咲くのかしらん?ちゃんと夏越しできるのかなぁ。」
店の人に聞いて見てもさぁ?と首をかしげるばかり。
残り一鉢になったお買い得見切り品。そのままではただ、廃棄を待つばかりかと哀れになって、捨て猫を拾う思いで買って帰った。
夏の間中、シクラメンは庭の片隅にごろんと転がして置かれたが、秋になってぷつぷつと小さな葉っぱが顔を出し、やがて年が変わる頃になってようやく白いつぼみをつけた。花茎が延びるに従い、つぼみは薄紅をさしたように
色を帯び、薄桃色になったかとおもうとついに真っ赤な花を咲かせた。
結果として、それはありふれた真紅のシクラメンだったが、その再生の過程はまるで「みにくいあひるの子」の筋書きをたどるようで、ずいぶんワクワクと楽しませてもらった。
まさに「お買い得見切り品」の一鉢だった。

昨年一年間はバタバタと忙しくて、また一時期熱中したガーデニング熱も小康状態になって、のんびりと庭に下りて丸一日つぶすということがほとんどなかった。
庭と言うものは、気にかけて毎日目配りしてやる者がいなくなると見る間に荒れる。
勢いの強い宿根の山野草は切り戻される事なくぐいぐいと葉っぱばかりが伸び、花殻を摘んでもらえない草花はさっさと種子を作ること専念するので花期が短い。「こぼれ種でよく殖える」「はびこるように殖える」と言われる桜草やノースポールですら、時折掬い上げて植え替えたり日の当たる場所へ移してやったりしないとだんだんに減ってくる。「だれがやっても出来る」とおもっていた挿し芽や種まきの容易な植物も、それなりに気を入れて目配りしてやらないと成長半ばで水切れしたり、他の植物に負けて立ち枯れたりして成績は芳しくない。
何ほどの作業はしなくとも、とりあえず毎日庭に出て、ポツポツト枯れた花殻を摘んでやったり、延びてきた雑草を引っこ抜いてやったり、新しいつぼみの膨らみ具合を確認してやったり。
そういう一見たわいもない暇つぶしのような小さな目配りの積み重ねが、庭の植物を美しく開花させるのには必須なんだなぁと痛感する。

今日、アユコと一緒に買い物に出て、スーパーの前の出店で一株30円のパンジーの開花株を30株あまり買い込んだ。
いろんな色の花を取り混ぜて、買い物トレーに選び出す作業は楽しい。
たくさん買ったので、「冬場は庭に色がない」と始終こぼしておられる義母の庭にもおすそ分けする事にする。近頃、体調不良で沈みがちな義母に、少しは明るい笑みを差し上げられるだろうか。
山地の我が家ではこの季節に植えたパンジーの花は、6月の終わり頃まで咲き続け、うまくすると夏を越して再び来春の花を残す事もある。
それでもまだ、こぼれ種による来春の花をちょっと期待したりするのは、ものぐさガーデナーの強欲と言うものだろうか。
とりあえず、この春には、子ども達が新しい学校、新しい教室へと飛び立っていく春の玄関をにぎやかに飾ってくれるだろう。


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