月の輪通信 日々の想い
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インターホンが壊れたらしい。 2,3日前から、誰も押していないのに2,3分おきに「ポーン・・・・ポーン」と音がする。 送話器をガチャガチャやってみたり、外のスイッチを何度も押しなおしてみたりもするが音は止まらない。 仕方がないので音量を一番小さくしてみたのだけれど、一定の間を置いて静かに「ポーン・・・ポーン」と繰り返す音は、なんとなくやけに耳に付いて離れない。 別に不快な音でもないので、家事や用事に熱中しているときには気にも留めないのだけれど、気が付くと台所の隅で「ポーン・・・ポーン」はひそかに続いている。
なんとなく四六時中、ストップウォッチをもって日々の動作を計られているようでそこはかとなく気にかかる。 「あ、三つもポーンとなる間、アタシってばボーっとしていたな」とか、「アプコの面倒な質問攻めに、まともに答えてやったのはたったの5つ分」とか、自分の時間の無駄な部分や足りない部分を知らず知らずのうちに「ポーン」で計っている自分に気付く。 「あと5つ鳴ったら、ぐうたらやめて晩御飯の支度にかかろう」とか、「もう3つ分くらいしっかり火を通して置こう」とか、目覚ましやキッチンタイマーの替りにしてたりする。 修理やさんが来てくれるまで、しょうがないから気にしないで無視して過ごそうと思うのに、ふと気が付くとまた耳が勝手に「ポーン」の音を数えている。
気になっているのは実はアタシだけではなくて、父さんやオニイも次第に「ポーン」の音が耳障りになってきているのだと言う事がわかった。 「かあさん、あの音、気にしたってしょうがないんだけど、なんか腹立ってくるよな。」とオニイが愚痴る。 「なんだか急かされてるような気がするのはなんでだろ。年末仕事も溜まってきたから、余計気が急くんだよね。」と父さん。 会話がふっと途切れたときにお互いの耳が「ポーン」の音を確認しているのに気付いて、顔を見合わせて苦笑したりする。 そっか、イライラするのはアタシだけじゃなかったのねと妙な連帯感が沸いたりする。
よく死の淵を逃れて生還した人が、「生きている時間の一瞬一瞬を無駄にしないように、その大切さを意識して生きて行きたい」というようなことを言われるのを聞く。 一日の大半を無為なおしゃべりやらぐうたらやら、とても有意義とは言いがたい時間で費やしやしてしまう凡人にとって、「一瞬一瞬を大切に生きる」と言う言葉は輝かしく重い。 けれどもどうだろう。たかが無意味なインターホンの「ポーン」の繰り返しに、自分の時間がさらさらと無駄に流れていってしまうような、勝手に誰かに自分の人生を『刻まれてる』いるかのような、言葉に出来ない苛立ちを覚えるのはなぜなんだろう。 とどまることなく流れ去っていく時間を、常に意識して生活していくと言う事は、思っている以上に精神的な苦痛をも伴う困難な営みなのかもしれない。
かちゃかちゃとお茶碗を洗っているときも、友達と長電話でおしゃべりを楽しんでいるときも、そして今、しんと静まった深夜、一人でPCに向かっているときも、勝手口の方からは「ポーン・・・ポーン」と音がする。 「今のその一瞬は、有意義だったの?無駄な一瞬だったの?」と問うているのは実は「ポーン」の音ではなく、自分自身の内の声なのだ。 そして、本当に意味があるのは、ごしごしおなべの底をこすったり、われを忘れておしゃべりに熱中している、「ポーン」を意識しないで過ごす時間なのかも知れない。
「ポーン」の音は次第に家族のいつもの生活の中に埋もれ始めている。 家族の皆に聞いてみたら、おもしろいことに「ポーン」と言う音にイライラしているのは父さんとアタシとオニイまで。 アユコはさほど気にならないというし、ゲンは「ポーン」の感覚をストップウォッチで計ってみたりして遊んでいる。アプコにいたっては、インターフォンの異常自体を言われて初めて気付いた様子。 そうか。 毎日、目覚めて食べて遊んで眠る。 いちいち自分の過ごした時間の意味を問い返す事もなくシンプルな日常を生きる子ども達にとっては、もしかしたら誰かが勝手にカウントしている人生の時間なんて、大して気にするまでもないたわいないことなのか。
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