いよいよ明後日にはデフテロス外伝2話が発売されるかもしれないので、妄想書くのも今のうち今のうちと思ってアスプロスについて思うところをちょこっと書いておく。 Twitterでも書いたんですが、アスプロスについては「潔癖な人」というイメージがあります。やってることもやり口も相当汚かったりするにもかかわらず、です。巫女さんの大量殺人をやってのけたのがアスプロスにしても違うにしても(前回ピュトンが目覚めかねないといった話は出てるので、兄さん無罪の可能性は一応ゼロではないのかも)、異次元にぽいとゴミのように捨てるのはどうかと思うし、アテナの封印を解いて狂戦士の亡霊を復活させてるのもあんまりだと思うし、教皇暗殺にデフテロスを利用するのはひどすぎると思う。他にもひどくてあんまりでどうかと思うようなアレコレやっててもおかしかないよなと思えるそんなお人だ。 でもなんか、潔癖なイメージは消えないんだよね……。本編だけだとそこまでは思わなかったのだけど、シジフォス外伝で描かれていた少年期の姿を見てたら、なんて真っ直ぐで潔癖な子なんだろうと思った。だから、外伝でデフテロスが「以前はもっと真っ直ぐだった」と言った時は「ほんまにな!」と激しくうなずいたもんです。作品内の人物からしてもその真っ直ぐ評価は変わらないんだな……と。
ただ、「潔癖」というイメージは基本的に自分の中のものだけのようで、ではどうしてそういう人物に思えるのだろうと深めていたのですが、以前にも書いたように、アスプロスが何かっちゃ怒っているからかもしれないなあと思い至りました。 アスプロスの怒りは、根底に不当なものへの反発があると思うんだよね。神託を妄信して弟を虐げる人、その神託を授けた巫女、それを覆そうとする自分の道を阻むシジフォスの失態、自分のようには努力しない怠惰な人。怒りの対象となるのはそういった人たちだった。 だから、アスプロスの怒りは少年らしい潔癖さを感じさせた。ある意味純粋だから怒れるんだろうなと思える風だったんですよね。 じゃあ、青年期に入ったらそういった少年らしさとは無縁になるのかといったらそうでもなくて、青年期のアスプロスも行動の根底にあるのは不当なものへの反発なのかなと思えたんです。 シジフォスに陰口叩いてた人たちについて「才能と努力がなければ勝ち得ない」と言っていたけれど、逆に考えると「才能と努力があれば勝ち得て当然」と思っていたのかもしれない。もちろん、現実的には才能があろうが努力しようが届かないものはあるけれど。 教皇に選ばれることも、アスプロスにとってはそういった努力の結果の当然の褒章だったのかもしれないなあ、と。だから、それがなされなかった時に、必要以上に不当さへの怒りが生まれて暴力的な手段で奪いにいったんじゃないのかな。 アスプロスとサガとで性格似てると思ったことは少ないのですが、「評価されるべき自分への評価が(本人基準で)不当に低い」という部分への不満は近いところがあるなあと思いました。 ただ、サガについては八方美人というか、とにかく全員に評価してほしがってるイメージだった。だから、アスプロスのようなきつい物言いはしてなかったろうなと思える雰囲気で。 それに対して、アスプロスの場合は、いちばん評価してほしいのは他ならぬデフテロスだったんじゃないのかな。自分が頑張って弟を引き上げるから、デフにはそれを信じて待っていてほしい。デフが修業をしているのは分かっても、自分を信じないからではないと思う分には許せる。けど、杳馬によってデフテロスの行動に自分を貶める意図があると吹き込まれたことで、自分を信じず認めもしない裏切りの行為に見えるようになったんじゃないのかな。 お兄ちゃんはやっぱりなんつうか、あの「お前が俺を信じられなくなったら終わりだ」といった内容の台詞は本気だったんじゃないかと思えるんだよね。だって、信じてくれている分には、裏切らないということなのだから。まずお前が弟のこと信じろよって感じだけどね、これだと。
そして24巻を読むと、何を考えても全部この人のすごさの前には無意味だわすみませんでしたーとか思えてくるのです……。 潔いわー、兄さん。
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