なんかもういろんな意味で勝てないネクストディメンション68話「御使い」感想。
また冥王神話じゃなくなった。 NDってちょいちょい冥王要素なくなるよね……。 LCもテンマ主人公じゃねえなこれってことはしばしばありましたが、外伝を除けば冥王神話じゃなくなったのって海皇神話してたデジェルパートくらいで、後はVS冥王軍の構図は崩れなかった。けど、NDは冥王軍そっちのけで話が進むから、やっぱり「冥王神話」としてはLCの方が正統派な作りだなあと思っちまう……。 それでも、前シーズンまで18世紀パートの主人公状態だった水鏡先生は冥王軍所属だから18世紀パートでは冥王要素感じられたし、今シーズンは一輝兄さんとデストール姐さんが親交を深めながらも舞台は黄泉比良坂で敵は冥王軍だから、久方ぶりに冥王要素がすごく強かった。でも水鏡先生は退場しちゃったし、蛇遣座は本格的に動き出したし、こっからはしばらく本気で冥王要素ない状態で話が進んじゃうんだろうか。20世紀パートで冥王要素が疎かになるのはしょうがないと思ってたけど、無印での主要6人がそろって18世紀に来たことで少しは冥王神話要素が濃くなるかと思ってたんだけどなあ。天界要素も蛇遣座要素も冥王要素も楽しめるのがNDならではの魅力だと分かっちゃいますが、時々無性にアローンどうしてるかなあって思うんだよね(笑)。 でも、テンマがLCアローンをことあるごとに気にしてたのに対し、天馬がアローンを思い出す機会が少ないのは、Ωで十二宮登り始めた光牙が沙織さんを思い出すことが極端に少なくなったのと同様の時間の問題でしかないんだよね……。ついさっきアローンが連れて行かれた、くらいの時間経過しかないんだもんなあ。そんな短時間で要素もりもりのNDに比べれば、LoSが十二時間で登る十二宮編を一本の映画に治めようとしてる無茶なんてちっとも無茶じゃない気がしてくる(笑)。 とりあえず、どうせ冥王要素薄れるなら、駄天使の登場もよろしく頼むぜ御大! 蛇遣座の黄金聖闘士が復活すると、20世紀にも影響あるみたいだしさ! 斗馬もどうしてるか気になる存在の一人なんだよ〜。
まあとりあえず、なんだかんだと次シーズンがめっちゃ冥王神話してるかもしれないので杞憂な嘆きはおいときまして。 1ページ目を小口側から見た時、珍しく扉絵があるのかと思ってしまいましたが、なんてことはない、ただの攻撃シーンでした。瞬のポーズと鎖の流れがかっこよすぎて一枚絵の一部に見えちゃったんだよー! 童虎は聖衣を脱いだまんまなので、新米の「黄金聖闘士」という言葉に全く説得力がない(笑)。聖衣つけよう、聖衣。なんだかんだと手を抜いてくれてるってことになるのかなあ……。小宇宙増幅装置的なものみたいだし、聖衣って。 「水鏡の言った事は本当じゃったか」って、何一つ言葉での具体的な説明はなかった気がしてしょうがないんですが、拳で伝わる何かなんでしょうか。しかし七感どころか小宇宙の燃焼さえできない一般人には何がなんだかさっぱりなので、そろそろ耳で聞こえる言葉での説明が欲しいところ。モノローグでもいいんですが。 この場面、シオンに問いかけるのがいいなあ。知性派シオンと武闘派童虎って感じのコンビなのか。で、バランスよくてかつどっちの要素もちょっとずつ優秀なのが水鏡先生?
そんなシオンの名を叫ぶ童虎の余韻をぶち壊すデストール姐さん。 こんな鞠みたいな移動する黄金聖闘士って史上初では……。黄金つかなくても初だよな。こういうことを堂々やってのけるから御大怖い。マジでこの発想には勝てん。そもそも姐さんがフェルメール戦を生き残ることさえ予想できなかったけど。 ずっとそのままだと童虎同様の脱衣状態だから、直るものなら直って聖衣つけて欲しいんだけどなあ。 カイザーさんのことをチョー堅物と表現した時に、「獅子座の男とはそういうものだ」と言っちゃう一輝兄さんの念頭にあるのはアイオリアじゃなく自分のことじゃないかしら(笑)。 カイザーさんとの初お目見え場面、カイザーよりゴールディちゃんが目立ってたせいで、一輝兄さんの目にゴールディちゃんしか映ってなかったらどうしようと思ってしまった(笑)。ゴールディちゃんが怯むほどの一輝兄さん……。やはり獅子座の黄金聖闘士となる資格を認められる流れなのかしら。くそう、水瓶座の出番が今から楽しみになるじゃないか……! 氷河についてどうコメントするんだろう、まだ見ぬ水瓶座。
「もうじき獅子宮」という言葉が当たっているということは、宮と宮の間隔や構造は18世紀と20世紀で何も変わらないということか。つくづく完全にぶち壊して作り直したマルス様は恐ろしいことをしたもんだ。やっていいことと悪いことの違いを知りたまえ。もっとも、マルス様は聖域もアテナも利用すべきものっていう敵側のスタンスだから、聖域という場所の破壊が「やって悪いこと」にはならないんだよね……。 でもって、聖域の構造が全く変わってないなら、蛇遣座の聖闘士はアテナはいらないけど聖域という場所は必要なものと思ってるってことなのかなあ。……と思ったけど、そもそもこの18世紀でのクーデターが失敗してるだけってことでしかないのか。 蛇遣座を讃える習いが18世紀まで残ってたってことは、ほとんどの期間においてアテナって蛇遣座より低く見られてたんだな。NDを下地に見ると、サガの目指してるところって蛇遣座のような存在だったんだろうか……。十二宮編ラストでサガから抜けていく影も、実は蛇遣座の影響だった、みたいな展開もありえなくなかったり? しかし、これだけアテナと蛇遣座とで蛇遣座を選ぶ人が多いなんて、NDの聖域って結構ひどくないかい? こんなに堂々たるアテナ軽視がこの時代では真っ当だとは……。水鏡先生も教皇も、アテナを殺そうとするのは蛇遣座の意向でしかないのかなあ。それならちょっとがっかりだな……。アテナ<世界だったら納得できるけど、アテナ<蛇遣座だったら寂しい。蛇遣座が優先されないと世界が滅ぶとか、蛇遣座こそアテナ以上に世界を愛してるのだと言われても怒れるぞ。シジマさんを全力で応援する。そのシジマさんも蛇遣座が復活するとなると裏切るかもしれないのか……。いや、アテナにじかに触れてるシジマさんなら大丈夫と信じて……! しかし、こうやってアテナより敬う存在がある聖闘士なんていう反則を堂々と描けるのは、原作者ならではだなあ。LCの黄金も完全なアテナ信奉でもない人は多かったし(特にアで始まってスで終わる双子の人)、Ωも黄金聖闘士はガチのマルス派ばかりだったからアテナより敬うマルスという存在はあった。でも、前者はアテナのいる聖域あってこそ自分たちの守りたい世界を守れるという部分にずれはなかったし(アで始まってスで終わる人除く)、Ωは聖域に入り込んで乗っ取った異端者たちの話だった。 でも、NDの世界は違う。聖域の純粋な聖闘士でありながらアテナを軽んじる。なんか、それこそサガ派の人達見てる気分。 サガたちはアテナ不在の隙間の時代に生まれたからこそ、アテナ軽視に走ってるのかと思ったけど、NDの世界は脈々とアテナ軽視&蛇遣座重視の考え方が根付いていた様子。なんかもう、いい意味で気持ち悪い。どうなるのこれ、ってドキドキする。 18世紀アテナが聖域に生まれなかったのは、蛇遣座が復活するから緊急避難的なものだったのかなあ……。沙織さんも、子供の頃は自分がアテナだなんて自覚なかったし、それこそ殺されておしまいになっちゃってたのかも。カノンは水牢でアテナが助けてくれたって感動してたけど、基本的には生まれたてのアテナは無力だってのはアイオロスの最期を思えばお察し……。
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