だらだら日記

2010年04月08日(木) LC176話感想

またも目の粗い篩が見えたような気がするロストキャンバス176話感想。私はしぶとく残ってます。

人外師匠ってアリなのか……?
一瞬何事かと思いましたが、よく考えると普通に神様がいる世界なんだし、龍がお師匠でも大した問題じゃないような気もしますね(苦笑)。そもそも、原作でも超能力者が出てきた時になんじゃこりゃと思ったりしたわけで。
てなわけで、(脳内)協議の結果「まあアリなんじゃね?」に落ち着きました、老師の存在。
エルシドさんの部下たち同様、唐突に出てきた感は否めないので、その点はやっぱり微妙なのですが(汗)。童虎が龍の名を冠する技を多用する理由や、童虎の人となりを示す存在としては、登場した意味は大きいと思うんですけどね。

中国の方ではどうか分かりませんが、日本人感覚だと確かに人間が龍に変ずるのは「人外に堕ちる」意味合いを感じるかも。
神通力で化けたり、元が龍だったり先祖に龍がいたりするならまだしも、八郎太郎や辰子姫のように神罰で龍になっちゃった人も結構いるわけだし……。龍という存在の強さ・大きさ・不変さよりも、人として生きることを重んじる向きはあると思う。
龍すげーとか千年すげーとか思わせた老師にしても、最期は人としての死を選んでるんですよね。
龍としても寿命を迎えたため「人として死ぬ」と滝壺を飛び出したのかもしれないけれど、ひょっとしたら、童虎と出会わなければ、老師はこの後も幾星霜龍として生きることが出来ていたんじゃないでしょうか。
童虎と出会い、孤独を捨て、渇きが癒されたために人に返り、千年の時間に体がもたなくなったのかなと、今回の話からはそういう風に読めたんですが……。
どちらにしても、千年人と交わろうとしなかった相手に交流させた童虎って、すごい人だと思う。童虎という「水」は、老師にとってさぞ心地よいものだったんでしょうね。
童虎がかつて師と仰いだ相手は老師と呼ばれるに相応しい長命の存在でしたが、それに及ばないまでもやがては童虎も老師と呼ばれるようになるんですよね。師匠と過ごした滝の側で二百数十年どんな思いでいたのかな、紫龍と出会った時にどんな風に思ったのかな。そんな風に思ったらなんだかドキドキしました。教皇シオンと同じくらい、老師童虎はロマンな存在だと思う、LC的に。

しかし、天候変化技は卑怯すぎですなっ(苦笑)。相手が日照り技を使うならこっちは降雨と、そういうわけか。まだやつれてるけど、ひとまずの回復はできたっぽいので一安心。
またも輝火の技を童虎の龍が粉砕しましたが、これもアテナの血で強化されたからこそなせる技なのかな。ポセイドンの降雨に比べたらスモール規模だけど、神様レベルのことしてるような……。
童虎の降らした雨は炎のアンクも消そうとしたけれど、輝火の攻撃の炎はかえって強まってしまったようで。
「もう求めない」ということは求めていた過去があったということだし、「もう繰り返さない」ということは守り切れなかった存在がいたということだ。恋人を失った老師に似てると言ってる時点で、童虎はかなり核心に近づいているはずですが、うまいことその辺を突っ込んでくれるんでしょうか。
そして私は、今回もまた、輝火の弟は日照りで死んだに一票投じたい心境です。輝火にとっての太陽は人を温めるものではなく、乾かすものでしかないのかといったあたりとか、「太陽が何を与えた」って台詞とか……。しかしロスキャンの予想は外れてなんぼなので、今回の予想も当たってる気がしません……。


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