みょうの日記
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先日、アンビリーバボーにて、荒廃し果てた学校改革に乗り出した女性教頭の話を見た。 なんとか子ども達(+やる気なし教師)を立ち直らせようとがんばる教頭。 いろいろ試みた中に共同トイレを皆で掃除する、というのがあった。
トイレを奇麗にするという行為には、人の心も美しく磨く効果があるらしい。 そんな話を別の話で聞いたことがあった。 トイレというと排泄物を処理する場であるわけだから、あまり良いイメージはない。だけど、する方として鑑みればやはり美しいトイレで過ごす方がリラックスできるし、気持ちがいい。 汚れたトイレがきれいになるのはもっと気持ちがいい・・・気がする。
ふと、子どもの頃に読んだ本を思い出した。 担任から贈られたその本は、ジュニア向けの詩の本だった。 その中に公衆トイレの清掃員の詩があった。他はまったく覚えていないが、今だにその詩の内容は覚えている。 清掃員はきれいに使われていないトイレを嘆きながら一生懸命便器を磨くのだ。 「お尻がまがっているのでしょうか」とか「そんなに急いでいたのでしょうか」みたいな、一昔前の(や、今でもそうなのかな)駅のトイレを思い浮かべれば、「そうだよなぁ」なんて思い当たるような問いがいくつも出てくる。 この清掃員は最後に自分が汚れることもかまわず洗いつづけ、奇麗になっていくトイレを見ながら言うのだ。 トイレを奇麗にできる女の人は美しい人だと言う。 トイレを奇麗にできる僕は美しいお嫁さんをもらえるかもしれない。
読むたびに、公衆トイレの匂いが思い浮かぶようなリアルな詩だった。
とりあえず世の中にはトイレ掃除をした方がいい人が多くなってきたような気がする。
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