みょうの日記
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最近、某塾は少しずつ書き込み問題を増やしているような気がする。 そうだろうそうだろう。前までがあまりにひどかった。全部が全部選択問題というひどいテストもあったぐらいだからね。
ところで最近、読解力の低下が叫ばれているが、常々不思議に思っていたことがあった。 学校の授業で「この小説は作者がどういう意図で書いたものか」という問題があったとすると、教師は「こういうつもりだった」とか「こういう意図がある」とか断言するんだよね(少なくとも私の頃は。今は知らないけど)。 だけど、そもそも著者はそこまで明確な解釈ありきで小説を書いているのだろうか。もし、今は亡き小説家達が自らの小説を「こうだ」と解釈されて学校で教えているのだと知ったとしたら、「ええー!? そんな意味じゃなかったのに〜」なんて驚くことはないだろうか。 なんてことを考えながら、国語のテストにつらつらと自分なりの解釈を書き綴り、思いっきり×をもらったことがある。その横に「面白い解釈だがそういう意図の問題ではないから」と但し書きがされていたが。 思えば生意気な子どもだった。
この季節、某CMにもなった物語を思い出す。 オーヘンリー作「賢者の贈り物」がそれだ。若い貧乏な夫婦が互いのプレゼントを買うために、夫は祖父の形見の懐中時計を、妻は自分の髪を売ってしまうという話だ。どうやらそれは互いを思いやる心を謳っているらしいのだが・・・。 その話を読んだ幼い私は思ったものだ。 「いつの時代も女の方がしたたかなんだな」と。 夫が売ったものは、失ったらもう取り返しがつかない大事な祖父の形見だ。それに対して妻が売ったのは時間が経てば取り戻せる自分の髪。 互いに用がなくなった贈り物(夫→櫛、妻→時計用の鎖)だけど、妻の方はいずれそれを使うことができるようになるわけで・・・。なぁんて皮肉も実は含まれているんじゃないかと思ってしまったわけだ。
何がいいたいかというと、結局学校で習うとしたら、こういう私の解釈は間違っている=読解力がない・・・ということになるのかな。 まぁ、誰が読んでもそう解釈はできんだろうという事を理解できないのは論外だけど、読解力の線引きはなかなか難しいんじゃなかろうか。
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