稲田朋美氏は、自民党総裁選で高市早苗氏を支援するにあたり「譲れない国家観」という言葉を使った。同じように、高市氏は「国家観」があるという意見に、私は違和感を持つ。恐らくは国家という言葉の定義自体が違うのだろう。国家とは、国民の生命財産を守る為に存在するものであり、その意思を決定する主権者もまた国民である。その機構や機能のカタチよりも、どのように国民と向き合っているのか、その姿勢こそが政治家が示すべき「国家観」である。●今日一日終日休み