てらさき雄介の日記
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2018年01月27日(土) 安全保障も人間の感情あってこそ

松本内閣府副大臣が辞任した。国会本会議中のヤジによる。その内容は言語道断。安全保障政策以前の問題だ。人間としての感情を逆なでしている。果たして沖縄に行ったことがあるのだろうか。

私は何度もある。相模原市と神奈川県も基地が多く、その調査の為だ。沖縄の現地で聞く声を総じて言えば、「気持ちをわかって欲しい。本土は冷たい」というもの。お話する度にいつも心が痛む。

以下、この日記にも何度か書いたが、改めて記してみたい。昭和20年、沖縄戦の末期に大田実海軍司令官が大本営に発信した電報だ。その直後に氏は手榴弾で自決している。すべての国会議員に刮目して欲しい。

(現代口語訳)

沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

敵が沖縄本島に対し攻撃を開始して以降、帝国陸海軍は防衛戦に専念し、県民の保護に関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集にすすんで応募。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれながらも、ただ着の身着のまま軍の作戦の邪魔にならないよう狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも、風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜のうちに遥か遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして、草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように戦い抜いた。県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。

●今日一日

【午前】
社交ダンス練習/富士見

【午後】
資料作成(報告会)/事務所
月例ミニ県政報告会(憲法改正)/中央

【夜】
JP労組さがみ支部新春のつどい/南区相模大野
支援飲食店閉店イベント/横山


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