てらさき雄介の日記
DiaryINDEXpastwill


2008年08月05日(火) サハリン・稚泊航路

ホテルからタクシーで約5分。国際線の港は市内にある。昭和20年より前と同じく、稚内とコルサコフ(大泊)をフェリーで繋いでいる。中国や韓国行きのフェリーは有名だが、今後は経済コストやエコを考えても、船による近隣への航路設置は重要と考える。

さて乗客は約100名、日本人とロシア人が半々というところだ。昨日会った稚内市サハリン課の方が、ある団体の見送りにわざわざ来ている。「北海道内の関係ある団体がサハリンに行く場合は、見送りだけでも来るようにしている。」とのこと。

出国手続きは至って簡単。乗船後しばらくすると、アナウンスとともに出航だ。快晴で空気が澄んでいれば、稚内市内からサハリンは肉眼で見える。そこまで距離にして約50キロだが、到着するコルサコフは大きな湾の奥。トータル約150キロある。

ペレストロイカ後、この稚泊航路が復活したとき、最初に運行したのはロシアの会社だった。しかし現在は、稚内と利尻を結んでいるのと同じ、日本の会社がその任にあたっている。

今のような夏場は、比較的乗船客もいるが、冬になるとめっきり減るらしい。ゆえに客の運賃では経営が成り立たず、稚内市も会社あて補助金を出している。夏のみでしかも週数回だが、このフェリーはあくまで国際線だ。市のみに負担させていることに疑問を感じた。

出航して2時間ほど経つと、左側にサハリンの先端がかかってくる。あとは湾内を進んでいくだけだが、いまだ前方に到達点は見えない。船内は、私も乗った広間的な2等スペースと、一つ上の階にラウンジ席の1等がある。2等は片道24000円。1等は3万4000円だ。往復チケットだと更に三分の二くらいになる。

何人かの乗船客と話をした。ロシア人は仕事で北海道に来て、帰っていく人が多かった。稚内だけでなく、札幌をはじめ道内各地、あるいは日本国内各地からだ。飛行機より安いので、船を利用しているらしい。

日本人は観光客が多いが、自然観光やサイクリングツアーなど、特定の目的を持った人が多い。親御さんの世代に、樺太に縁のあった人もいた。子どもの集団もいる。学校でツアーを組んだらしい。近くにある外国に行くことは、子どもたちの教育に有意義と思う。

前方遠くにコルサコフが見えてきた。それから約1時間、ついに港に到着した。そこからが長い。船を下りるまで30分、入国手続きに1時間、そして通訳と会いホテルに向かって出発するまで30分。計2時間かかった。この手際の悪さ?が懐かったりもする。バングラディッシュ・ダッカの乗り継ぎで、半日も待たされたことを思い出した。

コルサコフはサハリン州第3の都市。と言っても小さな街だ。車で10分も走ると、果てしない森林が広がる。北海道の風景を、更に凄くした感じ。自然をかきわかけて街は建設されるが、街と街の間の森林と河ははそのまま残っている。冬になればまさにツンドラだろう。

コルサコフとユジノサハリンスク(豊原)は約40キロの距離。時間も約40分で到着した。ユジノサハリンスクも、そんなに大きくない。街に入ってから、中心部の駅に着くまで10分と少し。若干渋滞していたが、それも一部の道路だ。

宿泊するホテルは、駅に併設してある。昔は鉄道職員の宿舎だったのを、旧ソ連時代にホテルにしたそうだ。チェックインの際にパスポートを一時預ける・・。事前に聞いていたので了としたが、普通はあり得ないことだ。宿泊者が来たことを、警察に届け出て登録するらしい。いまだにソ連的なところだ。

時間は既に夜の9時。しかし明るい。昼間のようだ。夕飯を食べようと思い散策を開始したが、夜?の一人歩きは危ないと思い、一番最初に見つけたレストランに入る。偶然にもそこは日本食。ロシアに来た初日に日本食もナンセンスと思ったが、致し方ないのでサケのちゃんちゃん焼きを食べた。

客は日本人1割、韓国人2割、他ロシア人といった感じだ。店員はすべてロシア人だ。聞くと店のオーナーは日本人で、在サハリン日本人会の名誉会長とのこと。ただサハリンの日本人は、戦後ずっと居続けた訳ではない。ほとんどがペレストロイカ後、長い人でもその少し以前から仕事で移り住んでいる。

明日から2日間、来サハリンの目的を達成すべく、精力的に動き回りたい。

【今日一日】
ロシア・サハリン州視察
フェリー
遠くにサハリンが
ユジノサハリンスク駅(向かって右の高い建物がホテル)


てらさき雄介 |MAILHomePage