てらさき雄介の日記
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2005年06月18日(土) “A級戦犯”分祀について

総理の靖国神社参拝問題に関連して、“A級戦犯”を分祀すべきとの意見があります。

私はこの考えに反対です。

私が靖国神社を参拝せず、総理も参拝すべきでないと考える理由については、5月26日の日記にも記載しましたのでここでは繰り返しません。

しかし“A級戦犯”が祀られていることは、この問題の本質ではありません。

また民間の宗教施設である靖国神社に誰が祀られていようと、それこそ大きなお世話(神社本庁のコメントからもそう読めます)であり、政治が口出しすべき話ではありません。

東京裁判をはじめとする当時の戦争裁判は、多くの無実の日本人を処刑台に送りました。A級戦犯のなかでも広田弘毅元総理などは、何故起訴されたのか自体がよくわかりません。

日本国民と諸外国に対して戦争責任を責任を負っている人は、“戦犯”と認定された以外にも多数おり、その中には戦後総理大臣までなった方もいます。

つまりは「戦犯」を定義した裁判自体が、極めていい加減なものだったのです。しかし変な裁判とはいえ、結果を政府が公式に受託している以上、一定のケジメも必要です。

ここにこそ、靖国神社が民間の宗教施設として存在する意味があるのです。死者に鞭打つ冷酷さを持たない日本人の心情を、政治とは別の視点で表現することができるからです。

政治と切り離した靖国神社にこそ、私たちの心もちを映す部分があると思います。

総理が声高に参拝するほど、靖国神社自体が政治的メッセージを持ってしまいます。それは避けなくてはなりません。


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