てらさき雄介の日記
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2005年04月16日(土) 人の生に疑問を持つ自分

タイトルにするのは憚られましたが、何と「宮崎勤被告がまだ生きていたのです。」

十数年前に同種の事件で死刑判決を受けたはずです。何とテレビ朝日の記者と文通をし、今回の事件についての感想も述べていました。

あれは中学生のときだったでしょうか。当時八王子に通学していたので、宮崎被告が八王子警察に連行されてきたことが心象的で、かつ出身が兄弟校だったこともあり、意外によく記憶しています。

死刑制度については、まだ流動的な意見しか言えませんが、原則廃止をすべきです。ただ例外は設ける必要がります。

その例外のひとつが、子どもに対する殺人事件です。かつて尊属殺人というのが法律上ありましたが、その逆説的な意味において許しがたいです。

数年前におきた大阪の池田小学校事件の犯人は、既に死刑を執行されています。

拘置所内で死刑囚世話係をした人の著書「そして、死刑は執行された」にもありましたが、死刑の執行は恣意的かつ任意的なものです。判決が出ても当該拘置所と政治の判断で、執行の可否が決まるのです。これは問題です。

それとこの宮崎被告の手紙を特集にしたテレビ朝日ですが、内容をよーく見ましたが、この手紙を公開している意味がない!

「かつての犯罪者宮崎被告」の冠で、視聴者にアピールしているしか意味が見出せませんでした。

彼の肉筆の手紙など出れば、遺族の精神的被害は増します。それでも公開する社会的な意義を、どこまで真剣に検討したのか疑問です。反省を促したいです。




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