てらさき雄介の日記
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2004年11月06日(土) 私が民主党に入った経緯と思い

今更ですが、私が何故民主党なのかということについてです。

1997年市議会補欠選挙に当選したときは無所属でした。その二年後に再選したときも無所属でした。しかし私はそれまで、自民党の公認ならびに推薦候補に投票したことは一度もありませんでした。

学生時代に藤井裕久代議士の事務所で勉強させていただいたとき、藤井代議士はとても立派な方でしたが、自民党しか選択肢のない中での腐敗した政治に嫌気がさしていました。そのような中で、羽田孜さんや小沢一郎さんや、藤井代議士が自民党を離党し“新生党”という政党をつくりました。その時藤井代議士のご指導のもと、“新生党学生塾”という団体をつくりました。当時私は大学四年生。その時のメンバーは今でも親しくしてます。

すぐ後に細川連立政権ができ、多少なりとも政治が変わるのではないかと思いまし。しかし残念ながら自民党の強さと、政権運営の未熟さから細川内閣は短命に終わりました。

その後相模原市議会補欠選挙で議席をただいたときは、新生党は無論、その後の“新進党”も崩壊した後でした。結果無所属です。

自由党藤井代議士を尊敬しながら、政党として民主党にシンパシーを感じていた私は、小選挙区で「藤井裕久」を応援しながら、比例代表を含む他全ての選挙では「民主党系」に投票するという状態でした。

森内閣ができたときに、これはひどいと思いながら客観的に見ていました。しかし小泉内閣ができ、支持率が80%に至ったとき私は決断しました。

「二大政党は風前の灯火、その可能性がある民主党に入ろう」

当時応援してくださっていた方にそのことを相談すると、ほとんどの方が反対でした。大変お世話になった後援会長さんもご恩返しができないまま退任され、少しずつカタチになりつつあった後援会も霧散してしまいました。

しかし今、そのときの自分の決断に悔いはありません。むしろますます意気盛んです。自由党との合併によって二大政党の道が更に開けただけでなく、尊敬する藤井代議士と同じ政党になったのです。

「政党にこだわることはない」というご意見はその通りです。確かに政治家は有権者に対して責任を負っているのであって、政党や支持団体や親分に対して負っているのではありません。

しかしそれでも政治を正すには政党を正さねばなりません。

言い訳をしながら民主党にいるのなら離党してください。嫌味ではなく、その方が皆んなのためになります。

私はあきらめません。民主党を本当の二大政党の一翼にするまでは。ご支援いただいている皆様には申し訳ありませんが、私の信条をご理解ください。


以下後日談
*欄外クイズです。“改革フォーラム21”ってご存知ですか?このジャンパーをひろちゃんまつりで着ていたら、数千人の参加者のなかでたった一人だけ気付いてくれました。このプレミアジャンパーは誰にもあげません。


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