てらさき雄介の日記
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2004年08月15日(日) 「敗戦」記念日という視点

戦争責任は、戦争で多くの人命と財産を失わせた結果に対して負うものです。

しかしもうひとつ忘れてはならないのが、「敗戦」の責任です。あの戦争を勝利すべきであったかは別にして、何故「敗戦」したのか何故「敗戦」する戦争をしてしまったのかの検証は必要です。

アメリカもそうですが当時の中華民国など多くの国は、日本の戦後賠償について多くを要求いたしませんでした。もし、日本の復興に影響があるほどの賠償を要求されていたらどうなっていたでしょうか。「敗れた」ことを意識することが必要です。

週刊モーニングで「ジパング」という漫画がはやっています。戦中にタイムスリップした自衛官の物語です。ある隊員たちは当時の日本を勝たせるために行動し、ある隊員たちはこの戦争自体が誤りだとし、結果がわかっていても日本を勝たせるべきではないと主張いたします。

このような漫画が現在はやっているのは、あの戦争について考えたいという意識の現われでもあります。

今日靖国神社で石原知事が「来年は天皇が参拝すべき」と主張いたしました。「霊」という抽象的なものと過去を結びつけることは、あまり問題ではありません。私も慰霊の気持ちは多くもっています。

しかし、日本を戦争に導き敗戦に導いた過去の「事実」に対して、それを肯定するために靖国が使われていることは残念でなりません。

東京裁判の是非を言うわけではありませんが、これから否が応でも世界に出て行かなければならない日本にとって、あの戦争の検証と総括は日本人自身の手で行うべきです。今からでも遅くはありません。


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