■■■
■■
■ 卒論提出。
昨日、卒業論文を出してきました。
僕は英文学専修なのですが、第一志望は 演劇映像専修という映像関係の研究をする ところでした。 (僕の学部は2年になるときに専修が決まる)
で、卒論は何を書いたのかというと、 「『ロミオとジュリエット』の映像比較論」 です。英語が素材ならば何でもよいよーという 学部の寛容さを利用して、卒論で映像を扱った 次第です。
具体的には映画化されたシェイクスピア原作 『ロミオとジュリエット』を3つ取り上げて、 それぞれの演出がどうなっているのかな、という ことを調べたわけです。
1つ目は1954年製作、レナート・カステラーニ監督の。 2つ目は1968年製作、フランコ・ゼッフィレッリ監督の。 3つ目は1996年製作、バズ・ラーマン監督の。
全部10回くらいずつ見たのですが、こんなに同じ 映画を何度も何度も何度も見たのは初めてです。
そこで気付いたことがあるのですが、たとえ10回目 でさえ何らかの新しい発見があるのです。 これは驚きでした。
映画って映像が流れていくものだから、絶対に どこかで見逃してるところってあるんですよねー。 自分の視点のクセとかもあるだろうし。
これは日常も一緒ですよね。
同じものを見ているのに、理解は異なる、みたいな。 日常の中で見逃しているものは、映画以上でしょう。
日常は情報だらけです。 日々、色々なものが僕らの目の中に入ってきます。 僕らはそれを効率的に取捨選択して取り込んでいきます。
取捨選択、それは非常に恐ろしいことでもあります。 それは誤解や偏見を生むからです。でもそれはしょうが ないのかな・・・。
10回目の映画を見ているとき、そんなことを思いました。
2004年12月18日(土)
|