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ねことおやつ
   
 

2004年04月03日(土) ★ 質実剛健のやま・キラキラたちへ

桜の季節が、随分早足です。
私が小学校の入学式をした、80年代のいつだったかの4月8日は
「入学式」のイラストに飾られるような桜もなく、
裸の桜の木で集合写真を撮った。

入学して、休み時間やっと慣れた校庭のはしっこでブランコに乗って
新しくできた友達の子と どっちがとおくまで飛べるか なんて比べながら
満開の桜の花を見て、世間の描くものなんて、嘘なんだって子供心に思った。



昨日 湯舟でちいき新聞をナナメ読みしながら
桜の特集を読んで、今日は桜を観たいと思った。

朝、桜と言えば、お城でしょう なんて思って

   「ねえ 松井田城見に行こう」

とダーを起こした。



『松井田城跡』の看板を峠の湯へ行く度に見て いつもいつも気になってた。
今日はとうとう松井田城へ行くのだ。

その、誘惑?されてた看板に従い横道へ入る。
道はどんどん山に入って、くねくねした田舎道になった。
小さな看板だけが「松井田城跡→」と示していて、なんて頼りないんだろう。

最終的に辿り着いたのは 畑のはしっこにある ただの空き地で、
車が2台も止まればもういっぱいっていう広さだった。
雑草まで生えてるし。
「えー。ねえ何にもない。」
道を間違えたかと思ったが、取りあえず降りてみると
踏み付けられたみたいに倒れたB4位の大きさの旧い看板があった。

“←松井田城跡 入り口”。

何となく、指す方向を見ればケモノ道が伸びてる感じもする。
「ちょっと、行ってみようよ」とふたりで侵入すると、登山道が伸びていた。
しばらく行くと、「←城跡入り口 本丸→」とかっていう、看板があった。
入り口の方へ向かう。山中を人が歩いたために作られた跡が道になって、ただそこを辿っている…そんな感じだった。途中、熊の足跡なんか発見したりした。本当に人が来ないんだ、ここは。なんて思った。心細くなるくらい細い道がずっとずっと続いていた。息が切れる。険しい山道に、そろそろ引き返そうかと思ったりもした。

「松井田城は、武田信玄に落とされたんだよ」
と、聞きかじりみたいな事をダーが教えてくれた。

山の斜面をわざとVの字に掘り込んであったりして、そんな場所には小さな看板があった。敵が攻め上るのを防ぐためにそんな風にしたのだそうだ。攻めにくい城だったのだそうだ。確かに、この山を登るのは嫌気が指すだろう。でも、武田信玄の士気は下がるかな?

『城跡・入口』は、その、ケモノ道のような所にでかい石がふたつあるだけだった。
その看板がなければ、その石が過去 城跡の入り口をしていた…なんて知る事もない、それくらい平凡な山の景色だった。

「ねえ、頂上には桜咲いてるかな。野生化してたりして。」
入口がここなのだから、もうすぐお城だろう。
と、ちょっと希望をもって先へ続いた。

ところが、だ。

車から『入口』まで歩いたのと同じくらい長い距離を歩く事になった。



今までで一番急な斜面を登るとお城の跡だった。
お城のあった場所には、小さな祠があるだけで、
平ベったい土地がもう林になっていた。

そこに申し訳程度に小さな看板があって、

   『松井田城はよくある壮大な城郭と違い 質素なものだった』

と書かれていた。

その平ベったい林はとても小さくて、…小学校の校庭の1/4くらいしかない、
なぜか とても心が痛んだ。

  悲しくなった。


桜も咲いてない。ただただ、山中でよく見たのは南天の木。あちこちに生えてる。
ナンテンの木は「難を転ずる」と縁起物で日本人に愛されて来た。
この山を守りたい そんな思いで植えたのだろうか、とか思ってみる。
ひとの想いでそこに存在する木。

ここは ただただ森林が続いていて 平凡な山なのだ。
残っているものは、守りの為に思考を凝らした、登りにくい山道。
松井田城は 戦い、城を守るためだけのものだったのかな。
統べて焼かれてしまったのかな。でも、石垣もない。

  私は、贅沢をして自分の地位を誇示するためのお城ばかり見て来た。

このお城を作った人は、どんな気持だっただろう、
天下の武田信玄が来る時、このお城の人はどんな思いだっただろう、
お城が無くなった時は?

…と、なんだか この場所にまつわる、いろいろいろんなひとのこころを 
想像し思いめぐった。




帰りの山道もときどき急で、長くてもうたどり着けないんじゃないかという気持になった。この道は、どこに続いているんだろう?みたいな。
「ねえ、帰ったら100年後の世界だったらどうする?
 でも、松井田だからたいして景色も変わってないの」
などと真剣に考えてみる。

  自販機はきっと変わってるよね。買物は紙幣が変わってて財布から出したら
  “これは古銭ショップへ持ってったほうがいいよ”とか言われるかも
  … とか、
  私たちのボロい軽自動車もレアな旧車になってて“いい車乗ってますね”
  とかって声かけられるかもよ!‥とか、
  “100年も経ってるとガソリンが悪くなってエンジンがかからない”とダー。
  そんな事を話しながら下山した。

車に辿り着いても、やっぱりそんな気分だった。
この空き地のまわりの畑は100年後も変わってない気がするから。

「あっ、エンジンかかった」と、ダー。
よかった。なんて。




登る時は、どうして城跡なのに観光しやすくしないんだ、とか思った。
もっと、こんな歴史は大切にすればいいのに!とか、
人を集めるような設備を整えればいいのに!とか。
(御手洗いも自販機もない)

でも、下山して思う。
この城はこうして名もないようなケモノ道を心細い看板頼りに登って、
そして あの城跡に辿り着いてこそ、
『松井田城・跡』なのだ。

たぶん、この城の主だった人は贅沢をしなかった。
きっと、ただただ、松井田城を守る事を考えた。
そして落とされた。





この、ささやかで そっと ここにあるみたいな
こんな総てが 悲しくて そして似合ってる、
なんて思った。





でも、あまりにも寂しそうだから
1年に一度くらいは登ってあげたいなと思った。

…それを言ったら、ダーはすごい嫌な顔をした。












帰りは、関所食堂へ行き、
今回初挑戦の 塩ラーメンと、中華丼を食べた。
関所食堂はラーメンでよく掲載されてるが アンチ醤油ラーメンな私には
ぜんぜん美味しくない。でも、ここの中華丼は旨い!のだ。
ここは中華丼がイイと思う。好きだ。

松井田城跡で 出会えない人のこころの触れたから、
帰りの車ではひどく いろんな人の事を想った。




それは、主に
何かを目指して飛ぶ 星達の事だった。
流れに逆らって昇り泳ぐ、さかなたちの事だった。
それをあきらめた、きいろのことだった。



    みんな、みんな、飛んでゆけ。


そして、いくつも描いた思念の結末はすべて同じだった。


    キラキラは、後から必ずついてくる。




私はそれを信じてる。
ぜったい、そうなる、なんか、そう思うんだ。




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猫と愛のある生活、お返事ありがとう。
その晩にすぐ読んでなんか泣きたいくらい助かった気持になった。
いつもちゃんとお返事くれる。嬉しいです。

ずっと前のポロリン日記もその日に読んだ。嬉しかった。
ちゃんと またいろいろ考えたいと思ったから、
お返事がおざなりみたいになったけど、そうじゃないです。

私のこと解ってくれてありがとう。





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私は、自分がその人のことを思う時、
その人も自分のことを思いだしてると 思ってる。
そうやって、ひとと人は繋がると思ってる。




今日、その事が証明された。

帰宅、ダーはゲームをはじめた。
私は猫用ゲージが売れたのでその解体・梱包をしていた。
単純作業は、久々に晴れた活動的なノーミソを自由にする。

ある時から、私は ふぅちゃんと、T氏の事やそれにまつわる話をした。
私は、T氏が 女の子に対して都合のいい所しか見た事がないから、それがひどく腹がたつと思っている。寂しかったら来てくれる人(今はふぅちゃん)を呼び出すし、帰りに困ったら女の子に迎えに来てもらう。逆に、女の子が巻き起こしたメンド臭い事につきあってる所がないのだ。だって、面倒臭い女の子を選ばないから。みな都合がよいのだ。そんなT氏だから、私の好きだと思う女の子は紹介したくない。
なのに、ふぅちゃんとと…!!

ふぅちゃんは「えー、彼、すっごく優しいよ」と言う。
優しいに決まってる。都合のよい優しさ。都合のよさの易しさ。
そんなの、私から見れば ただの“恋人ごっこ”なのだ!!!
…みたいな、お話。




そんな話中に私の携帯が鳴って、メールを受信した。
ふぅちゃんからだった。昨日、遊びに来たから そういった内容のメールだった。

また話を続けていたら、今度はダーの電話がなった。
T氏からだった。


そして、ダーはT氏と遊びに(飲みに)出掛けて行った。




まさに・今をトキメク渦中の人々からのアクセス。
これは、私たちが繋がったと信じてよいのではないだろうか。



『うまく行ってる恋人達は、顔が似てくる』
『うまく行ってる恋人同士は、歩調があう』
『仲のいい女の子同士は、服が似てくる・体型が似てくる』
に、続くキシカ説なのではないだろうか。

『誰かを思う時、誰かも自分を思ってる』
追加決定なのだ。


そんな訳で、遠く離れたあなたが、いき生きと何かを描いていて、
ときどきは私の事を…記憶をなぞったり思ったりしたことを、

   解ってます。


…だと、いいなあ。



父長崎人+母福岡人=純血の九州オンナ、福岡に産まれ、
関東→京都→佐賀→京都→横浜→群馬と流れてます‥

レイ 

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