始めて、ソノ時期に税務署に行った。 確定申告なのだ。
「収入がないので、その事を申告しにきました」とムショの受付おじさんに言うと めんどくさそうに市役所に行くように言われてしまった。
市役所駐車場はめずらしくコミコミで満車、5mごとに進むすすむ。 役所なので長居する人はいない、しばらくすると駐車できた。
2階29番窓口に行くと、ワラワラと申告待ちの老男女が用意された椅子にかけて待っていた。若い?申告者は数人だった。 順番が来て、その旨伝えるとちゃくちゃくと申告書を作ってくれ、ものの5秒で手続きが完了した。なんだ簡単じゃないの。時期じゃない時に行くと、せつせつと説教されたり 働けと言われたりするのに。 お役人様も忙しくてそれ所じゃないのだ。
ちなみに、京都で無収入申告をすると、市民税だけでなく自動車税も免除になる。 長女姉のダンナに言わせると、群馬では免除にならぬらしい。残念?
帰りに地下の食堂で昼食として ミニ丼食べた。 食券買って渡すと無愛想なオバチャンが作ってくれた。 役所ってのは、食堂のオバチャンまで事務的なんだろうかね。 無味に昼食を取り、あとにした。
帰途、役所の駐車場から出るため 坂道発進の嵐、 ヘタクソドライバーには辛い緊張の連続だった。
確定申告より、こっちの方が辛かったりして。
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午後、次女姉夫妻がどくだみ茶を持って来てくれた。 1時間半ほどいて、帰って行った。
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ふぅちゃんのお婆ちゃんが先日より危篤とのことだった。 どうですか?と、今日聞いてみたら一命とりとめたそうだ。
ふぅちゃんは、父親方について育っていて 母親方のお婆ちゃんだから そうそう簡単には会いに行けない、悲しい と言った。 孫なのに、そんな事って!!…ある。 悲しいかな、そういうオトナの事情は血縁者をも阻む事がある。
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いろいろ自分の事も考えてみた。 私は母方なので 父方の祖父母が亡くなった事を、数カ月経ってから知らされた。 その、亡くなる前の年の夏にン十年ぶりとかで父方の実家へ行き、祖父母と会ってたので びっくりした。
私の白いジープを停めるのにお爺ちゃんが先導してくれた。
「お婆ちゃんがいるから、お爺ちゃんは生きてるんだ」と、 言ってお爺ちゃんはお婆ちゃんと私を前に笑った。 仲よかった。
その後、お婆ちゃんと近所のチャンポン屋に行ってチャンポンを食べた。 あんなに実とシャンとしてたのに。
お婆ちゃんが夏に亡くなり、お爺ちゃんは後を追うように11月に亡くなったのだそうだ。お爺ちゃんの言葉の通り お爺ちゃんを生かしていたのはお婆ちゃんだった…
…とか、考えてたら、なんかシランが電話口で泣いてた。
長崎の、 階段を登ったところにある旧い実家はもうない。
そう言えば、そんな電話を貰ったのは 数年前のこんな時期だったような気がする。
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だけど、危篤だと知らされても 母方にいる私は駆けつけれただろうか。 他人の事になってはじめて、その理不尽なオトナの都合みたいなのに気付いた。
人の生き死ににまで、係わる 縁の繋がり。
生きて別れると、 死ぬとき別れられない。
そこで死んだと知らされなければ、私の祖父母はずっと生きていた。
父長崎人+母福岡人=純血の九州オンナ、福岡に産まれ、
関東→京都→佐賀→京都→横浜→群馬と流れてます‥
レイ
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