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2002年02月15日(金) それが偽善だって言われた時は、一睡もできなくて初めて授業がまともに頭に入らなかった。

涙ふく ハンカチの 色をした
雲が 北へと 流れてゆく
きっとどこか 遠い国で 僕より辛い
心の 人が いるのだろう
おおい雲よ 僕はいい 我慢できるよ
その人の瞳に 浮かんでくれ 
おおい雲よ 涙をふいてあげたら

その人の瞳は 空の色だろう

私の大好きな歌。ドラえもん「のびたの雲の王国」のエンディングテーマ
あたしは あたしはいいよなんて言わないで 可愛い雲を見ているんだろうな




DEAR リリー様
今日さ、また泣いちゃった。
あたし泣き虫なんだ。
18なのにね〜。
リリーの事考えてたら左目から雫が3滴つーってほおをつたったよ。
せっかく寝ようとしたのに、リリーのことで頭いっぱいになっちゃってさ。
昨日ね、シャンプーしてたらふと気がついたんだよね。
「これってリリーにシャンプーしてあげたのと同じ匂いじゃん」って

あたしの体がこんなんじゃなかったら
もっといっぱい
散歩してあげられたのにね
ごめんねリリー
リリーは本当にしあわせだったん?

リリーが死んじゃった時は何も感じなかったのに
後になってリリーがあたしの中で
どんどんどんどん大きな存在になってるの
胸からあふれて壊れちゃいそうだったよ
やっぱり大切なものは無くなってから気がつくんだね。
失ってからじゃあもう遅いのにね。

あたしリリーになんもしてやれんかったよ?
時々思うんだよね
もっともっと幸せな生きかたがあなたにはあったのかもねってさ。


でもね、最近もっともっとあたしのなかで膨れ上がっている
大きな問題があるの。
それが頭から離れなくってさ
だから二通目の手紙だしたってわけ。
それはね、障害者の事なんだ。

私中学二年生の時にすごく苦しい思いをした事があるんだ。
障害者の友達がクラスにいてね、その子は私にしか心を開かないの。
だから私にしか話しかけなかった。私としか喋らなかった。
それでいつのまにか私がそのこの「お世話が係り」になってたの。
なんとなくね、そうなちゃったんだ。
クラスのこの
「しずくちゃんがいるからいいや。私達は関わり会いにならなくて良かった。」
そう言う空気が私にはびんびんにいっつも伝わってきてて、
それを感じるたびに私は悲しくて辛くなった。
その子とは1日中一緒にいなきゃいけなくて
部活も同じだし、痴呆のおばあさんを見ている感じでもう精神的にズタズタになった。ただでさえ精神病患ってるのに。
泣きたくても泣けなかった。学校では。苦しくて苦しくて
家に帰って母の前で毎日大泣きしてた。
「何で私だけがあのこのめんどうみなくちゃいけないの?」って
やっぱり障害者ってちょっと特別な目で見られるから前は良くいじめられてた。
で、私友達がいなかったから。ほら、蒲郡って田舎だから保育園、小、中
って持ちあがりじゃん?
だからグループ結成みたいな者が確立されてて仲間に入れてもらうのに死ぬほど苦労するの。特に女子の場合は。でも私は寂しかった。めっちゃ辛くて
一生懸命友達作ろうと思って頑張った。
でもこう言われたんだ。
「Eちゃんがいるんじゃあねぇ・・・。」

あたしは自分の耳を疑った。
でもその声は本物だった。
心がまっぷたつに割けた。友達が欲しい…向こうのグループに行っちゃおうか
この子を放っておいたら、またいじめられちゃう。
でも・・・でも私だって友達が欲しい。
毎日毎日毎日。。。。
悩んで悩んで悩んで・・・・
出した答えが

「彼女とずっと一緒にいる。」

って事だった。
彼女の代りに代弁し
彼女の代りに作品を作り
彼女の代りにノートをとって
そしていつもいつも影みたいに後ろからくっついてきた
嫌だった
でも逃げられなかった
どうしようもなかった。もう決まっちゃったことだもん。
そう言う雰囲気になっちゃったんだもん。
でもやっぱり心の中では
「そんな風に考えている自分」
彼女を皆と同等と考えて・・・というか「やはりどこかで差別している自分」
がすごく嫌な生き物に思えてずっとずっと自分自身を責めつづけた。
周りから彼女に対してうわべだけでちょっかいを出したり
おだてたりする級友達には真底腹がたち、そしてその限度を超えて悲しくなった。

学校にあまり登校できていないくせに偉そうだが
本当にこのときは苦しくて息が詰まりそうでどうにかなりそうだった。

でも、彼女のことは真底嫌いとかそう言うんじゃなくて
なんだろう・・・言葉では言い表せないけどなんとなくどこかで好きだった。

だから中二の時は私にはクラスに友達が出来なかった。
私が消極的って言うのもあったかもしれないけど
セットにされてそしてのけものにされていた。

学校なんて大っ嫌い。人間なんて大っ嫌いだった。


18になって通信制に入った。
でも週一の授業、そして希薄な友達関係なんかうんざりだった。
いちいち神経がつかれた。
私みたいにいわゆる「まじめ」な女子はいなかったから
タイプが合う子がいなかったから
私はそこでも浮いていた。
なんだか生きている心地がしなくって
死んでいるんだか 生きているんだかもうどうでも良くなっていた。

ある時母が
「障害者と一緒に運動するっていうボランティアがあるんだけど
どうする?」

と話を持ちかけてきた。
あまり乗り気じゃなかった。
だって自分だけ浮くのは目に見えてるんだもん。
人との係わり合いが大の苦手だった。
現場に到着。
5〜18歳くらい障害者の方と、ボランティアが2人1人組でペアになる。
そして平均台をさせてあげたり、ボール投げをしたり
ボーリングのような事をしたり、一緒にダンスをしたり
でも、でも・・・
そのペアの障害者の子をどうやって遊んだらいいか
どう接したらいいのかすごくためらってしまった。
だって明らかに私のこと避けてるし、困ってしまった。
そばにはすごく活発で一緒に楽しそうに遊んであげているあたしより
1つ上のお姉さんがいた。
私は「きっとあのお姉さんと遊んだ方が楽しいんだろうな。。。あたしなんかより」
毎回そんな事ばっかり考えていた。
5回ほど参加したけど、体のほうにがたが来ちゃってもう行けなくなってしまった。


話が戻るけど中二の冬、あたしは爆発した。
保健の先生に全部を訴えた。
こんなに人の前で泣いたのは初めてだった。
恥かしさも何もとにかく限度を超えていたから
もう周りの事なんか気にしてる余裕なんて無かった。
暖房が効いた温かい部屋で、あたしが泣き止んだ時H先生はおっしゃった。

「距離を置きなさい」

距離・・・


考えたことも無かった。
わたしがいなきゃ何もできないって思っていたから。
して<あげなきゃ>
勝手に決めつけていた。馬鹿は私だった。
馬鹿だったけどいっつも一生懸命だった。
でもやっぱり私がいなかったらちょっと困るところもあって・・・。

それから中学3年になった彼女はめきめき成長し始めた。
解放された私は部活内で友達を見つけた。
彼女も少しずつだけど新しい友達を自分で作る努力をしていた。
高校に入って、この前電話をかけた時すごく声が明るくって
しっかりしていた。全体的に。
なんだか嬉しかった。なんとなくそう思った。
安心した。



障害者の子(ボランティア)
はきっとあたしを全部見ぬいていたんじゃないかって思う。
あたしの自信のなさも、でも一生懸命どうにかしようと思ってたことも。


なんでなんだろうね。
何故人は人を差別してしまうのかな?
そういう気持ちが生まれてしまうのかな?
自分自信も悲しいし
相手だってきっと何か感じていると思う。

障害者か・・・
なんかその響きが人と人の間に距離を置いている気がする。
でもそういう風に考えてしまう自分もやっぱりまだ一体になれない気持ちが
あるんだろうな。
悩んじゃう・・・どうしたら一緒になれるのかな?



あたしは自分で「私は精神病です」
っていうのが怖い。
だって差別や偏見の目で見る人は絶対いるもん。
それが少数派だからだよね。
でも私今ははあえて公表したいって思ってる。
ちゃんとした知識を持って欲しいって。
日本中の人が精神病だったら問題ないのにね。
日本中の人が障害者だったら問題ないのにね。
最近こんな事ばっかり頭の中でぐるぐる回ってる。


また元気になったらボランティアに参加したい。
今度は自信を持って。
そしたら今度は
「私はいいよ、我慢できるよ」
って言う事ができるかもしれない。


FROMしずく




*私の日記を読んで下さった方々からたくさんの励まし&共感のメール
をいただきました。みなさんどうもありがとうございました。
ほんとに、ほんとに嬉しかったです。
なんだか元気が出ました。それでまたちょっと自信がつきましたvv
ありがと〜♪





今日の文章はなんとなくまとまってなかったかも・・・(汗
考えがまとまらなくて
多めに見てやってください。
 


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