| 2003年09月26日(金) |
都知事発言について。 |
しばらく前、石原慎太郎東京都知事の「爆弾を仕掛けられて当たり前」発言が問題になった。
書いておこうかどうしようか迷ったけれど、今回曽我さんのお母様への発言もあったので、やっぱり書いておこう。
上記発言を知った時、非常に、心底、不快に思った。 彼の発言には「犯罪被害者に対する配慮」というものが全く感じられないからだ。
たとえどんな背景があろうとも、どんな職の人間であろうとも、爆弾を仕掛けられた側は被害者だ。 それを「当たり前」と言い捨てるのは、路上で強盗殺人にあった被害者に「用心が足りなかったから被害にあって当然だ」と言うのと同じだと思う。 そしてそこには粗雑で独善的なメンタリティと、精神的教養の低さ、人間性の劣悪さしか感じられない。
今回の曽我さんに対する発言もそうだが、彼の発言は犯罪被害者に対して実に冷酷だ。
それを正当化しようとする言い訳を聞いても、ああ、まともな躾を受けず我が儘一杯に育てられた自己中心的人格の人間なのだな、とか、他人に対する配慮の出来ない人間なのだな、としか思えないのだ。
たとえ用心が足りなかったとしても、たとえ言動に対する報復としての犯罪だったとしても、犯罪者より犯罪被害者の方が悪いなどということは有り得ない。 日本は一応は法治国家を標榜しているのだから。
「爆弾を仕掛けられて当たり前」という発言は、被害者の方が悪い、犯罪者の行動が「当たり前」なのだと宣言している。 そういう法治国家に相応しくない見識を持った人間が首都東京のトップに平然と居座っている、という異常な事態を、平気で受け入れている都民の心理も不思議だが、まあこれは日本が『法治国家』である、という建て前事態が嘘だという証拠なのだろう。
私にとっては、彼は、ああ私は都民でなくて良かった、と心底思える知事だ。 隣の芝は青い、と思わなくて済むって、僥倖だなあ。
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