友達。 2002年11月17日(日)

先月末、学校で球技大会があった。
私の出場する協議は1つはもう終わり残りは最終日なので応援に徹していた。
球技大会2日目、雨の中体育館で行われたドッヂボール。
あの試合が終わったあとに起こった事は絶対忘れないと思う。

私はその試合補欠だったから応援席(?)で皆を応援していた。
その試合はとても白熱していて見ているこちらまでがはらはらドキドキしながら応援していた。
私の友人はコートの前のほうに出てボールを取ったり投げたりしていた。
その試合の後まさかその子が倒れるなんて思ってもなかった。

その友人は朝から調子が悪いと言っていたが試合が終わった後急に具合が悪くなったというのでトイレに行った。
でも何分待ってもトイレから出てこないので付き添っていた子が不信に思ってトイレに入ってみるとその子は倒れていた。
その時は既に心臓・呼吸器官全て停止していたそうだ。
私はそんな事全く知らなくて付き添っていた子がパニックを起こしていたときも何が起こったか判らなかった。
救急車が呼ばれて、友人が運ばれた後もただの貧血とかだといいけど…と思っていた。

次の日の朝、全校放送が流された。
友人はクモ膜下出血と脳内出血を平行していたそうで脳機能は停止、かろうじて強心剤を投与して心臓は動いている状態だと知った。
クラスの皆はそれを聞いた瞬間泣き出した。
でも私は泣けなかった。
薄情とも思ったけど倒れる数分前まで話していたし、信じられなかった。
その後は全校生徒で千羽鶴を折ったり励ましのメッセージを録音したりした。

それから21日後の深夜、彼女は息を引き取った。
本当にいい子だった。
頭はいいし、誰にでも親切で優しく、責任感も強くて誰にでも好かれる子だった。
卒業したら留学するって楽しそうに夢も語ってくれた。
それなのになんであの子が…
今でも信じられない。

11/16、彼女の告別式に行った。
告別式には300人以上の人がきていて彼女の人望が伺えた。
告別式の中で彼女の生前の映像を5分間だけ流した。
スクリーンの中には笑顔を向ける彼女の姿。
知らず知らずのうちに涙が溢れてきた。
そして柩の中に眠る彼女を見ても、未だに実感が持てなかった。
泣きじゃくる人々。
未だに彼女の死を受け入れられない自分…
思い返してみても、彼女と過ごした3年にも満たない歳月。
それでも常に共にあった彼女。

これからは毎日、学校に行っても私に笑顔を向けてはくれないし名前も呼んでくれない。
でも私は彼女の事は忘れない。

彼女は17年という短すぎる時を駆け抜けるように過ぎていった。
たくさんの思い出を有難う!
私は絶対貴方を忘れないよ!!

ご冥福をお祈りします。

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