DOTFAMILYの平和な日々
DiaryINDEXpastwill


2012年07月07日(土) 葬式騒動:その9

さて、突然決まった初七日であるが、お寺さんは義父の供養を快く引き受けてくださった。が、平日でもあるし、私は締め切りを目の前にした仕事を抱えていた。そこで大変失礼だと思ったのだが、愚息を代理に行かせることにした。愚息は、不幸なことに短い人生の間にお葬式にはもう何度も参列している。親戚の葬式ではなく友人の葬式だ。お葬式だけでなくお通夜、初七日、四十九日などを含めて仏教の法事にも何度も参列したことがあるので、お布施を渡してお坊さんにお礼を言うのを愚息に頼めばよかったのだが、それはダンナに対して失礼だろうと思ったのでダンナにお布施を渡して・・・

「終わったらお坊さんのところにいって、お礼を言ってからお布施を渡してお供えして頂くようにお願いしてきなさい。」

と言っておいた。お布施を渡す作法については省略した。そんなこと付け焼刃で覚えても緊張して間違うかもしれない。たとえ無作法なことをやっても心を込めたお礼を言えばそれで良い。ダンナは初七日をやって頂くことに心から感謝しているのだから、気持ちは伝わるだろう。

参加者3人の地味な供養であるはずだったのだが、なんと次男夫婦と三男とその息子がやってきたそうである。(娘は旅行中だったので参列できなかった。)そりゃ人数は多い方がいい。義母も喜んだことだろう。

さて、初七日の法事が無事終了し、ダンナがお布施を渡しに行こうとしたら、例の次男が・・・

「お坊さんに直接お金を渡すなんてそんな失礼なことは絶対に許されない。お金は事務所に渡すのが決まりだ」

と物凄く叱られたそうだ。

私はお葬式を東本願寺でやっていただくと決まった時から、浄土真宗の決まりは知らない、とダンナに言ってある。それに対して次男は東本願寺の葬式のエキスパートである。ここは弟のいう通りにした方がいいのではないかとダンナは思ったそうである。それに、お寺の中で争いごとはしたくない。「だって直接渡せって言われたんだもん」なんてゴネたくない。そこで、事務所にお布施を渡してきたのである。

お布施は寄付ではない。お坊さんにあげるのでもない。お坊さんを通して阿弥陀如来(だっけ?)にお供えして頂くのだ。もちろん、自分で直接あげてもいいのだが(ご本尊の前に置いてきてもいい)、お坊さんにお願いしても失礼になるということはない。お坊さんだって、「わ〜い、お金貰っちゃった。今晩は美味しいものでも食べに行こっと」なんて思わない。宗派が違っていてもそれは同じだろう?それに、檀家ではないのだから、お寺への寄付(お礼)は別にちゃんと用意してあった。

何考えてるんだお前ら!

と思ったのではあるが、もしかしたら私が間違っているのかもしれない。浄土真宗ではお布施をお坊さんに渡すのはご法度なのかもしれない、と一抹の不安は残った。無知だから自分の主張に自信が持てない。困ったことだ。

さて、義妹は葬儀の直前に葬儀社の人から事務的な指示を受けたそうである。その中に・・・

「お布施は葬儀の後に喪主が必ず直接お坊さんにお渡し下さい。その時にお礼も言います。」

というのがあったそうである。

次男からダンナが寄付を直接お坊さんに渡そうなんでとんでもない無礼なことをやろうとした、と聞いていた妹はぶったまげたそうだ。これまで仏教の葬儀のエキスパートだから(スライドショーも含めて)自分が決めることに間違いはないという二番目の兄の言葉を信じて葬儀の計画をたてていたのである。何を信じたらいいのかわからなくなったそうだ。

そんなの決まってるじゃないか!

まず、お寺とお坊さんを信じればいい。お坊さんに聞くのをためらわれる質問は葬儀社の人に聞けばいい。知らないことこ聞くのは恥ではないのは日本でもアメリカでも同じ。

知らないくせに知ったかぶりをして偉そうに振舞うんじゃねぇよ!

ちなみに、キリスト教にも「お布施」はある。「寄付」もあるし、「お布施」は「寄付」とは違う。「お布施」はOfferingと言って、神様に対する感謝の印だ。「寄付」はDonation。教会を修理したいとか、信者の家族が病気だから助けたいとか、東日本大震災の被害者に届けたいとか、通常は特定の目的で募る。キリスト教がベースになっているアメリカ文化でもOfferingとDonationは別のものとして考えられている。当然Offeringを直接神父/牧師に渡すのは失礼な行為ではない。Offeringとは神様に捧げるものであって、神父/牧師にあげるのではないからだ。


DOTMOTHER | 掲示板ホームお手紙

My追加