DOTFAMILYの平和な日々
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2002年04月07日(日) 本来的な話

数年前から気になっていたことがある。
「○○的」の『的』という使い方のことだ。

「私的には〜」という文を見かけるようになったのはいつの頃からだっただろう。
これはこれで良い。
特に反対意見はない。

言葉というものは日々変わっていくものだと思っている。
流行語だったものが定着して広辞苑に載ったりする。
最初は聞くたびに変だなぁと思っていた言葉をいつの間にか自分が使っていたりする。
そうやって言葉は変わっていく。
乱れていくとは思っていない。

若者が私にわからない言葉で話す。
これも数百年前からあったことである。
一々目くじら立てて怒ることでもあるまい。
要はきちんとコミュニケートできれば良いのである。

もちろん、そういう言葉は『美しくない!』という意見もあるだろう。
が、日常会話で大切なのは美しさではなくわかりやすさだと思う。
わかりやすい上で美しいのなら尚良い。
しかし、美しくてもわかりにくいのは困る。
しかも、この「美しい」と感じる気持ちは人によって違う。

で、「○○的」である。
これはずっと流行語だと思っていた。
私は個人的には「私的には」という言葉が好きではないので自分では使わないが、人が使う分には意味は理解していた・・・と思っていた。
他にも「○○的には〜」という文はよく見かけるが、何となく意味はわかる気がするし、漠然と「これってどういう風に使うのかなぁ?」と思っていた。

先日、阿刀田高著の『奇妙な昼下がり』(講談社文庫)を読んでいたら、あとがきに
『本来的にはこういう事情を含んでいたものを切り離し〜』という文があった。
この本は1996年に発行されたものだ。
最近の本ではない。
しかも、阿刀田高という人は「今時の若者」ではないと思う。
(私より年上だと思うけどなぁ)
そういう人でも「本来的には〜」という言葉を使っている。

ふむ・・・

やはりわかっていた気になっていただけだったのだろうか?
私なら「本来はこういう事情を〜」と書くと思う。
でもここに『的』という語が入っているからにはここは「本来は〜」ではいけないのであろう。
「本来は」と「本来的には」とはどうやって使い分けるのだろう?
どのような違いがあるのだろう?


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