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2023年04月10日(月)
ストイックという言葉について改めて考えてみる。そういえば、 ストイック=生真面目ストイックぐらいしか認識はなかったが、それでも、 その認識は甘かったようだ。そこで、正面にすえて考えると、自らがの根底が 曖昧のためか、それ故の人生の失敗が直結していたことに,今さら気づかざる を得ないということ。 そこでストイックにストイックを考えてみると! 身近を見ると…家内は真逆のストイック的だが、私は半端なストイック的性格。 ネット辞書によると… 【 * 生真面目なタイプの人… ・「ストイック」とは、「(目標への到達のために)自分を厳しく律する」 という禁欲的で求道的な姿勢や生き方を指す意味で用いられる表現である。 ・「禁欲的で克己的なありよう」、または「ストア学派の学者」のことです ・一般的には、誘惑に負けない強い心で物事と向き合うという意味でいられる。 つまり、ストイックな人とは、禁欲的で自分に厳しい人のことを表味します。 ・ストイックな人は、目標に向かって一生懸命励み、最善を尽くすのを当たり 前と捉えているため、努力を苦に感じることがあまりないようです。 ストイックな人は、何かの目標を達成するためには努力が必然であると考え ています。もし、努力を苦に感じることがあったとしても、「目標達成に 努力は必然」という心理が根底にあるので、意思を曲げることなく努力が 続けられます。】
・・・・・・ 6966,読書日記 〜ネガティブ・バイアス −2 2020年04月10日(金) < 『しあわせ仮説』 藤澤隆史著 > * 9割は否定的な思いで… <人間の心は放っておくと、九割は否定的方向に傾いてしまいます。だから 常に肯定的思考を身につけなければなりません。【ジョセフ・マーフィー】>
9年前にリタイアし、地元に住んでいるが、その息苦しいこと極まりない。 流動性が少ないのが要因だが、否定的バイアス、それも世間バイアスに雁字搦め。 何代前までの因縁で固められていることが多い。 城下町カースト制みたいな 因縁社会である。 これはアフリカのケニアの村町のそれとホボ同じというのが 誰も知りようがない。ここで、安心して住むには、せめて精神だけでも、遠くの 森の高い樹上に住み、虫や、小鳥の鳴き声、囀りから離れるしかないと決めていた。 これを書き続けているのも、その一つ。太平洋戦争の敗戦の中で、高度成長を 実直に成し遂げて落ち着きを戻した頃、アメリカ的なポジティブ・マインドが、 日本にも定着をしてきた。地政学的にみて、アメリカ大陸と、ロシア、中国、 アジアの防壁の島国の有利性で比較的恵まれた位置にあり、その恩恵を得て、 現在に至っている。ポジティブ・バイアスの重要性を説いたのが、「中村天風」。 まずは、日本人が持つ、湿気が多い体質を指摘し『積極一貫』のポジティブ・ マインドの必要性を説く。 …個々のバイアスは、親がかりのケースが多い。 地元に残り公務員をした同期生の話に、驚いたことがある。 < 父親が酒と博打で、家に金を入れないため、長男の俺が家族を支えるため、 中卒後に地元の工場に勤務、夜間高校で学びながら働き、地方公務員の 試験に合格し、その後、地方公務員の消防士として定年を向かえた。もちろん、 消防士は、様ざまな手当てが付くことを知って。良い人生だった。 > しかし、そこに暗い陰は微塵もない。ネガティブの条件をバネとしてポジティブ に生きたからである。
…大学がミッション系もあり、その校風が明るく、開放的、かつ純粋。 特に、人が良い。悔しいことだが、小学校からのエスカレーター組の ネアカに驚かされる。家庭環境が裕福もあるが、幼児教育の根底からして、 理念がベースにあるのだろう。(例外もあるが…) ポジティブ・バイアスが シッカリあるからだろう。そう考えると、家柄が本人にとって重要ということ。
そこで次回で、他のバイアスをテーマにしてみたい。 …老化すると、ネガティブ・バイアスが頭をもたらすようだ。
≪ 世界幸福度ランキングで指標となっている項目は、 「所得」「社会的支援」「健康寿命」「人生の選択の自由度」「寛容さ」 「腐敗の認識」でポイント付けられています。 「寛容さ」は、チャリティなどに寄付をした事があるか?で判断され、 「腐敗の認識」とは、不満や悲しみ・怒りが少なく、社会・政府に腐敗が 蔓延していないか? これらが判断基準になります。 日本の幸福度は先進国の中でも低いです。 「所得」「社会的支援」「健康寿命」「自由度」では高いポイントですが、 「寛容さ」と「腐敗の認識」のポイントが異常に低いのが日本人です。≫
・・・・・・ 6599,閑話小題 〜ケーシー高峰 逝く 2019年04月10日(水) * ケーシー高峰 逝く 次々、私たち世代と供に生きた芸人が亡くなっていく。寂しいが、これだけは… 正月のNHKお笑い番組で必ず出演していたが、この数年、出てこなかった。 医事漫談の第一人者として、半世紀以上も活躍。 俳優としても渋い演技で 数多くの作品を彩り、マルチタレントの草分け。 〜ネット記事によると… < 黒板やホワイトボードを使ったお色気医事漫談で知られるケーシー高峰が 8日午後、肺気腫のため入院先の福島県いわき市内の病院で死去した。85歳。 山形県出身。葬儀は近親者のみで営まれる。医事漫談の第一人者として、半世紀 以上にわたって活躍。 俳優としても渋い演技で数多くの作品を彩り、マルチ タレントの草分けだった。 軽妙洒脱な話術が持ち味。30年以上前に移り住んだ いわき市内の病院で家族らにみとられて旅立った。> ― ▼ あと二年足らずで後期高齢者の時節の、現象とは、TVの映像世界 の芸人など有名人の死を見送ることにもなる。成るほど、人は死ぬべき時には 死なないと! その死に様も、芸人らしく下ネタお笑いらしく、グラッチェと。 このところ、芸能界で松方弘樹や、渡瀬恒彦(72歳)、野際陽子(81歳)など 昭和の時代から活躍してきた芸人が亡くなったいる。 ―― * 追悼の、ネットでみつけた小噺 その1:「徳利にお酒は残ってますか?」「はい、チョコッと」 その2:「あんた背高いね」「ハイ」 その3:「隣の家に囲かこいができてんてなあ」「へー」 「隣の家に塀ができてんてなあ」「カッコイイ」 その4:「ハトが何か放こきまったで」「ふーん」 「ハトが糞かけよったで」「くっそー」 「ハトが帽子に糞かけよったで」「ハット」 その5:「お母ちゃん、パンツ破れた」「またか」 「お母ちゃん、パンツの前破れた」「玉々にして」 「お母ちゃん、ケツ破れた」「尻ません」 「お母ちゃん、ズボン下破れた」「もう、そこへステテコ」 =魚シリーズ= その6: 「今、何時や「クジラ」 「この腹の大きい魚は、何という魚や」「ニンシン」 「この魚、何ぼや?」「タラ(ただ)」 「この魚、黒いなあ」「まぐろ(真っ黒)」 「夏に食べる魚は何や」「さんま(サマー)」 「やけどした魚は」「アジッ」 「寒がりの魚は」「サメー」 「やわらかい魚は」「フニャ(鮒)」 「この魚、めずらしいな」「久しブリや」 「けんかの応援の好きな魚は」「助っ人ダラ」 その7: 「お母さん、海は何で青いの?」「空が写ってるからよ」 「じゃ、空は何で青いの?」「海が写ってるからよ」 その8:「お母さん海に潜もぐって貝を取る人、海女あまっていうけど、 海女はどうして、お母さん達だけなの?」 「お母さんはね、海(産み)の親と言うでしょう」 (だから海の字の中に、母が入ってます) その9: ある人が海に潜って、貝を取っていたところ、地元の漁師さんに 見つかりまして、叱られていました。「ここは漁業権があるんや、 あんたら誰の許可を得て、貝を取っているんや?」 「すいません、もぐりでやってました」 〜お後が宜しいようで…
・・・・・・ 6236,閑話小題 〜 「人間は血のつまった袋である」(カフカ) 2018年04月10日(火) * 寺山修司 ・語録より 「所詮、人間はくそ袋」というが、「血の詰まった袋」とは。 それも「話かかける袋」とは。学生時代に名前を聞いたことがあったが、実際に 読んだのは、『さらばハイセイコー』の詩である。こうして読めるのは、実社会 の経験と、知識のベースが出来たからだろう。『旅の詩集』ー逃げろ、生きろー などは特にそうだ。 〜ネットで<寺山修司語録>で、検索すると、彼の語録があった。 ――――
“カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」 と問いかけているが、 その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。 「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。” “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」 と問いかけているが、その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。 「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。” ― “個人の主体だけが重要なので、画一的な思考は排すべきだという考えは 変わらない 。それはいわば事実ではないが真実の世界であって、虚構ではないが 幻影の体験なのである。” ― “われわれの日常を規制しているのは事実ばかりではない。むしろ事実を 生み出している権力家の<あるいは自分自身の>迷妄なのである。”
“私はこの時代が変わって決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びている とは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった。だから 「ニーチェの時代には悲劇的なものを求めることが英雄的であったのに対し、 すでに悲劇的なものが予め与えられている現代では、幸福を求める行為以外に ニーチェの説いた感情の高密度を保証するものはない」とさえ思ったのである。”
“「運のわるさ」というのは、時代との折り合いがうまくつかないという ことよりも、自分自身との折り合いがうまくつかないということ”
“「行く」という行為は在りうるが「帰る」という行為はありえないのだ。 回帰するやつは、みんなくたばれ。”
“おやすみは、コミュニケーションの終わりの挨拶である。ここからは何も はじまらない。……だから、私は「おやすみ」ではなくて「おはよう」という ことを考える。くたびれて「幻滅の風景を愛撫し」つづけてきた長い灰色の夜を 終わらせるのは、この「おはよう」の思想化ということである。「おはよう」は 主体的だと「おはよう」はこっちから話しかけるための出だしのファンファーレ である。それは話しかけられるのではなくて話しかけるためにある。”
“詩人に「公生活」があるのかどうかが問題である。彼等の大部分は詩を 実業としてはいず、他に職業を持っているからである。「詩」は虚業だ。 …私は、ふと「詩人」というのは形容詞なのではないだろうか、と考えること もある。岡田茉莉子は「美人」である。というような意味で、かれは「詩人」 である―というわけだ。”
―――― ▼ “昨日の自分は、いわば影だ。昨日の自分は痛くもなければ快感も感じない。 それは決して今日の自分とは比較できないものなのではないだろうか?… …人は誰でも、現在的な存在である。…「わたしが一番きれい」だと感じるのは、 いつだって現在なのだ。” の詩が、鋭く突き刺さってくる。 老年に至ったためだろう、泥沼のように過去が、容赦なく現在の私を脅かす。 閑居は、良いことばかりではない。心の中は、快晴の時も、大嵐の時もある。 今の私にとって、「現在は、過去の影でもある」。過去と現在の対話で、何時も 圧倒するのが、過去である。年齢だろう。「老いることは無念!」と言ってた、 伯母の言葉の実感が徐々に身に染みてきた。それを寺山の詩から思い知るとは… ‘生きていればこそ’ではあるが。
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