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2023年03月24日(金)
* 右上がりならば良いが… 人生は右上がりならよいが、下がり出すと鈍馬が駿馬に様かわりとなり、 制御不能になる。他人様を見ると、それが理解できるが、己とくると、様相が 違ってくる。自身では堅く生きてきたつもりが、振りかえると、そうでもない。 逆上せ上がりが有るからだ。まあ、堅く生きて石橋を渡らなくとも、黒鳥が 天高く舞っており、狙いを定めて急降下してくる。人生は、想いもしない中を 右往左往して渡るモノ。解っていても、これだけは、仕方がない。何もしない人、 やれない人生には後悔が残るモノ。老後には、ソンビとしての残り日が照りつける。 人生は一回切り。終ってしまえば、そこまでのこと。寒々とした生臭い風が残って いるだけ。行蔵とは、魂レベルの行動の記録。何はともあれ人生は厳しい。
・・・・・・ 閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 2018年 4月某日
昨日は、数年ぶりに、観光バスツアーに参加してきた。 地元の越後交通(ゴールデンツアー)の日帰りコース。出発が長岡駅東口で、 早朝の7時20分発。地元到着が19時20分。値段が9500円(税込)。家内が長岡駅 への道すがらにある越後観光ビル内の案内所で見つけてきたツアー。 ・富山県北アルプスを背景にした『あさひ舟川・春の四重奏』の花見と、 ・金沢市内の『金沢ひがし茶屋街・散策』 ・『ホテル日航金沢のランチ食べ放題』のメニュー。 家内が、このコースに甚く気にいって誘ってきた。この数年、ライフワークの 秘異郷旅行に行ってないため、即座に合意し、参加した。 一つだけ誤算が、 桜の開花が一週間早くて満開の時期を逸し、半分ほど散っていたこと。それでも 、満足できる散策。その後、金沢駅前にある「ホテル日航」のランチが思いの外、 美味しかった。「ひがし茶屋街」散策を1時間ほどして、帰路についた。 金沢には、20歳半ばに一年半ほど、修行も兼ねて勤務をしたことがあった。 立場が立場だけに、気持ちがどん底だったが、ところは、「いとはん」という、 マナーに厳しいと定評のあったファッション衣料チェーン。人手不足の中、 女性専用のマンションが大うけで、若い女性が殺到していた急激な右上がりの 会社で知られていた。しかし、努めて半年もしないうちに、ドルショックが 起きて時代は一変し、売上は激減し、西武流通グループの傘下に入る激動の 最中。社長と、ナンバー3の人物の対立もあって社内は荒んでいた。 しかし、3人に1人は、いわゆる金沢美人。仕事の半分は、様々な悩みの 相談相手と、イチャツキ。肩書が無い立場からこそ、気を許してくる。 最悪が故に、面白いことが多かった。寮内に、誰か茶道に通っている人が 居ないかと聞いたところ、寄宿していた寮の近くに、一般の家庭の主婦が 教えている茶道の家を紹介してもらい、1年程、通っていた。当然、そこに 数人、金沢美人が通っていて、週の二回、火曜日と、木曜日と、交互に通い ながら、様々な地元美人と茶道の練習を楽しんでもいた。金沢は外モノには 優しく、仲間内にはキメ細かい暗黙の気遣いがある歴然とした階級社会。 男尊女卑が歴然と残っている男社会で、一歩も二歩も、女性が表立っても、 男をたてる世界。富山、福井、能登、飛騨高山が近くにあり、何はともあれ、 金沢に… 。当然、遊び場も、茶屋街に。芸者衆の集まる、茶屋街が、 「ひがい茶屋街」「にし茶屋街」「主計茶屋街」の三つが金沢藩の肝いりで 集められ、現在に至っている。その「にし茶屋街」に、何も知らずに店の パンフレット配りをして、その奥深い世界を一端を見た時の驚きを忘れられ ない。出あうのは今まで見たことのない御公家顔の美人ばかり。あれは、 芸子のスッピン顔だった、今回の散策で気づいたが、それは綺麗なはずだ。 雑種の地方の寄り集まりの首都圏を除き、四日市、神戸、金沢、新潟市、 長岡市と仕事で、渡り歩いたが、こと美人とセンスに関しては、金沢が 一番粒揃いである。一番、影響を受けているのが、京都の文化のようだ。 北陸新幹線開通まで、あまり知られてなかったのが、他に、料理文化の深さ。 現在は、如何か知らないが、おでん屋、小料理屋、喫茶店に味わいの深い 店が多い。当時の金沢の話は尽きないほどあるが、どの場面も、青春の 真只中のような思い出は尽きない。時代は、経済が激動していても、 右上がりの、今となっては夢のような時代背景があった。 ドップリ、地元城下町の一角に沈んでいる自分に気づかされた一日だった。
追: これを書いた後に、20分後にポタリングに出発し花見をする予定。 長時間バスの座席の固定で腰痛を心配をしたが、殆ど問題は無かった。 習慣の力だが、定時の3時50分に起床し、これを書上げ… 日常に世界。 一日とはいえ、この非日常の反動は、数日後に出てくることになるが…
追: これまた、いま現在、気づいたが、3年前に、以下を書いていた。 少し出来過ぎだが、こんなものですか。話題の在庫が少ないだけだが。 ―――― 閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜2
* こんにちは、わが青春の金沢へ 日帰りの『金沢、富山コース』。 国内のバスツアーは、十数年前に、、 夜行バスで行った『京都の桜・観光以』以来、二回目。40歳辺りまでは家族と とものドライブ旅行か、友人とか、仕事仲間内の企画に参加するとかが主だった… その後、趣味を一品豪華主義とした秘異郷旅行など海外ツアーに絞ったため、 国内旅行は皆無だった。しかし、海外ツアーで腰痛の負担が増えてきて… 今回は、日帰りツアーとしても、腰痛が心配だったが、何事もなく帰ってきた。 バスツアーは中高年が多いので、海外ツアーのような、強硬日程は基本的に組み こんでないようだ。 今回は、金沢の『ひがし茶屋街・散策』と、富山の『あさひ山連邦を背景とした、 「あさひ舟川」の花見』が主である。 『金沢ひがし花街』が風情があって味わいがあった。 写真は、ネットでひろったものだが、着物姿の若い女性や、男女は、貸衣装で 着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、 観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の 若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。 ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の 3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが 悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の 団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端 に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。 無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある 美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。 それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り 歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。 何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節! 〜【金沢・茶屋街】で検索すると〜 <江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。 文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川 東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形 な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街 の1つである主計町がある。 茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して いるとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区と して選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年 12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。> ―――― 2001/12/21 [178] 忘れられない店ー4(金沢) ー平家ー鉄板焼き 金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。 4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで しまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。 落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。 今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りで ツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が 油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような 親父で、その話を聞いているだけでよかった。 当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、 必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。 「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人が出る始末。そしてすざましい喧嘩である。 たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。 何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で 大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴 を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。 それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。 ・・・・・・ 6221,閑話小題 〜 つれづれに春
・・・・・・ 5124,閑話小題 ーボンヤリも悪くない 2015年03月26日(木) * つれづれに 〜ボンヤリしながら
・・・・・・ 4759,挫折と悲哀こそ、人生のパスポート! 2014年03月26日(水) ーひと言でいいのですー吉川直美編 * 挫折と悲哀こそ兄弟との共感のパスポート 人生で、何も挑戦しないで、挫折も悲哀も味わったことがない人が思いの外 に多い。それも人生だが、ポッキリと折れてしまう危険がある。その時に立直る に大きなエネルギーを要することになる。秘境ツアーの中に、こういう人を 何人か見かけたことがある。かなり深刻の悩みのようだっただが、それを経験 する方が、しないで済んだ人より幸運? 悲哀さえ、知らず終えていくのも人生。 大きな挫折を経験してない人ほど、「まさか、自分が!」の声が心底から 生じてくる ーその辺りから!ー 《【苦しんだことのない人々がどんなに我慢のならないものかは、人生の あらゆる分野で教えられる。挫折と悲哀こそ人間がその兄弟たちと共感し 合い、交るためのパスポートである。ーロバート・ゴルティス】 ある心理的・霊的成熟を目指す研修会に、いつもピンと背筋を伸ばした 人はきぜんを寄せつけない、毅然としたシスターが参加されていました。 ほかの参加者が様々に痛みや弱さを分かち合う中で、彼女は両親にも家族にも 愛され、早くから神に仕え、とくに記憶に残る挫折も後悔もなく、どんなに 心を探っても痛みがないと胸を張られました。その研修会にも、修道院長に 命じられてしぶしぶ来られたのでした。ほかの参加者が嘆き、もだえ苦しみ、 寄り添い寄り添われ、やがて十分泣いて気の晴れた子どものように笑顔を取り 戻したころ、思いがけずうちひしがれていたのは彼女でした。「私には人の 痛みがわからないことがわかりました。それがはじめて知った挫折です。」》 ▼ 人生の味わいは、挫折と悲哀と諦念から滲み出てくる。それなくして、 最後の最後に、味わいの無い自分の人生に愕然。秘境旅行の参加者には、 そういった風な人が人生の悲哀を味わい尽くしてきた人より、多く見られる。 それこそ一番の挫折に気づいた人たちである。何度も書くが、中学校の担任の 先生が、定年時に私に深刻に話したのは、このことだった。「定年になった 現在も90歳前後の両親に見守られ、のうのうと順調に生きてきた。しかし、 そこには自分の人生が全く無かった。これほど、無念のことはない。思いのまま 生きている、お前が羨ましい!」と。それも人生。その怒りを周囲の挫折や悲哀 に向ける人たちより、遥かにましである。この節目で‘自分の傷口を他人の血で 洗おうとする哀れな人たち’を多く観察しただけでも、良い経験をした! 自分の経験範囲しか理解できないのが人間の性。そのことを自覚できないのも 人間の悲しい性である。 ところで私も、このシスターの範疇? で、最期は!
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