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2010年04月25日(日)
* 無理をするな、素直であれ! か〜 「無理をするな、素直であれ。すべてがこの語句に尽きる。この心がまへさえ失わなければ、人は人として十分に生きていける」 は、種田山頭火の言葉である。 この年になってこそ、その意味の深さが理解できること。それが許されない事態が 次から次へと起こるのが人生である。で、最後に落ちついた時に、この言葉が出てきて、そして一人納得する。 これを真正直にして生きればホームレスか、引きこもりになる可能性が高い。現に山頭火は放浪の乞食。 私なら「自然体で、力まず、目を逸らさず、真正面に向き合うこと、それも正直に」と言うところか。
* 人生は放浪 山下洋輔がいみじくも言った「旅とは帰ってくるものだ。だから、人生は旅だ、などという言葉がぼくには分からない。 どこに帰っていくというのだろう。むしろ、人生は放浪だ、といってくれたほうがよい。帰るあてがなく、行きっぱなしだ。」 還暦を過ぎると、この言葉が身に沁みる。 自分に植え付けられている死のイメージが虚空に帰すからだ。 死んでしまえば、それまでよ」と口癖だった父の言葉を思い出す。 引越し先では、全てを忘れる当てのない引越し? * 人間原理とは ーウィキペディアによると 《 人間原理とは、物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。 "宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから"という論理を用いる。 これをどの範囲まで適用するかによって、幾つかの種類を見つけることができる。 人間原理を用いると、宇宙の構造が現在のようである理由の一部を解釈できるが、 これを自然科学的な説明に用いることについては混乱と論争があり、未だ多数には認められていない。》 何か無理があるように思える考えである。人間原理の人間を自分に置き換えてみると分かりやすい。 もっとも、優秀な奴は、これに近い自分原理を持っている。 それが自分のステートメントだが、 人類が、自分に当てはめると一神教みたいになってしまう。
・・・・・・・・ 2942,閑話小題 2009年04月25日(土) * 県内景気 最悪の雨 財務省の新潟財務事務所が今年の1〜3月期の県内経済情勢について「一段と悪化しており、厳しい状況」と 総括判断した、報じていた。7段階で景況感を示す天気マークも2003年来マーク導入後に初めて最悪の雨に引き下げた。 全国的にも「悪化し、厳しさを増している」と判断し、去年の10〜12月の「全国的に悪化している」より、一段引き下げた。 全国を11地区に分けた10地区までが前の四半期より一段引き下げ、景気の悪化を示している。 ここで何度も何度も書いていることだが、飲食、宿泊、タクシーは、一番敏感に反映する商売である。 日ごとジワジワと真綿で首を締め付けられるような感がしている。数日前に、ダイエー跡の大型専門店「ラブラ」の 地下にあるジャスコのスーパーに行ってみた。火曜日が特売の日で、主婦で賑わっていたが、何処を見ても100円前後の 特売ばかりが目立っていた。それも小手先でなく、本気で価格を引き下げているのが肌で感じ取ることが出来た。 デフレとは、こういうものかと、ただ驚いたが、 そういう駅前近辺のホテルも、ネットを通して乱売が始っている。2千円代半ばまで値段が下がっている。 そのネットからの顧客が25パーセントにまでなってきているのだから、堪ったものではない。 〜〜 * 柏崎刈羽原発が、5月連休明けに再開だと? 実際に刈羽原発の下に地震帯があり、許可もデーターを誤魔化してとった事実がありながら、 最高裁が国の許可の取り消しの上告棄却で「住民敗訴が確定」と地元紙のトップに掲載されていた。 こうなると、エログロの世界と言ってよいが、地元からの大反対の声が聞こえてこないのも不思議である。 市民の過半数が反対の意志を表明すれば、絶対に再開される訳がないのに、そういう意志がないのである。 市長選挙も、反対派が立っての論戦と思いきや、両者とも基本的に賛成ときているから、救いようがない。 たまたま、あれだけの大地震でも原発大事故が起こらなかっただけで、あわや、チェルノブイユの何倍かの 大事故になるはずだった。 現在でも僅か二年もしないうちに9回も火災が発生しているのに、 どうして再開といえるのだろうか。 世界最大の原発都市として市民そのものが目先の原発からの恩恵がないと、 成り立たなくなってしまったこともある。 ・・・・・・・・・ 2578, 連鎖する大暴落 −1 2008年04月25日(金) 『 連鎖する大暴落 』 副島隆彦著 読書日記 この本は「ドル覇権崩壊」の続編といっていいが、決して劣ってない内容である。恐らく、この二冊で著者の論が 見直されるだろう。ジュンク堂に行ったら彼の本が十数冊あった。どれも悲観・際物的な内容だが、「ドル覇権の崩壊」が 具体的になった現在になれば、どれも納得するしかない。欧州はイギリスのロスチャイルドが19世紀を支配し、 20世紀になってアメリカのロックフェラーが石油を背景に世界を支配。そして21世紀に入って、 その支配が崩壊しようとしている。そのきっかけが、サブプライム問題であると・・・ ーそのポイントを要約するとー サブプライムの損失の額、500兆円! 日本のバブル崩壊後、90兆円を費やした日本と比較して、ケタ違い。 米国の住宅バブルに始まり、サブプライムローンなど信用力の低い債権を証券化した金融商品が生まれ、 実需のないマネーゲームに奔走、そして住宅バブルの崩壊、サブプライム証券の大暴落、次々に明るみに出る金融機関の損失、 そして今後の行方はどうなるかである。これから次々と大手金融機関やヘッジファンドの破綻、倒産が訪れ、 ドル円は60円まで大暴落し、日本が3万9千円から8千円まで五分の一まで落ちたことを考えれば、NYダウが3000ドルまで 転げ落ちてもおかしくない。 サブプライムをキッカケとして動乱に入ったのである。 〜〜 この本の裏表紙と、まえがき、の一部を書き写してみる。目次は、字数の関係上、 明日になるが、前著、同様にこれだけでポイントの8割近くのポイントが含まれている。 〜〜 「連鎖する大暴落」ー静かに恐慌化する世界 副島隆彦/著 (字数の関係でカット09年4月25日) つづく ・・・・・・・・・・ 2007年04月25日(水) 2213, 白い雲に乗って ー3 (・_・) ノ オハヨウ! お風呂に入った直後の22時過ぎにクラッシック音楽を聴きながら就寝する。就寝30分後に爆睡を4〜5時間した後、 午前の3〜4時に一度目が覚める。そして冬時間の起床時間が5時半、夏時間は5時に起床する。起床前の2時間が 半睡状態の時間になる。その時間が、ある意味でゴールデン・タイムになる。夢をみたり、夢と現実の塀の上を遊ぶ?のである。 以前、書いた「白い雲にのって」は、半覚醒で子供時代に立ち返った内容を書いた。夢のような、魂の故郷を漂った白昼夢の 世界の描写である(いや白朝夢か)。白い雲に乗ったイメージで当時の思い出の世界に入ると、記憶がドンドン出てくる。 脳の奥行きの深さに驚いてしまう。ある意味で夢と同じぐらい深い脳の領域に思える。50〜60年前の赤ちゃんから 幼児の記億の世界は、魂の世界。殆んど忘れてしまった、古い古い記億の痕跡への旅である。 立ち返って気がついたのは、それからの人生の激しい時代の記億より、ず〜と刺激の強い世界の思い出である。 白銀色の毎日が新鮮な経験のシャワーを浴びているようで、愛情に包まれた夢のような日々であった。 ドラマをみているような、自分そのものが舞台劇の小さな子供の役者を担っていた。初めての大きなショックが、 柏崎の親戚の近くの海を初めてみた時である。それまでは近くの公園の池しか見たことがなかった。 海のコバルト・ブルーを見たときの驚きは現在でもはっきり憶えている。それと、舟と漁師の姿と磯のカオリも記億に鮮明に 残っている。よほどショックだったのだろう。ところで、私が生まれたのは第二次大戦の終戦の5ヶ月後の1946年1月15日である。 越後長岡の東神田で産湯をつかり、長岡駅から100?先の繁華街の四つ角の大手通の四つ角に三月後に戻ってきた。百日風邪になり、 「もしかしたら駄目かもしれないと医者に言われた」と父は口ぐせのように言っていた。 私の名前は八人兄弟の末で「八郎」というが、実際は九人目で、もう一人2歳で亡くなった兄がいた。 父が42歳、母が38歳の時の子供である。そのためか、特に父親にはペットのように特別愛されて育った。 16歳、14歳、年上の兄と、その下に姉が4人、その下にすぐ上の兄がいて、最後に私という構成であった。 (2~3歳違いで、双子、年子は一人もいない)終戦直後で両親は大家族の生活維持のため人に、一倍働かなくては ならない条件があった。産まれてから10年間の長岡の繁華街の真ん中の生活は刺激の強い環境にあった。 東神田から大手通に連れてこられた生後三ヶ月後の記憶が残っている。リンタクに乗せられて、大手通の家に行った記憶である。 そこでは、「福ちゃん」という喫茶店をしていたが、一年もしないうちに止め、衣料品店に転業をした。 そして2歳になった頃に、その店兼住宅を丸太を下にいれ、転がしながら、近くの公会堂の前に引きずっていき、 仮店舗を開きながら4F建のビルを建築した。 個人名義のビルは国内で始めてと市役所で言われたとか?その記憶が一つ一つ 記憶として残っている。人生を振り返って一番楽しい日々といえば、10歳までの大手通のビルの立ち上げから、店の開店、 そしてそこで起こった悲喜交々も日々だった。 本当に刺激的な日々だった。 ヾ(@⌒▽⌒@) ーーーー 2007/02/18 2147, 白い雲に乗って ー2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ 先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。前回の夢が契機になって当時のイメージが ドンドン出てくる。如何いうことなのだろうか?それは57年前の世界そのものである。 その世界から此方をみている感覚と、此方の感覚の間にある塀の上での微妙な世界に立っているようだ。 ーー 白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。そこは前回よりリアルな当時の世界があった。 中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」 に行った。そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。面接のオジサンがニコニコしながら、色々なことを聞いてきた。 母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。 恐らく入れるだろうと思った。家(店)に帰った後、三輪車に乗って 前の安栄館というビルの同じくらいの友達のところに行った。最近できた大きなビルのところの子だ。何か遊んでいると楽しい! その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、 お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。 ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と 近くにツリーの飾りを買いに二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。 小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。 ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。ツリーの電飾がいやに奇麗だ! こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入った サンタの贈り物があった。雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。突如、周りを見渡すと誰もいない 空間になってしまった。何処に行ったのだろう、皆は! 白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。 目をつぶって白い布団を被った。目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった (o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・・・ 2007/02/10 2139, 白い雲に乗って ー両親の思い出 夜半に幻想的な夢をみた。小さな白い雲があった。それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれた。 そこは4歳の頃の世界におりたようだ。すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。 両親がいて、兄達と姉達、そして多くの従業員がいた。そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある 当時の私にとって大きなビルの中。一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、 四階には従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。 三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そこでラジオから童謡とか歌謡曲が聞こえていた。 店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、正に当時の真っ只中にいた。 コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。そして三毛猫のタマとコロがジャレている。 その空間には何時も緊張感がただよっていた。燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。初めて死をみた瞬間だ。 いやに首の下の赤い色が印象的だ。そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。 小さな三輪車で駅の方に行くと右手に小さな公園があり、その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。 そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな山の上に神社が祭ってある公園である。周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、 多くの植木鉢がところ狭しと並んでいる。その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。 何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。夢をみているのだろうか?いや、夢のはずがない。 ぼくは間違いなく、ここにいる!ズットここにいるのだ。何で、ぼくはズ~ットここにいるのだろうか? 忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろうか? そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない! ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。 でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。両親が忙しそうに働いている。 その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。 父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。外がいやに賑わしいのでみると、長岡祭りの山車が 次々と通っている。三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。何かそれをみていたら、 嬉しくてケラケラ笑ってしまった。しばらくすると父親が今日の売り上げを持って、下にある店から上がってきた。 札を十枚ずつ数えて束にまとめて小さな金庫に入れている。嬉しそうな顔をしている。 何か自分が白い雲の中で浮いているような感じがしている。ふと目が醒めると、隣に両親が寝ていた。 あ〜ぼくは、一人ではないんだ!よかったと独り言をいっていた。ここは間違いなく大手通の世界である。 どうして、ぼくはここにいるのだろう!それにしても、それにしても、どうして浮いているのだろうか? というところで、目が覚めてしまった。幻想的な遥か彼方の遠い世界に舞い戻ったのだ。 ーーーーーーー ー字数の関係で内容をカットしました。 HPからクリックしてくださいー ・・・・・・・・ 2006年04月25日(火) 1848, ローマから日本が見えるー5 は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ ー 読書日記 少し息抜きで、ークレオパトラは美人だったのか?ー ・・・・・・・・・ 2005年04月25日(月) 1483, 桜咲くーつれづれに −2 ・・・・・・・・・ 2004年04月25日(日) 1118, 寝るほど楽はなかりけり ・・・・・・・ 2003年04月25日(金) 751, 不思議-シンクロニシテー 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。 不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を 散歩をしているコースで初めて大きな虹を見た。 ああまた出たという感覚である。その中で一番凄かったのは、 7~8年前に義父が亡くなった時である。葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、 その下を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論はじめてである。 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる従兄が自死した時のある現象。 納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。 そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。 天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、 納棺の時間が偶然に一致したのだが。 死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」 といっている。涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。それなら大都会では毎日 降っていなくてはならない。地方におきやすいのだろう。人知のはかれない何かがあることは間違いない! =以前書いたものをコピーしておきます。 ーーー H0407霊的体験 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。死後一週間後位か妙な夢をみた。 私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。 《字数制限のためカット 2010年4月25日》 ーーー H0511妙な夢―(?) ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない! 起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周して もどってきて布団に入る。ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。 まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。これが単なる夢か幽体離脱かわからない。 また、こんな夢(?)もみた。 《字数制限のためカット 2010年4月25日》 ・・・・・・・・・ 2002年04月25日(木) 387, 習慣ー極限 人間が極限の時にする行為が、健康法にいいと聞いた事がある。それを習慣化してしまえば良いという。頭を掻き毟る。 顔をこするーマッサージする。ため息を吐く。喚くー叫び声をあげる。身辺の整理をする。これを普段から習慣ですればいいと。 そのとおりである。 遺言もそうかもしれない。死ぬという極限の状態を常に忘れない。毎日は無理かもしれないが、 毎年の年末に書くこともそれに似ている。末期がんで死を宣言されて、写経を始めるケースがある。それなら普段から、 暗記をして唱えているか、写経をしておけば良いことになる。積極という言葉は正しくそれを普段から積んでおけという事だ。 消極はそれを避けて生きることである。「あと一週間で死ぬならなら何をしますか」というテリー伊藤の本があった。 いろいろの人がふざけて書いているが、全部いつでもその気になったら出来る事であった。 人間の弱さをそのまま出てしまう問いかけである。
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