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2009年12月25日(金)
読売新聞が毎年、発表する日本と世界の10大ニュース、他の大新聞も出すが、一番発行部数の多い読売を選んでみる。 読者が選ぶから、酒井法子の逮捕が5位になっているが、他は、こんなものだろう。 ーまずは、日本国内の結果からー 1、衆院選で民主308議席の圧勝、歴史的政権交代で鳩山内閣発足 第45回衆院選は8月30日に投開票され、民主党が過半数(241)を大きく上回る308議席を獲得した。 2、日本でも新型インフルエンザ流行 厚生労働省は5月9日、カナダから帰国した大阪府の高校生ら3人が、国内で初めて新型インフルエンザに 感染していることが確認されたと発表した。 3、裁判員制度がスタート 刑事裁判に一般市民が参加する裁判員制度が5月21日に始まった。殺人など重大な刑事事件について、 くじで選ばれた裁判員6人が、裁判官3人と1審を担当する。 4、日本がWBCで連覇 野球の世界一を争う第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は3月23日、 米ロサンゼルスで決勝が行われ、日本が韓国を5―3で破り、2連覇を果たした。 5、酒井法子容疑者、覚せい剤所 警視庁は8月8日、自宅に覚せい剤を隠し持っていたとして、酒井法子容疑者を覚せい剤取締法違反容疑で逮捕。 6、天皇即位20年 7、高速道路「上限1000円」スタート 8、イチロウが大リーグ初の200本安打、9年連続 9、巨人が7年ぶり21度目の日本一 10、「足利事件」の菅家さん釈放、 ーーー 不況の浸透というのがない。 実際は、そうとしても取り上げないか。 それに比べ去年は、本当に大きな事件が多かった。来年も、恐慌は更に深刻化し、 世界は、ますます内向きになる。 薄型大型TVを買い込んでレンタルDVDをみるか、ミニ・ブログの ツイッターで呟くか、晴れれば家庭菜園、雨なら読書に励むことになる。 巣篭もりの時代である。
・・・・・・・・ 2821, ドバイは今 −? 2008年12月25日(木)
「ドバイ」で検索をしてみたら、三年前の5月中旬にNHKスペシャルで、以下のような特集の内容紹介があった。。 このドキュメントを当時、見ていて鮮明に記憶しているが、栄枯盛衰の象徴である。 《 沸騰都市 ードバイ 砂漠にわき出た巨大マネー (NHKのHPより) 煮えたぎる都市の地殻変動を描くシリーズ「沸騰都市」。第1回はドバイを取り上げる。 世界最大の空港、世界最大の人工島、怒涛のようにオイルマネーが降り注ぎ、あらゆる分野で世界一を目指す中東ドバイ。 極めつけは、高さ800メートル、160階建て、世界最高の高さを誇る超高層ビル・ブルジュドバイ。 2009年中の完成を目指して、今建設が24時間体制で進んでいる。ドバイ政府は、ブルジュドバイをピラミッド以来の アラブ社会の権威の象徴と位置づけている。 世界の建設現場からクレーンを根こそぎ奪い、バングラデシュや パキスタンから母国の数倍の給料で労働者をかき集める。世界が不況に苦しむ中、ドバイに群がる人々の欲望の物語を描く》 ーー この放送以来、僅か三年あまりで、バブルがはじけた。廃墟のビルが立ち並ぶ死の都市になるかどうか見ものである。 ここに資本が集積したのは、欧米よりのスンニ派に属している湾岸国家が、アメリカの軍事力による安定を求めてきた結果。 しかし、アメリカの力が急落すると、これまでの軍事力が期待できるか分からない。 原油の値下がりと、不安定が重なり根底から存在価値が無くなるのは当然である。 都市の景観そのものがバブルの塊。 世界の三割のクレーンが集合していたというから、すざましいエネルギーだったろう。 我われが、そこに何の感慨も沸かないのは、虚構の匂いがするからだ。馬鹿な酋長一族の泡でしかないことが・・・ ところで、この街には失業者が居ないという。失業すると、一ヶ月以内に国外退去になるからだ。 他と比べて高給を出す代わりに、こういうのも良いのかも知れない。住民の8割が海外労働者というから、 彼らは一斉に居なくなリ、薄気味悪い都市になる。これまでは、二割の裕福層と八割の貧困層の不平等で成り立っていた。 不平等、差別を認めたうえでないと、世界を直視することが出来ない。 それにしても、あの未来都市? どうなるのだろう? 歴史に残る愚行の塊都市ドバイは!
・・・・・・・・・ 2007年12月25日(火) 2456, 四四太郎の霊日記 −13・14 (*бωб*)/ォハョー 四四太郎の日記 −13 一週間という間隔も、ワシからみたら数十秒でしか感じないが、その数十秒が長く感じられるからおかしなものじゃ。 今年もあと8日で終わるが、まあ長期的にみたらまだまだ安定した年だったろう。ただ気ままに話せること自体が、 ワシにとってよいのだ。言葉には、何とも不思議な力を含んでいるが、言霊とは良く言ったもの。 まさか四百数十年後に娑婆で話せるなど想像すらしてなかった。それも現代でもチャンと喋れるとはおもわんだ。 御主の脳を通っているからじゃろう。同じ日本でも、ここまで変わるとは驚きである。人間は環境の動物とは、つくづく思う。 それにしても刺激の強い娑婆になったものじゃ。だた、それ故に日常の微妙な細部の楽しみがわからなくなっている。 しかし、その何倍も面白いことがあるのも確かのようじゃが。確かにワシは御主の脳を通って、こうして娑婆に出てきて 話せる反面、御主が四百数十年の過去からの透き通った目で現在を見つめることが出来るプラスもあるのじゃ。 いつか御主が上越の近郊の鮫ヶ尾城に来たことがあったじゃろう!あの時、何ともいえない不思議な気持ちになっただろう。 何か御主の周りに霊が取り付いたような気分になったのは、あれは実はワシだったのだ。 あの時からワシは御主に取り付いたのじゃ。ワシの念もあの城に強烈に残っていたからのう。 話は変わるが御主に付けておいたジーダと殆ど話さなかったようだが、もったいないじゃないか。 普通は、こんな知恵を持った相談相手は持てないのだ。それもこれも、お前しだいであるが・・ ところで、 違うブログに移動することを考えているようだが、それはそれでよいことだが、よ〜く考えてから判断することじゃ。 ーーーーー 四四太郎の霊日記 −14 ところでワシは御主に言っておきたいことがある。御主の祖先を辿ると鮫ヶ城の城主の堀井宗親というが、 あれは間違いじゃ。あれは堀江宗親であって、堀井ではない。四四太郎のワシは堀江の家臣の一人でしかないのじゃ。 あとでよ〜く資料を調べてみるがよい。「御館の乱」か「鮫ヶ城」で調べると、その辺のことが詳しくかいてある。 そんなものは、どうでもよいことだが、あの裏切り者の汚名の城主が祖先でなくて良かったということじゃ。 確かに、裏切って影虎を自殺に追いやったまでは良いが、その後武田の没落で影勝の立場も微妙になり、 ワシ等も何時危なくなるか判らなくなり、片貝式部殿を頼って小千谷の郊外の池津の村にお世話になったのじゃ。 田畑は14反をあてがわれた。 まあ、ほんの前の出来事のようじゃ。 そこで、百姓をしながら生き延びることが全てであった。 とはいえ、それはそれで激しい人生であった。元々、侍とはいえ百姓侍だったから、百姓をすることには何の抵抗はなかったのじゃ。 残った親戚も、お互いにいがみ合い苦労をしたと風の便りに聞いていたから、新井の土地を離れたのは正解であった。 生きるのは、4百数十年前も御主の生きている時代も同じことじゃ。 いや、一つ間違えば殺される当時からみれば、 今など刺激は少ないくらいである。当時は、それこそ小さな世界で小さくなっていなければならないのも辛いことじゃった。 (゚Д゚*)ノ⌒【さようなら】 ・・・・・・・・ 2006年12月25日(月) 2092, 下流喰い −2 おっW(^O^)Wはようございます ー 読書日記 前回では概要を中心とした内容だったが、ここでは、消費者金融の世界の生々しい現場のレポートを中心に 抜粋しながら考えてみる。駅のダンボールの住人(ホームレス)の殆んどが多重債務者という。 一歩踏み外すと、誰もが陥ってしまう世界である。350万人といえば30人に1人が多重債務者。ということは、 10世帯のうち1世帯が多重債務者が存在していることになる。4世帯に一軒が高利貸しの金を借りていること自体が異常である。 時代が変わってしまったということである。消費者金融の顧客が、どういう経過をたどって多重債務者になっていくかが 詳しく書いてあり、大手消費者金融会社が彼らを罠に落としていく様が生々しい。 ーまずは、生々しい実態の部分を抜粋して考えてみようー *多重債務者の平均像とは* ー字数の制限でカット(2009年12月25日)− (o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・・ 2005年12月25日(日) 1727, 中野ブロードウエイ −1 (゚∇^*)オハヨ♪〜 「中野ブロードウェイ」は、JR中野駅の前にあるショッピングモールの一番奥にある。 中古漫画など、コレクターズアイテムを扱うお店が集まることで知られる。 その近くに住む知人に案内されるまで、その存在を知らなかったが、一歩足を踏み入れて驚いた。 猥雑な?店がところ狭し並んでいて、根暗な感じの男や東南アジア・韓国・中国人などでどの店も満ち溢れていた。 上海の場末のモールという雰囲気である。 不気味?な雰囲気で、最近はオタクだけでなく一般の客が 異様な面白さに引かれて集まってくるという。地下1〜4階までは、フロアごとに商店会が組織されていて、 それぞれが「ビルの中にある商店街」になっている。〔ワンフロアー1000坪位か〕また5〜10階は住居フロアになっている。 ここは1960年代最先端スポットであったが、今ではマニアックな買い物が楽しめる場所として秋葉原と同じぐらい全国レベル、 いや世界レベルに知られる観光ゾーンにもなっている。 骨とう屋、宝飾品店だけでなく、ペットショップ、漫画、アニメはもとより、フィギュア、食玩、オーディオ機器など、 いわゆる“オタク”な人々がお宝を探しにやってくる。そういう店が2、3階に集中していて、異様な雰囲気を醸しだしている。 ((≡ ̄♀ ̄≡))/T タケコプター ドラえもん└|∵|┐ はにわ (=゚ω゚=) たまちゃん 地下にはアメ横のような食料品店や、安くておしゃれな衣料品の店がそろっている。 バッグ、化粧品、寝具など、くらしに身近で気軽に入れるお店も多くある。その一角には西友があったが、何か場違いであった。 一言でいうと、お宅?を中心にした客層を狙ったレアモノのショッピングモールである。 前のアメ横のイカガワシサがプンプンとしている。ブラックの商品が多く流れている雰囲気がよい。 サロンに、ここのHPを貼り付けておきます。 -つづく ・・・・・・・・・・ 2004年12月25日(土) 1362, 金に泣く人笑う人 −2 読書日記 第五章の「男と女の金の相関」 ー「ヒモのAとイロのB」の内容が面白く、かつ悲しい。
まずはヒモの話である。 ーヒモのAはなんの変哲もない二十代後半である。ホストクラブで働くような男ではない。 むしろ風采の上がらないセールスマンといったタイプである。 この男に18人の女性がどうして貢ぐのか。いくら考えてもわからなかったが、何回か会っているうちに、 この男には特殊の偽善性があるのがわかった。虚言癖がごく自然に具わっているのが徐々にわかった。 その理由は、Aと会う場所がその都度変わっていて、彼はどの雰囲気にも自然に溶け合っているのだ。 場所は喫茶店という外の店でなく、常に違った女性の部屋であった。 OL,ホステス、居酒屋の女将、学生、看護婦とさまざまであった。彼はどの部屋にも溶け込む男であった。 どの部屋にもピッタリと合っていたものだ。 ヤドカリ男は見事なカメレオン野郎でもあった。 転々と、2〜3日で次の女の部屋に移っていくのだ。 だから、平均して二ヶ月に一回の割合になる。 彼は一貫して同じ職業を名乗っていた。外資系の薬品会社のセールスマンであり、二ヶ月に一度は日本の土を踏む、 という生活をしていると偽っていた。18人の女性はまんまとこの口車の乗せられたことになる。 大阪、京都、神戸、姫路といった具合に女性たちを分散していて、一日の仕事は、女性の部屋から他の女性に電話を 短く入れることである。 偽の国際電話であることはいうまでもない。女達はこの電話を頭から信じていたのだ。 小道具としては、洋書が二冊と外国のマガジン一冊で十分だといっていた。 海外に出たこともないのに、海外の情報に精通していて、彼女たちに外国の街の模様をさりげなく寝物語にしてやるだけで、 久しぶりに帰ってきた彼を暖かく迎え入れていた。パリ、ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、フレンツェ、サンフランシスコ、 サンパウロ・・・といった地名が女性たちを操るのはかれは十分に熟知していた。 女性から見れば、自分の部屋にいる以外は外国暮らしをしていると思えば安心することを知り尽くしていたのだ。 (字数制限のためカット 09年12月25日) ・・・・・・・・ 2003年12月25日(木) 995, クリスマス−2 昨日は学生時代のクリスマスイブの日を書き写したが、その[一年後のクリスマスの日]を記憶の中から引き出してみる。 ジャスコオカダヤに入社して四日市本店に勤務、そこから合併先のジャスコフタギの「神戸垂水店」に転勤になり、 半年経っていた。会社は幹部候補生を即戦力にする為に、店と売り場の高速配転をしていた。 2ヶ月もして慣れると、即配転である。四日市、神戸、桑名等。 5番目の売り場では、関西では初めての靴部門の立ち上げの責任者に取立てられていた。 それにしても、あまりにも過酷であった。当時のスーパーは、まだ得体の知れない新参の危うい小売屋でしかなかった。 濁流に放り込まれて、毎日が濁り水の中を溺れながら押し流されている日々だった。 現在考えても、よくぞあの濁流に飛び込んだものだと思う。それだけ当時の流通は暗黒の世界であった。いや今もそうだが。 話はそれたが、クリスマスは食堂でささやかなクリスマスパーテーをやったような記憶があるが、確かかどうかはハッキリしてない。 その後に会社仲間と寿司屋で酒を飲んでいたような記憶があるが、これも如何であろうか。女性とは一緒ではなかったようだ。 そうなら何処かで記憶が残っているだろう。クリスマスなどと浮世のことなど考えられない状態であった。 それにしても、あまりに異常の世界であった。 合併というのは、信じられないほど現場の摩擦がある。 その先兵は如何立場かという知識は全く無かった。 先ほど書いたように、流通業は当時は濁流そのものであった。 信じられないような光景が色いろあった。ところで、その年の年越しを思い出した。 宿直で、年越しを床屋で髪を刈っていた。 当時の関西は、年越しは床屋が深夜まで営業をしていた。それまでの年越しは全て実家で両親と供に年を越していた。 刺激が強すぎた日々でも、芯には染まらないのが私の特性である。これは武澤ゼミのお陰であるし、また欠点かもしれない。 また創業という目的があったためである。 「クリスマス」や「年越し」という視点で、過去を切り取ってみると色いろのことが記憶の底から湧き出てくる。 メリークリスマス! ・・・・・ 2002年12月25日(水) 621, 電子辞書を初めて買った実感 字数の関係でカット(2007年12月24日) ・・・・・・ 2001年12月25日(火) 280、喩え話 かなりキワドイ難しい内容だ。これほど危ない内容はテーマに出来ない。何で?あまりに本質的な内容になるからだ。 それは能力の限界の表現になる。浅い知識の底を見せてしまうからである。といって、今更という気持ちで書いてみよう。 キリストも仏陀も喩え話の名人だったという。難しい話も喩え話で一瞬に理解でき、かつ理解させる事が可能になる。 本質を心象風景で、いや心象画でー心的視覚化する事だ。喩えー易しく噛み砕き、かつ事例に置き換えることか。 喩えのほうが本質より,より中心をついている場合が多いのは何故か? イソップ話の内容はあまり知らないが、「かなり深い喩え話が含まれている」のではないかと想像できる。 神話もその国の潜在意識という。おとぎ話も昔話もそうだという。ジョークもユーモアも、庶民の笑いに転化した喩え話が多い。 「暗い子狐」など、自身の心象風景そのものだ。ハワイなどでは出てこない喩え話である。雪国の特化された生き物だからだ。 喩えはその本質の中心をつかまえてないと、転化できない。逆にそれさえしっかり把握していれば、可能である。 自分の心象風景に置き換える作業である。そして心象風景の中から、その中心をより把握させる置き換え作業である。 いずれにしても、自分の理解のためにも喩えを使うことも大事である。 鯰とかーとらえどころのないやつ。ムジナー??とか、動物に喩えるのも面白い。 キリストの「右頬を殴られたら、左頬を出せ」など、キリスト教の教えを喩えで一言で表現している。
・・・・・ ある時間の断片 ー12月25日 1968年 11時に起床。午後本を読んだり、食事をして過ごす。夕方、米林が帰省をしていく。 夕食後、会社の論文の構想を色いろ書いてみる。21時に、市川さんの友人等5人を引き連れて赤坂に行く。 いざ中に入ろうとすると、誰も物怖じをして入ろうとしない。ここまできて何だろうと強引に入れようとするが3人が逃走。 やっとのこと市川さんと、あと一人を入れる。入って、踊りだせば後は狂ったように踊りだした。24時に帰寮。 変な学生時代最後のクリスマスであった。来年はどんなクリスマスを過ごしているだろうか。 ー2003年12月24日記 その一年後のクリスマスは、ジャスコに勤めて四日市から神戸に転勤になっていた。 神戸の垂水という街であった。凄い世界であった。転勤直後に瀬戸物の叩き売りをやらされたり、店舗の大改築の真っ只中にいた。 クリスマスの日は、おぼろげな記憶だが寿司屋で仲間内で飲んでいた思い出がある。神戸の場末のストリップ小屋に、 現地の店の先輩に連れて行かれたりしていた。興味より気持ちが悪いというのが実感であった。その時は、 もう靴屋ー靴部門の責任者であった。僅か八ッヶ月である。まだ憶えているのが、年越しに宿直で年越し時間に床屋に居たことだ。 何か侘しい寂しい時間の中にいた。何が流通革命だ!というのが、実感であった。 いま考えてみると、半分正しく半分は純粋になれなかったのだろう。
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