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2009年10月18日(日)
「生きる幻想 死ぬ幻想 」岸田 秀 (著), 小滝 透 (著) ー読書日記 * 一神教批判をめぐって 多神教の日本人と一神教徒の欧米・アラブ人とは肌の色だけでなく、根本的に考え方が違う。 一神教徒は多神教の多い黄色人種や黒人を元もと見くびっているのである。宗教そのものは、本来そういうもの。 だから、今さら、そういう異種の人と割り切り付き合うしかない。 外国旅行をしていると、辛らつな人種差別を 感じとることは度々である。 今さらのことだが。 アメリカは、中近東にサウジアラビア、東洋に日本という 赤色と黄色の属国があるとしか捉えていないのである。いざとなるとCIAが陰湿な謀略を属国日本に仕掛かける。 〜以下の文章を読むと、その辺のことが、よく見えてくる〜 Pー6 ユダヤ教・キリスト教・イスラームは、同じ「一神教の神」を奉じる兄弟宗派です。 一般に「旧約聖書」と呼ばれているのはユダヤ教の聖典で、これはキリスト教もイスラームも聖典として認めています。 キリスト教にとっては『旧約聖書』プラス『新約聖書』が聖典であり、イスラームは『旧約聖書』と『コーラン』が聖典です。 同し神様を奉じているのに、どういう角度で見るかによって、歴史的に分派しているわけです。ですから、この三つの宗教は 「セム系一神教」とか「アブラハムの宗教」と呼ばれている。このうちユダヤ教は、一応ユダヤ民族と呼ばれる人々の 「民族宗教」で、あまりほかに拡がっていかない、むしろ閉ざされていく傾向を持っていますが、キリスト教とイスラームは 「普遍宗教」として民族・文化を超えて拡がっていこうとする。 これが非常に問題を起こすのです。 一神教というのは基本的に自分たちの神だけが真実の神である、と主張しているわけですから、他の宗教には非寛容です。 実際、他の神々を否定し、殺していきます。そして極端に言えば、自分たちの神を信じない者は人間ではないと考える。 ところが一神教徒にとって最も大きな敵は、同じ一神教の他宗派なのです。多神教徒は、劣った連中、迷妄の徒だと思って 下に見ることができますが、同じ一神教の仲間だと、そうは行きません。これはちょうど左翼の中で一番敵視して闘ったのは、 むしろ国家権力やブルジョワ階級よりも、同じ活動をしている分派の方だったのと同じ心理です。 解釈を違えた者同士は、まったくの異教徒よりもっと敵となるんです。 P−50 僕の仮説では、人間はもともと黒人で豊かなアフリカに住んでいた。ところがそこに色の白いアルビノが 生まれて、それが差別されて、中東やヨーロッバに追いやられた。そういった差別された連中がまたエジプトでも差別されて 生み出したのが一神教であって、もともとユダヤ教は恨みがましい宗教だという説です。自分たちが差別され、 虐げられてきたから、他に対して攻撃的になり、他を差別する。ユダヤ教は、さきほども言ったように、エジプトで奴隷になって いた入々が、モーゼという英雄に一つにまとめられて、パレスチナに逃亡してきて、現地の神々を追い払ってつくった宗教ですし、 キリスト教も、ユダヤ教徒のなかで差別されていた人たちがつくり、ローマ帝国の中で差別された人々に広まった宗教です、 だから万軍の主という神や、復讐の神といった、自分たちを差別する連中をやっつけてくれる神を作り上げたのです。 キリスト教がヨーロッパに拡がったというのも、ヨーロッパの特に北部は、非常に自然が過酷で、そこに追いやられた白人たちは、 人類史的に見れば、ひどく悲惨な目に遭っています。だからこそ、ああいう磔になって死んだ人が教祖であるような宗教が、 ヨーロッパ人にとっていちばんフィットしたのではないかと思います。教祖は人々が同一視できるというか、自分を そこへ投げ入れることができるような存在である必要がありますから。 〜〜 多神教と一神教が戦えば、間違いなく後者が勝つことは、歴史が証明している。 多神教にとって、一神教もその一つだが、一神教は他の神を認めないのだから、心根が全く違う。
・・・・・・・・・ 2753, ジム・ロジャーズの金融危機インタビュー 2008年10月18日(土)
ライダーの投資家で知られてる、ジム・ロジャーズが、この金融危機についてインタビューしていた。 この人の本は四冊読んでいるが、その行動力と眼識には目を見張るものがある。 ここで、 ー「今回のバブルはおそらく世界史上、最悪の借金バブルだった。今後10年は第2次世界大戦以来、 最悪の景気後退になると思う」 金融機関の公的救済についても否定的ですね。. 「救済は間違いだ。わずか数千人の金融村の人たちを救うために、3億人のアメリカ人が害を被る。ー と、語っている。 これから10年は、世界にとって際どい日々になる。 金融危機インタビューより 朝日新聞(08年10月17日) *ドル失落は始っている ーソロス氏と創設したファンドが10年で運用利回りが4千%を超えたことは有名です。 原油など商贔市場の高騰を早くから指摘していた一方で、ドルの暴落をずいぶん前から予想していますね。 「私は米ドルも、投資銀行も売り続けている。バーナンキ(米連邦準備制度理事会議長)は4年間、宅市場には 問題がないと言い続けてきた.が大間違いだった。彼は経.も市場も通貨も何も分かっていないと思う。 知っているのはお金を刷り続けることだけだ」 ドルの基舳通貨体制は崩れるのでしょうか。 「米ドルは今、すでにその地位を失いつつあり、今後数年でドルの価値は大きく失われると思う。 10年前は世界の外貨準備の7割はドルだったと思うが、いまは63%だ。中東湾岸の米国の友好国でさえ、 ドルでなく別の通貨での決済を議論し始めている。こういうことは最初はゆっくり.起こる。 それが次第に速度を増し、最後にはドルからの逃避が起こる」ー米国の投資銀行心、政府系住宅金融 「ファニーメイ」や「フレディーマック」が大きな問題を抱えていると、数年前から指摘していましたね。 「市場は狂乱状態にあり、あまりに過熱していた。仕事を始めたはかりの29歳の若者が、高級車『マセラッティ』 を乗り回し、年に1500万ドル(約15億円)も稼ぎ、『僕は頭がいいから当然だ』といさにう顔をしていた。 正気の沙汰じゃない。狂ったような巨大なバプルが発生していた」「無職の人が、頭金なしで、 四つも五つも家を買えるなんてことは歴史上なかった。あり得ないことが起こっていた。 金融や歴史、市場を少しでも学んだものなら、すぐに分かる」1危機対応として大幅に金融緩和を続けると、 どんな影響が考えられますか。「さらなるインフレ、ドルの価値下落、高い金利だ。 はんそうこうを重ねれば重ねるほど、経済は長期低迷する。欧州もお金を刷り続け、日本は超低金利、 これはすでにひどい問題を引き起こしてい.る。ガソリン、教育費、娯楽費だって過去2、3年でみな値段が上がっている」 「今回のバブルはおそらく世界史上、最悪の借金バブルだった。今後10年は第2次世界大戦以来、最悪の景気後退 になると思う」ー破綻の連鎖を避けるために米政府が実施するという、金融機関の公的救済についても否定的ですね。. 「救済は間違いだ。わずか数千人の金融村の人たちを救うために、3億人のアメリカ人が害を被る。 世界全体にとっても良くない。だめな会社を積み上げた政府債務は半年前はざっと5兆ドル(約500兆円)ゆそれが、 ファニーとフレディーを抱え込んだことで、たった1週間で6兆ドル増え、2倍になつてしまつた。 2社の負債だけで6兆ドルあるからだ。一部は戻ると強調する人たちもいるが、私には分からない。 さらに、2社には簿外の金融派生商品が数兆ドルあり、負債はさらに膨らむだろう。なのに、かなり少額で、 済むかのようにしか説明しないバーナンキやポールソン..(米財務畏官).はうそをついているというよりも、 愚かなのではないかと思う」 (出張先で日課の運動を終えたはかりの同氏にインタビュー) ーー以上だが、ともかくも、現在のアメリカのヘッドが交代しないと!
・・・・・・・・・・ 2007年10月18日(木) 2389, こころの旅 −3 c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】 「こころの旅」神谷 美恵子 (著) 第一章、人生の出発点の中の −人生の諸段階ーの説で、八段階の半分の四段階が11歳までに区分されている。 更にいえば、5歳までに三段階が終わっているのである。これからみると、小学校で既に勝負がついているのである。 いや、もっと厳密にいえば、小学校入学時に質として、もう範疇に分けられていたのである。 以前、最終区分前の中学校の成績順が、そのまま人生を決めていると書いたが、エリクソンによると、 小学校でホボついていることになる。 そう小学校も、中学校と同じことが言える。 一番、二番、三番、四番とその後の消息を聞くと、そのまま拡大した人生である。 私は4番位であったが、男で7番以内で地元に帰ってきたのは私だけである。といって兄弟でもえらく違うから、 一概にはいえないのだろうが。 大學の時に当時の親友だった男に、「お前は竹のようなヤツだ。 遊ぶが、ある所までいくと元に戻って自分の姿勢は崩さない」と言われたが、それが子供の時からの親の 生きる姿勢を見てきたからである。それでも自分の殻を必死に破ろうとしてきたが、これでこのザマである。 以下は、その人生の諸段階の部分である。意味は深い! ーーー 人生をいくつかの段階に分けて考えることは昔から多くの人が試みてきた。 成人までの発達段階についてはフロイトの図式が長い間君臨してきたが、 最近はピアジュの長年の実証的研究による図式がつねにこれと比較対照されるようになった。 全人生の分析としては、シャーロッテ・ビューラーの「生活曲線」が興味ぶかい試みである。 最近ではエリック・エリクソンの「ヒトの八年代」が注目をひいている。 その年齢的区分だけを示すと、次の通りである。 *乳児期。*二〜三歳。*四〜五歳。*六-十一歳。*十二−十八歳。 *成人早期。*中年期。*老年期。 この各年代にそれぞれの課題と危機があるが、それがうまく乗り越えられたときには生きて行く上で 大切な力が身にそなわる。その力とは「徳」である。エリクソンは原語(ラテン語)の意味で使っているのだ、 とわざわざことわっている。つまり道徳的な価値判断のニュアンスを加えたくないのであろう。 しかも人間の生を支える力は、そのまま「徳」でもあるわけだから、それでこのことばを使うのだという。 たとえばエリクソンの考えるところでは、乳児期の課題とは「基本的信頼感」を形成することで、 これがうまく果たされると「希望」という力あるいは徳が人にそなわるという。 次は彼のルッター研究からの一節である。 (以下、字数の関係でカット2008年10月18日) ーー 解) 高校か、大学を卒業するまでは親の責任がある。 特に10歳になるまでは、大事な時期である。 「二回生まれ」とは面白い説である。 「全く同じ人生を過ごしたい」と、思えるかどうかだろう! 両親と、連れ合いの相性が良いかどうかが基準だろう。それと、自分か! ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪ ・・・・・・・・・ 2006年10月18日(水) 2024, ある煉獄の中にて 才八∋ウ_〆(∀`●) これからの内容は本人の同意を得て書いている。 (もし本人の同意なくして書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、裏切り行為になる。 本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書いてもよいです!」・・) そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題(嫁・小姑など家に存在する)不条理である。 Aさんの話を聞くうちに浮かび上がってきた奥行きの深い話である。どこの家にも、このような問題はあるが、 あまりにも複雑な構図である。それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが浮かび上がってくる。 〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー (以下、敬称は略す) ・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区にある実家に出戻った。 ・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD(80歳代前半)がいる。家は大きな家ではない。 ・Aの母親Fは、AとAの弟E(21歳)を育てるため身を粉にして働いた。 そしてAは女子短大を卒業、新潟に就職して5年目になる。 弟Bはコンピューター専門学校を卒業、今年から首都圏のソフト会社に就職した。 ・ところが母親は立ち仕事で人一倍働いたため、腰痛が悪化。去年から働きに出れなくなり収入も途絶えた。 ・そのため元々折り合いが良くなかった同居の叔母Dとの人間関係のバランスが崩れてしまった。 子供二人が家を出ていってしまったことと、母親Fが働けないため収入が途絶えたことで、 弱い立場の陥り、その結果として鬱病になりかけている。 ・Aにとっては、そんな実家には帰りたくないが、そのままにしていたら母は重度の鬱病になり廃人になってしまう。 A一人の収入では母親を引き取れない。そこが地獄絵図の世界としても、その狭い家に帰らないと 母は間違いなく潰れてしまう、 という内容である。 露骨に言ってしまえば、 ・「行かず後家」と、・その実家に「出戻ってきた母」と、・嫁の立場の「お祖母さん」と、 ・その間でシドロモドロする「お祖父さん」が、織り成す小さな世界の蓄積された‘葛藤ドラマ’ということになる。 (以下、字数の関係でカット2009年10月18日) (*^ワ^*)i バイバイ ・・・・・・・・・ 2005年10月18日(火) 1659, 北イタリア旅行記−8 ー旅行雑感−1
旅行中に、色いろな思いや出来事に行き会うことが多い。ただ、文章にするには如何書いてよいものかと切り捨てている 場合が多い。しかし、むしろ面白いのは、知りたいのは、思い出として取っておきたいのは、その方が多いだろう。 ・一人、50代半ばの女性が参加していた。百回近くは、旅行しているという。 娘の就職を有利にする為に、娘の学生時代に年13回も一緒に旅行に出たという。 プロテニスや、プロ野球、スケートなどの何ママとかパパは聞いたことがある。 (松井や、イチロウ。テニスの・・・・) 一流旅行代理店に入社させるために、旅行に徹底的に連れて出た という話は初めてである。その努力が実って、めでたく大手航空会社に就職が叶ったという。 本人が、旅行代理店に勤めたかったので、娘にその夢を託したという。 ・今回の旅行は、ヴェニスで雨がドリャブリ。その寒さの為か腰痛になってしまった。 そして帰国後も、その腰痛がさらに悪化してしまった。もう10日近く経つのに、全然よくならない。 ・「欧州の豊かさは日本のゆたかさとは雲泥の差がある」とバブル只中、当時の東京相互銀行の長田頭取の手記にあった。 イタリアで感じたことは、3000年の歴史の蓄積の豊かさを実感した。街の教会にしても、 公園、家にしても、数百年も経っている。 それがすべて長年かけた先祖からの遺産である。 ・どの国もそうだが、北が豊かで、南が貧しい色分けになっている。 イタリアも同じであった。イタリア人は、自分の出身をイタリアとほとんどいわない。 シチリアとか、トスカーナとか、ローマという。彼等は数百年もそれぞれの地区が独立国だったためだ。
・・・・・・ 2004年10月18日(月) 1294, 県知事選挙ーつれづれ
昨日は県知事選挙。 実のところ、ギリギリまで誰に入れたら良いか焦った。 家内と誰を入れたらよいか消去法をしたところ、全てが消えてしまった。共産党、社民党、泡沫、泡沫、自民党。 まず自民党を消去、次に社民党、そして共産党、そして泡沫、そして塗れ雑巾の元??、誰もいないのだ。 今の「公務員型・現状維持・最?知事」で県民は白けている。そのため、最悪の知事選びの選挙であった。 長野県のように、実際思い切った手術のできる体質とは新潟県は違うのだろうか。 最終的には、まだましな?自民党推薦の候補に結論を出す。 ・全国最年少の42歳と若いこと。 ・駅前再開発に対して、マイナスにはならないだろうこと。 ・大化けの可能性もあると、儚い期待があること。 が理由である。 そして最終的に、その泉田という候補が当選した。まあ、決まれば妥当ということか。
・・・・・・・ 2003年10月18日(土) 927, 「楽しく生きるには」−読書日記
学生時代の日記帳を見ていて気がついたことは、「人生楽しく」をそのまま実行していたことだ。 その点では今と変わりはない。 よく読むと、議論をしているか、本を読んでいるか、遊んでいるか、 酒を飲んでいるかだ。これは遊びのセンスと個人主義に関係しているようにも思える。 遊びと勉強の重要性が、この日記の中から読み取ることが出来る。 遊んでいなくては精神のバランスを保つことが出来なかった。 今の楽しい気持ちとは違うようだ。不安と期待と焦りが大きく背後にあった。 「楽しく生きるは」は誰にとっても、生きるうえで大きなキーワードだろう。 それでは、如何したらそれが出来るかを書いた本があるかというとほとんどない。 小さな既成概念に縛られて、その縄の存在すら気がつかずにストレスになる。 以下は字数の関係でカットー2008年10月18日 ・・・・・・ 553, 基調色 - 2002年10月18日(金)
私に着こなしの事を語る資格はない。しかし、実質的合理的な着方なら話せる。 背広やブレザーは自分の基調色を決めておく。背広は細かいストライブの濃紺である。 ブレザーは茶か紺で今は紺だけだ。 背広は7~8年前から、同じに見えるものにしている。 古くなってきたら上下を換えても第三者には解らない。実際は換えてきたことはないが,昨年は同じ背広を2着買った。 カジュアルのジャンパーやセーターも黒か紺に決めている、白やネズ色とも合わせられるからだ。 海外旅行ではあまりみっともない着合わせはできない。ある程度はチャンとした服装でなくてはならない。 欧米人は白と黒を基調にして、あまり派手な色は着てない。 パーテーや外食の時は着飾っているが、 昼のカジュアルは質素でシンプルである。日本人の団体をみると、チンドン屋の集団だ。 自分の基調色の必要性に気づくのに30数年かかった。 基調色を決めておけば、靴下やネクタイや鞄も色を絞るれる。 若いうちは何でも似合うからよいが。歳を重ねたら、みっともない格好だけは避けたい。それが色の組み合わせで出てしまう。 最近気がついたが、ネクタイと靴下の色の組み合わせが重要とのことだ。濃紺なら黒でよいと思っていたが、 ネクタイの色に合わせてもよい。 ネズの靴下を葬式やお歳暮などで貰って履いていたが、 ネクタイを知らないうちにネズの入ってものにしていた。これは無意識であった。 おしゃれとは本来自分の欠点をカバーするのが目的という。若い時は長所を引き出すと良い。
・・・・・・・ 「182]」偽悪 2001・10・18
この言葉を聴いたとき、‘へーえこんな言葉もあるんだ!’と驚いた。 また言葉のもつ深さと魅力もその時感じた。 しかしその時はそれ以上深く考えなかった。そこでその意味を考えてみた。この言葉から考えられる言葉は露悪、偽善、 露善というところか。善悪はそれぞれの価値のプラスマイナスの表現でしかない。 偽善もしかり、うけるイメージはその価値観のプラスを演じること、いや実際はマイナスだがプラスに表面を見せておこう という時に使う。 偽悪はその対極にある場合に使う。その価値観に捉われないために、むしろマイナスを演じる事をいう。 それを意識して演じて、その価値観がいかにつまらない事をジェスチャーして見せる為にする行為か。
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